2013年04月09日

遺訓統治

共和国情勢について。

「キムジョンウンは戦争を起こそうとしている!」というセリフが最近、よく見られるようになってきました。かなり緊迫しているように見えるのは確かです。他方で、共和国が何よりも大切にする「イデオロギー」という面から見ると、積極的な開戦を正当化する遺訓や前例の心当たりが見当たりません(ただし、祖国解放戦争――朝鮮戦争――以降に限る。祖国解放戦争でだいぶ痛い目にあわれたのだろう)。

「北朝鮮は何を考えているのか分からない国だ」とよく言いますが、共和国の行動は、遺訓や前例に基づいているという点において、ある意味において分かりやすい国です。もちろん、昔のどこかの島国と比べればかなり現実的ですが、そうした処世術は常に「遺訓」による正当化がなされていました(そう考えると、キムイルソン主席の洞察力はすごいなあ)。

なぜ共和国が遺訓や前例を大切にするのか、イデオロギーにこだわるのか。それは、共和国における権力の正当性が、永遠の首領たるキムイルソン主席に基づくからです。キムイルソン主席の遺訓に従って統治する、遺訓統治をして初めて権力の正当性が担保されるのです。逆に言えば、遺訓や前例にない措置は困難ですし、ましてや反することなんて、そうそうできるものではないのです。

キムジョンウン第一書記が、主席に似せて自身に整形手術を施されたのかどうかは知りませんが、主席をかなり意識して統治されているのは明らかです。では主席はアメリカに対してどのように対応なさったのか。祖国解放戦争(朝鮮戦争)以降に絞って歴史を振り返ると、たしかにEC121を撃墜したり、プエブロ号を拿捕したりしましたが、割とアメリカが腹を立てた「ポプラ事件」では遺憾の意を表明し、謝罪されました。主席のあとを継いだ総書記も、たとえばヨンビョン島砲撃事件においては、民間人に犠牲者が出たことについて「極めて遺憾である」とされました。先代は、「ちょっとヤバいかも」というときは必ず引っ込んだのです。こういう前例をひっくり返して新しい積極策に打って出られることが出来るのか。「暴走」するにしても、それをどうやってイデオロギー的に正当化するのか。「キムジョンウンは若い」というのは、むしろ、ますます遺訓統治に頼る要素になります。積極的な開戦正当化は、当の戦争以上に難しい作業なんじゃないでしょうか。

もっとも、「間違えて戦争になった」というのはあるかもしれません。失敗ですから。また、ミサイル発射くらいはやるでしょう。むしろ、「総書記の遺訓」がある以上、「やらねばならぬ」プロジェクトです。しかし、イデオロギー面における「開戦準備」が進んでいるようには見えない点、そして、実質的で本格的な戦闘準備をやろうともしていない点を見るに、少なくとも「本気ではないんだろうな」と思う次第です。
posted by 管理者 at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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