>> 発送電独占の打破をhttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-06-13/2013061302_01_1.html
塩川氏 再生エネ普及すすまず
衆院経産委
日本共産党の塩川鉄也議員は5日の衆院経済産業委員会で、九つの電力会社の発電と送電一体の独占支配を打ち破る改革が必要だと主張しました。
塩川氏は、民営の発電送電一貫の地域独占体制は主要国でも例がなく、2002年の電気事業制度改革以降、新規事業者がほとんど参入できていないと指摘。電気事業連合会の要望を反映した「発送電一貫体制」堅持の方針にふれ、「発送電一貫体制を中心とした地域独占の枠組みを断ち切ることなしに、再生エネルギーの普及や需要家(使用者)の選択肢の拡大はすすまない」と批判しました。
塩川氏は茂木敏充経産相が5月31日の答弁で、電力会社の広域系統運用を拡大した後に送電部門の中立化を図ると答弁したことにふれ、「発送電の分離が行われてこそ、事業者参入の自由化が促され、小売りの自由化にもつながる」と強調。茂木氏は「電力システム改革は2018年の発送電分離で終わるわけではない」と説明したのに対し、塩川氏は「国が前面に出て発送電分離体制を整備し、ガリバーのように巨人化した電力会社の地域支配を打ち破る電力改革の取り組みが必要だ」と主張しました。 <<
>> 電力独占の規制こそ「大規模集中」から「小規模分散」へ。その方向性は正しいと思うのですが、組織が小規模化し、機能が分散すればするほど、共産党的な意味における「民主的規制」だとか「国民的監視」はどんどん難しくなってゆくと思いますよ。
電気事業法改定案可決 塩川議員が反対討論
電力供給体制の見直しなどを盛り込んだ電気事業法改定案が衆院経済産業委員会で12日、自民、公明、民主、維新の賛成多数で可決されました。日本共産党とみどりは反対しました。
反対討論に立った日本共産党の塩川鉄也議員は、「日米原発利益共同体」の市場確保を最優先に、原発の再稼働と輸出が一体となった「成長戦略」の柱だと指摘。(1)破たんが明らかな原子力損害賠償スキームを温存したまま電力改革だけを切り離してすすめる(2)付則に盛り込まれた小売料金の自由化などは、米国で停電などを招いた規制緩和の危険性をぬぐえない(3)電気事業連合会が求める「規制なき独占」にならない保証がない―と批判しました。戦後60年にわたる地域独占、民営の発電・送電一貫体制という「ガリバー支配」を改革することが必要だと強調。原子力賠償の仕組みの見直し、大規模集中電源から小規模分散電源への移行、「発送電分離」によって東電と送電網を特別な公的管理化に置き、電力独占への民主的規制と国民的監視による「原発ゼロ」に向けた電力民主化を進めるべきだと主張しました。 <<
電力問題に限らず、共産党の反独占組織政策は、つまるところ「独占的組織を打倒し、中小規模組織の連合体による社会を樹立する」というビジョン(反独占資本&中小企業政策がその典型)であると思います。マルクスのアソシエーション論から引っ張ってきているんでしょう。そして、その連合体の要所要所を自分たちの息のかかった勢力で占めて、マクロレベルであれこれ「指導」することを「民主的規制」だとか「国民的監視」というつもりなんでしょう。
しかし、むしろ独占の重しが外れるからこそ、多様なベクトルが一気に解放されるのではないでしょうか。かつてシュンペーターは、一国一城の主たらんとする企業家(多くの場合は中小企業体の経営者)は、イノベーションの担い手であると同時に私有財産制度の担い手であると指摘しました。正しい指摘だと思います。企業家は、マルクスがいうほど単純な動機で動いているわけではなく、「自分自身の手持ちのアイディア」、チュチェ思想的に言い換えれば「自分自身の自主性・創造性」を発揮することそれ自体を目的にしているのです。
そして、昨日付け『主体的な自由経済』を初めとして何度も繰り返しているように、これからの時代は、人民大衆の自主的意識がますます多様化してゆき、創造的能力が飛躍的に向上してゆく「チュチェ時代」になってゆくでしょう。それはすなわち、多様なベクトルが一気に解放される時代であり、決して、共産党的な意味における「民主的規制」だとか「国民的監視」、すなわち「マクロ的な指導」の手に負えるレベルではなくなる時代になるでしょう。
かつてソビエト共産党は、「恐怖政治」という強力な暴力装置を持ち、あれだけ経済が停滞していたにも関わらず、ついにマトモに統制できませんでした。ソビエトの指導型経済が制御不能に陥った理由については、以前から何度も繰り返しているので、いい加減、今回は割愛しますが、いわんや活力のあるチュチェ時代における民主国家の経済をや。推して知るべきでしょう。
つまり、共産党員が考えているようには「連合体」が形成されることはなく、おそらく「小連合」が乱立することになると思われるが、そこでもし、一つ一つの小連合に影響力を及ぼそうとすると、「KGBに学ぶ」ことになるが、たとえKGBに学んだとしても、マクロ的にはコントロールはできないだろうということです。
もっとも、以前から繰り返していますが、健全な競争的市場の存在によって選択の自由が実質的に保障されるようになれば、需要側と供給側の地位が対等になり、片方の一方的な行為・横暴は防げるかもしれません。それはある意味における「民主的規制」「国民的監視」といえるでしょう。しかし、それはまさに、アダム・スミスの想定。いつから共産党はスミス主義者になったのでしょうか?
また、ゲーム的な視点に立てば、継続的な商取引は需要側と供給側を「擬似的な運命共同体」にします。一歩踏み込んで、協同組合「風」に進化するかもしれません。その場合、「民主的規制」「国民的監視」っぽい作用は期待できるでしょう。しかしそれは、あくまで「ミクロの積み重ね・寄せ集め」であり、共産党が普段から陰に陽に見せている「指導」とはまた別タイプの事態です。
こうやって考えると、これからの時代、「民主的規制」や「国民的監視」が死に絶えることはなく、むしろ、多様なベクトルが一気に解放されるチュチェ時代においては、「ミクロの積み重ね・寄せ集め」の結果として形成される「民主的規制・国民的監視っぽいモノ」の出番は増えてゆくと思います。しかし、共産党がアイデンティティとしている「前衛党によるマクロレベルにおける指導」が手に負える場面は、ますます少なくなってゆくのではないかと思います。
まあ、たしか毛沢東の教えだったと思いますが、共産党員は自己の役割を終えるために闘争しているそうなので、こうした「自爆劇」も彼らのビジョンのひとつなのかもしれません。でも実際問題、幹部や専従党員は党組織がなくなったら大変だろうなあ。。。