2015年05月01日

「私の努力」の実態は「主客の相互作用の賜物」;受験勉強は所詮「子どもの戦い」

ご無沙汰しております。久しぶりに。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1572864
>> 「学歴は努力の証明書」で福田萌が炎上 ネットは「安っぽい自慢」「親のおかげと気づけ」と批判
2015/5/1(金)16:29 キャリコネ


キャリコネ

タレントの福田萌さん(29)が、28日放送のバラエティ番組「解決!ナイナイアンサー」(日本テレビ系)で「高学歴の利点」について語り、ネットで炎上する事態となった。

福田さんは横浜国立大学経営学部卒。2012年にはお笑いコンビ、オリエンタルラジオの中田敦彦さん(32)と結婚した。中田さんも慶応義塾大学卒という経歴の持ち主で、芸能界では「高学歴夫婦」として知られている。
「親の用意した道を歩んできたのではない」と豪語
この日の放送のテーマは、まさに「学歴」。子どもに高学歴を希望する芸能人代表として出演した福田さんは「私達夫婦は、親の用意してきた道を歩んできたのではなく、学歴をつかみとってきたという誇りがある。努力の証明書として学歴がある」と発言。

さらに、夫の中田さんについて、「『学歴高いからいいな』って思った?」と聞かれると、こう答えた。


「芸人さんって色々不安定だけど、慶應に入るだけの努力をしてきたから、もし何か合った時も頑張る馬力があるはず」

学歴があることで、その人の能力やポテンシャルが保障される、という考えのようだ。

一方で、高学歴だと初対面でも「この人はこれくらいできるはず」と最初からプラス評価になるので、「人柄が伴っていなかったときのマイナスのダメージがすごく大きい」とも指摘。「学歴があるんだったらあるなりの人間力がないと太刀打ちできない。学歴プラス人間力が大事」と語った。

ある意味正論と思えるようなコメントだが、この一連の発言がスポーツ紙などで報じられ、ネット上で物議を醸すことになった。2ちゃんねるやツイッターでは、「学歴は努力の証明書」という部分に対する反論が相次いだ。
「コツコツ頑張ったものは評価されて然るべき」と擁護も
いい大学に入るには本人の努力だけでなく、親が教育熱心かどうかということも影響する。塾や予備校に通わせるとなると、親の経済力も無視できない。福田さんは「親の用意した道を歩んできたのではない」と語っていたが、


「いや親が用意してくれてるんですよ。この当たり前の事実に気付ける程度には成長して欲しいもんです」

という書き込みが寄せられていた。ほかにも「高学歴のみを努力の結果だと思うのは違うと思う」「努力せずにいい大学に入れる奴はどうなる」といった声が出る。

一方で、「裏口入学でもない限り、親の力だけで高学歴にはなれないよ」と、福田さんの考えに同意する人もいた。お金をかけて教育すれば、子どもが必ずしも東大や京大に合格できるわけではない、というのだ。

AO入試などは別にしても、ペーパーテストの結果のみで決まる大学受験は「万人に等しく与えられた一番無難で高確率に幸福を掴むチャンス」だとし、「それを若いうちから理解してコツコツ頑張ったものは評価されて然るべき」としている。
1歳の娘に「知育教室」など3つの習い事
福田さんの考え方が正しいか否かはさておき、やはりテレビで自慢気に語るのはいただけない、という声も多い。「高学歴の人が高学歴について語っちゃう行為が。野暮というか、人間性を安っぽく見せちゃうんだよね」というのだ。

ほかにも、将来の選択肢が広がる、という利点はあるものの、高学歴は「あくまで手段」だとし、「その手段を自慢している時点で痛すぎる」という声が出ていた。

ちなみに番組によると、子どもにも学歴を期待する福田さんは、1歳の娘に知育教室など早くも3つの習い事をさせている、ということだ。
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もともとの話題については、私は、たしか電車の中か何処かで呼んだのですが、いい歳して高校生みたいなこと言っているのに思わず噴出しそうになったものです。

当ブログでは旧ブログの時代より、「努力至上主義」者の視野の狭さを色々な角度から取り上げてまいりました。要するに、自分自身の努力も勿論尊く重要な位置を占めているものの、周囲環境や協力もまた大きな位置を占めており、実相は「主客の相互作用」であるにも関わらず、努力至上主義者たちは「本人の努力のみがその果実をもたらした」などという視野の狭い主張をドヤ顔で述べているわけです。

本件、あまりにも典型的過ぎます。もちろん、受験勉強は「自分との戦い」という要素が大きく、難関校合格者はその戦いの勝者です。自信を持ってよいと思います。しかし、受験勉強は「子どもの戦い」でもあります。そこには親のバックアップがあり、国家・社会の支えがあるものです。受験勉強もまた「主客の相互作用」の賜物です。

ちなみに私自身も受験勉強を成功裏に経験しましたが、ひとつの良い記憶になっています。同時に、当時からキムイルソン主席を仰ぎ、キムイルソン主席の教示に励まされて受験勉強していたので、自分の成功は自分だけの成功ではないとも思っています。

私の特殊な思い出話は別にして、こんなこと、社会の制度的仕組みを学んでいれば、まあ遅くとも大学2年生(2回生)くらいまでに気がつくものですが、意外と気がつかないもんなんですね。そして、「学歴」と「社会構造への理解」はリンクしないものなのですね。

また、「親のおかげと気づけ」という声が取り上げられているものの、より大きく「システムとしての国家・社会のおかげ」という指摘が取り上げられていないのは・・・個人的な努力至上主義には与さないものの、狭い家族主義で終わってしまい人も少なくない時代です。「システムとしての国家・社会のおかげ」という認識は、「成功者であればあるほど、その利益を私的に独占することなく、報国的に活用すべき」という、一種の社会貢献・高額納税の論拠になるものです。編集者があえて触れていないのか、そうした意識を編集者が持っていないので漏れているのか、それともそもそも世論として存在していないのか・・・
posted by 管理者 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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