2013年06月30日

「自己責任論」は「助け方の拙さ」に由来する

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yahagikunihiko/20130629-00026065/
>> 辛坊治郎さん遭難で、イラク人質事件の今井紀明氏がコメント <<
本文については、今回は直接的には言及しないので引用を省略させていただきます。画面下方にあるフェイスブックにおけるコメントについて取り上げます(ブラウザ環境によっては表示されないかも)。

まずは関係する書き込みを引っ張ってきましょう。
>> 寺田 雅彦 ・ トップコメント投稿者 ・ 勤務先: 大和製衡株式会社

誰かを守るためのカネであって、それを非難することはできなおはず。でなければ、遭難しても事故を起こして瀕死になっても助けてもらえない。なぜそこまで極論にこだわるのか。日本は助け合いの精神ではなかったのか。それが失われたら、日本は日本でなくなる。
<<
>> 内田 宙大 ・ 長崎大学

「助け合い」ではないですよね。助ける側はいつも助ける側ですし、助けられる側はいつも助けられる側です。助け合いの名の下に真面目に頑張る人間が搾取されている、という現実を誰一人理解していない…税金なんて国主導の振り込め詐欺みたいなものです。
生活保護なんて、その真骨頂ですよね。彼らは私たちの税金で生かされていますが、社会に何一つとして貢献していない。
<<
>> 寺田 雅彦 ・ トップコメント投稿者 ・ 勤務先: 大和製衡株式会社

助けられる側と助ける側がいてはじめて助け合いではないかな。

バカなのかもしれないが、自分が人の力になれればよいと思っている。自己犠牲とか、そんなのバカバカしいとかあるだろうが、33年生きてきてそう思っています。

自分のカネを自分の思い通りにしたきゃそれこそ日本から出ていって米国にでもって話にしかならない。

自助努力がいらないとは言わないけれども、少なくとも頑張る奴に手を差し伸べたら良い。

日本国民の義務と生活保護を全てとは俺は思わない。彼らが生きる意味が無いと思えるほど、出来た人間ではないしね
<<
>> 内田 宙大 ・ 長崎大学

そういう善人の思いを踏み躙るのが、弱者面してぶら下がり続けているクズどもです。そういう連中に努力とか頑張るとかいった概念は存在せず、如何に楽して生きるかしか頭にないのですから。
何らかの形で社会に貢献していない限り、その人間に存在意義なんてないですよ。ただの穀潰しです。
<<
両者とも、それなりに納得できる意見をお持ちだと思います。昨今のこの手の議論における代表的な論理を体現していると思います。

内田宙大さんの「何らかの形で社会に貢献していない限り、その人間に存在意義なんてないですよ」はちょっと極端な発言だとは思いますが、「「助け合い」ではないですよね。助ける側はいつも助ける側ですし、助けられる側はいつも助けられる側です。」というのは、少なくない自己責任論者が陰に陽に表明する不満です。私は、旧ブログの頃から一貫して自己責任論には組しない立場をとっていますが、こういう不満感については、一定の理解をしているつもりです。

それでは、寺田雅彦さんと内田宙大さんの両者が代表的に表明している、これら2つの対立する考え方をどう中和してゆくべきでしょうか? いままでどおりの路線を維持して「正直者が馬鹿を見る」といった状態を放置すべきか、それとも自己責任論を貫徹し、「殺伐とした社会」にすべきか。おそらく、どちらを実行してもいずれは行き詰るでしょうし、それ以前に、いずれの方向性をとるにしても、「社会の主体」である国民同士の間で民主的なコンセンサスをとることは難しい点(それだけ国論は分断されていると思います)、実行すらできないでしょう。

旧ブログの頃から述べてきたことですが、結局「助け方」の問題なのではないかと思います。つまり、日本の「支援」「救済」は、「対象者を助ける」ということばかりに注目しているために、被支援者が社会に恩返しする機会を積極的に設定することも無いし、恩返ししたのか否かのチェックすらしていないのではないでしょうか。たとえば、生活保護は支給したらそれっきり。積極的に雇用を創出するわけでもなければ、パチンコに注ぎ込んでいるのか如何かすらもチェックしない。それが、「「助け合い」ではない」とか「助ける側はいつも助ける側ですし、助けられる側はいつも助けられる側」「そういう善人の思いを踏み躙るのが、弱者面してぶら下がり続けているクズどもです。そういう連中に努力とか頑張るとかいった概念は存在せず、如何に楽して生きるかしか頭にないのですから。」という不満を抱かせる原因になっているのではないでしょうか。

「社会的な助け合い」が比較的上手く行っている国々は、「助け方」について熟慮に熟慮を重ねています。たとえば「北欧では社会福祉が手厚い」とよく言われますが、その代わり「自立」が徹底的に要求され、そのために必要な諸訓練を強制的に受けさせられます。だからこそ「税金は高いけど、払った分はかえってくる」という満足感を持たせ、制度に対する主体的支持を獲得できているのです(北欧の福祉国家は、決して国民同士の「同胞愛」の賜物なんかじゃないですよ)。

「助け方」をもっとよく設計する必要があると思います。その点、上掲のお二方のやりあいにコメントを寄せたShoichiro Tomiyamaさんの意見に近いところがあると思います。
>> 未来の自分が直面する可能性が高い危機、例えば年金問題など。
そういうことには「助け」がない気がします。
予算をちゃんと割り振って、
ある条件に該当して、且つこのくらいの人数なら、日本国民として助け合えるけど、これ以上は
頑張ってるひとの公平な権利を奪うからお金出せません。
それでも出さなきゃいけない場合、どこの予算を削るか。

そこらへんの基準が明確にあれば
話し合いの余地が生まれる気がします。

とか、何か今よりいいやり方か
あればいいんですが。
<<
もちろん、4月7日づけ『「メカニズム・デザイン」と「前衛党指導型経済システム」』においても書きましたが、はたしてそういう「設計」が上手くできるのか、「前衛党指導型」と同じ末路を辿らないかという問題は厳然として存在すると思います。

思うに、「前衛党指導型」の失敗は、理性と科学を過信する余り、「すべて」を「最初から最後まで」、「マクロレベル」で「一気」に設計しようとしたところにあると思います。我々の理性・科学は、それほど大したものではないので、津々浦々の将来にわたる全現象を鳥瞰的に見渡すことはできませんし、それを一気に改変させることはできません。しかし、「特定の部分」を「短期的なスパンで」「ミクロレベル」で「様子を見ながら」形成してゆくこと、これは必ずしも不可能ではないでしょう。

「助け方の設計」が、「マクロレベルでの急進的設計」ではなく、「ミクロレベルでの漸進的形成」であるならば、私はこれは可能性があると思います。今後も折に触れてこの問題は取り上げてゆこうと思いますが、基本的にこの立場から考えてゆく所存です。

ちなみに、最後になってしまいましたが、辛坊氏の件そのものについて私は、「どんなにご立派な自己責任論を展開していたとしても、いざ自分が危機に陥れば、藁でも救助でも生活保護でも何でも掴むものだ」ということが改めて分かったのではないかと考えています。もちろん、誰しも自分が一番かわいいですから、それは仕方ないことだと思います。であるからこそ、「助け方の設計」は一層大切になるでしょう。予算は無尽蔵にあるわけではないのですから、うまく調整する必要が出てきます。
posted by s19171107 at 15:28| Comment(4) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
比較をして論じるのはいいですが、フルネームと会社名を出す理由は?知り合いなので不愉快に感じました。速やかに訂正して下さい。
Posted by 華 at 2015年06月26日 20:58
コメントありがとうございます。

>華さん

お返事が遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。

ご質問の件ですが、お名前と勤務先を自ら公表した上で、堂々とYahooニュースのコメント欄で持論を展開されている点を尊重してのことです。
立場的事情で実名で主張できない私としては、実名で堂々と主張されている方々の覚悟とプライドには率直に敬意を表しております。
ちなみに、2ちゃんや通常のYahooニュースコメント欄での自己申告は信憑性が低いので編集カットしましたが、フェイスブックならば自己申告にも信憑性も高いのではないかと思う次第です。

そもそも論ですが、本件は私自身の考えの展開を主目的としており、それを検討する材料として、Yahooニュースのコメントを引用しているという構造です。
インターネット上でオープンな形式で社会的懸案について見解を述べる以上は、引用を受けることは覚悟の上であるというのが通念ではないでしょうか。
私も10年くらいネット発信をやっていますが、連絡無しに論評の対象にされたは何度もあります。主張を曲解されたこともあります。
でも、こういうことをやっている以上は、それも当然と思っています。
最近のツイッター・フェイスブック文化圏は違うんでしょうか? リアル社会ならびに伝統的なインターネット社会の引用原則に則っているつもりなんですが・・・
※引用も方法次第で「曲解」になりうるので、私は発信者の意図を曲げないために、なるべくコメント全体を引くようにしています(私自身の苦い経験ゆえです)。

なお、ご本人様からの訂正のご要望には誠意を持って対応させていただきますが、「知り合い」からのご依頼には対応いたしかねます。
Posted by 管理者 at 2015年07月30日 20:53
お目汚し失礼いたしました。
見ていない可能性もあるので、他の箇所にも書いたこと失礼します。なにぶん、更新がない日が続き、また此方からは自分が書いたコメントさえ編集も確認もできませんので。あちらは消していただいて結構です。

そうでしょうか?携帯からだと勤務先まで見ることはできません。なので、本当に吃驚しました。
今の社会は何が起きるか分からない。

熱い議論の中で、もし恨みを持ってしまったら?
難癖つけて会社に電話して連絡する事(在籍するか確認する事も)可能です。

もしこのコメントが女性だったら?
フェイスブックを見て、親しい人に嫌がらせを始めたら?

実際、ストーカー紛いの事件に遭遇した事、ありますか?経験があるので不安になった次第です。

因みにこのページを見つけたのも、名前を入れたら出てきました。自分自身も、フェイスブックやツイッターなどを使っているので成程と思いましたが。

話がずれましたがそこまでお考えの上で、直接議論の場とは関係ない貴方様の考察・推論の場で名前を出して、このページを見てもしもの事があれば責任が取れると仰るのであれば良いのですが。

また、本人が見る可能性は限りなくゼロでは?
「引用させてください」と予め伝えてあるなら別ですが。

特に自分が言ったことに関して熱くもなる必要はございません。不快でしたらどうぞ、全てのコメントを消して下さい。
Posted by 華 at 2015年08月17日 22:59
コメントありがとうございます。

>華さん
>携帯からだと勤務先まで見ることはできません
端末によって表示される内容が異なるのは承知していますが、問題の本質ではないでしょう。たとえば、ログインしないと見られない情報だったとすれば話は別ですが、いまや広範囲に普及しているPCでアクセスすれば誰でも見られる情報です。

>実際、ストーカー紛いの事件に遭遇した事、ありますか?経験があるので不安になった次第です。
ご本人が公開していない情報を私が暴露していると言うのならば、また話は別ですが、率直に言って、そこまでは私の責任の範疇ではありません。あくまで「通常の引用の範囲内」というのが私の立場です。

お勤め先への電話は会社の担当者にご対応いただきたい。毅然と無回答を貫くのが会社のとるべき対応でしょう。ストーカーは税金で食っている警察が対応すべきでしょう。そういった不法な脅威から発言者ご本人の安全を守り、また自由でオープンな討論を守るのが警察の仕事です。不当な暴力を恐れて一般市民が口をつぐむべきでしょうか? 

私は、あくまで「通常の引用の範囲内」を守っております。ご本人が公表した情報を超える暴露はしておりません。これ以上の「配慮」を要求されるのは不適当であるというのが率直な感想です。ご本人のお勤め先や警察の仕事まで要求しないでいただきたいです。

そもそも、すでにYahooニュースで実名で投稿している上に、返信に対して再返信していらっしゃるわけです。Yahooニュースの方がよっぽど危険ではありませんか? Yahooニュースにコメントを寄せる時点で、ご本人が常識人であるならば、世間に対して自己の主張が引用されても構わないということを表明しているわけです。それを覚悟の上で実名で投稿されているわけですよね? 繰り返しになりますが、私にはとてもマネできない行為であり、率直に、心から敬意を表するものです。

要するに、絶対的な安全を期するなら、そもそも私のように完全匿名を貫くべきです。あえて実名を自ら公表して主張する以上は、引用の形式で拡散することは予想できる事項です。そして、ギャラリーが通常の引用の範囲を守る限りはその論評行為は正当であり、もし不当な目的で論評情報が悪用されるならば、それは警察の出番ということです。

繰り返しになりますが、ご本人からの要請に対しては、善処することは吝かではありません。しかし、それは「義務」ではなく、私の、ブログ管理者としての「判断」です。

「直接議論の場とは関係ない」という認識はありません。なんといっても「引用」という認識だからです。この記事は、引用元のコメントがなければ執筆できなかったという点では不可欠の要素ですが、記事の主体は私の主張です。引用の構造であるという認識です。

なお、著作権法によれば、引用の範囲内であれば執筆者の許諾は不要です。

近頃のフェイスブック・ツイッター文化と、私たちインターネット旧人との文化的差異について意識することが増えてきている今日この頃。当ブログの基本的立場を明らかにするという意味で、本件やりとりは私にとっては有意義であります。

「なんだか杓子定規だなあ」「そんなに熱くならんでも」という印象をお感じになったかもしれません。しかし、長年にわたって社会的懸案について、それも「世論」を敵に回すような主張を繰り返してきた身としては、自分の権利と義務、そして相手の権利と義務を、きっちり明確にしておかなければならないことが骨の髄に染みているのです。インターネットはお友達同士のおしゃべり空間ではないと言うのが私の認識です。
Posted by 管理者 at 2015年08月26日 01:34
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