当該記事をものすごーく雑に、見出し単位でまとめると・・・
・安定した生活を営める水準に回復しつつあり、人々表情も明るくなりつつある。...といった内容でした。
・まだ実態がつかめない部分は少なくないが、経済発展には原資が必要であり、開放は既に始まっているといえる。
・現場権限を拡大が進みつつあるが、その背景には、すべての工場・企業所の国家管理ができなくなってきたことがある。
・今後の方向性として、石炭、金属、電力、鉄道輸送、農業、軽工業に注力する。
・こうした政策を支える理念として、「自国の地に足を据え、目は世界に向ける」がある。前者は先代までの継承、後者は新しい時代を象徴している。「理念の開放」の準備は整っているといえる。
・核武装が完了したので経済に力を注げるようになった。逆に言えば、アメリカから体制の保障がなされない限り、核の放棄はない。
・実は昨年から既に経済改革は進んでいたのだ。
・果たして圧力一辺倒で何か我々(西側諸国)は得たものがあっただろうか?
・ちなみに、北朝鮮のミサイル開発には既に日本の技術力がふんだんに利用されています^^ 京浜工業地帯の失業した熟練工のおかげ!^^
さらに詳しくは書店でお買い求めいただきたいと思いますが、よくも悪くも「いろいろな経緯」があるビナロンや、本当にそんなものができたのか親朝派の私でも怪しいと思っているチュチェ鉄を留保無く載せているあたり、いままで散々バッシングに明け暮れてきた日本メディアにしては、なんだか気味が悪い転向劇でした。
それはさておき、今回の経済改革措置については、いろいろ注目すべき点はあると思います。読者によっては「自国の地に足を据え、目は世界に向ける」の「開放政策の理念」に目が行くかもしれません。それも大切でしょう。しかし私としては、「現場権限の拡大」がもっとも注目に値するものだと思います。今回のブログ記事では、『東洋経済』『朝鮮新報』そして『東亜日報』(&産経新聞)の報道をまとめて記録しておきたいと思います。
まず『東洋経済』の特集記事について。この記事では、「すべての工場・企業所の国家管理ができなくなってきた」ことが、国家統制を弱め現場権限を拡大する理由の一つであるとしています。『東洋経済』が報じた経済改革措置のこの側面は、「経済社会の管理技術的側面による改革理由」であるといえると思います。
ところで、朝鮮総連機関紙『朝鮮新報』チュチェ102(2013)年5月17日づけは、以下のように報じています。
http://chosonsinbo.com/jp/2013/05/0517th/
>> 内閣事務局のキム・ギチョル副部長は、「経済管理方法を改善するうえで、われわれが堅持していることは、第1に社会主義原則を徹底的に守ることであり、第2に国の統一的指導の下ですべての経済活動を行うことだ。集団主義に基づいて工場、企業所に責任と権限を与え、彼らが主人としての立場で働ける方法を模索している」と語る。 <<ここでは、「国の統一的指導」や「集団主義」という角度から、今回の改革措置を見ています。「国の統一的指導」や「集団主義」は、ある種の「懸念材料」であるとも言えますが、「集団主義に基づいて工場、企業所に責任と権限を与え、彼らが主人としての立場で働ける方法を模索している」というのは、まさにチュチェ思想的な見解だと思います。『朝鮮新報』が報じた経済改革措置のこの側面は、「経済社会のイデオロギー的側面による改革理由」であると言えると思います(そして、特に共和国にあっては、イデオロギー的正当性が最も重要な要素です)。
『東洋経済』記事と『朝鮮新報』記事を併せて読むと、今回の経済改革措置は、「管理技術的側面」と「イデオロギー的側面」の両方を備えているといえます。とりわけ、イデオロギー的正当性が重要視される共和国にあって、イデオロギー的な裏付けを持っているという事実は、この経済改革措置が「本気」のものであると言えると思われます。
他方、前回ご紹介した東亜日報の報道記事の記事を読み返すと、既に述べた「技術的・イデオロギー的な事情」から、共和国において何らかの変革が起こる確からしさは増大するものの、東亜日報の報道記事から感じさせられるレベルの変革が一挙に起こるわけではなさそうだなといも言えるでしょう。
ところで、余談ですが、私の浅知恵・思いつきと比較するのは余りにもおこがましい話ではありますが、「工場や企業所の現場が権限を持つこと、これは果たして反チュチェ思想的なのか、そうしたあり方もまたチュチェ思想的であると言えるのではないか」とか「首領の領導や党の領導がチュチェ思想の命というのはそのとおりだが、政治宣伝のなかでも首領・党は人民大衆の中に入り込み、人民大衆と共に考えて有機的・一体的に行動すると描かれているではないか」と長く思ってきました。私としては、このままこの方向で改革が進むことを切に願っています。
今後も、チュチェの市場経済・ウリ式市場経済の動向をじっくりと情勢を観察してゆきたいと思います。