大阪都構想が僅差ながら否決されました。橋下市長は敗北を認め、政界引退を表明しました。
私は、橋下氏が弁護士を本業とすしていた頃から一貫してアンチで、政治家に転身して以降は、その文革路線には反対の立場を一貫していました。今回の投票も、漸進主義の立場から急進的構想には反対していました。その点、今回の投票の結果は、「ギリギリうまくいった」というのが正直な感想です。小泉文化大革命以来の文革路線ブームも一服して、漸進主義的改良の時代が近づきつつあるのでしょうか。橋下市長引退も歓迎です。本人の自覚しているように、ああいう闘争型政治家は害悪です。
他方、今回の橋下氏の敗戦の弁は、初めて橋下氏の発言に感心しました。曰く「負けたと言うことは、まちがっていたということ」。同感です。
私は、間接民主主義政治も「社会的分業」の一種である考えています。社会的分業といえば、市場が代表ですが、どうも政治の世界では、そう考えない勢力が強い感が否定できません。その典型例が「前衛党」ですが、保守陣営でも「国家百年の計」と称して、「指導―被指導」の関係が前提であるようです。しかし、たとえば、社会的分業の世界・市場経済において、専門知識をもつ生産者が消費者に「指導」するでしょうか? また、商品が売れなかったとしたら、それは「商品が顧客に必要とされなかった」と考えるのが通常で、一般的な政治家敗戦の弁のように、「説明不足」とか「ネガティブキャンペーンのせい」にすることは、少なくとも建前・発言においては、少ないと思います。
その点、橋下氏は、自分の構想の間違いを認めました。会見中、「説明不足」を述べたシーンもありましたが、自民党や共産党だったら、まず言いそうもないことを発言したのには、感心しました。なかなか珍しい光景でした。橋下氏の文革路線は決して賛同できませんが、彼の感覚は生活者よりだったのかなと思います。少なくとも前衛党よりは。
もっとも、商売人はちょっとやそっと自信作が売れなかったとしても売れるまで改良する点、橋下氏は完全な商売人根性ではないようでした。
橋下氏は、政界引退を述べました。しかし、そもそも「2万%出馬しない」といいつつ知事選にでたかれの発言は信用できません。「政治家は必要なときだけ、不要なら使い捨てであるべき」という発言は、見方を変えれば、「続投待望論に応える」で政治生命延命もあり得そうです。現に、テレビ朝日系列「報道ステーション」は続投待望論を展開しました。
大阪都構想自体も画期的提案でしたが、その住民投票も画期的出来事だったと思います。
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チュチェ104(2015)年5月23日づけ『維新の党は21世紀の前衛党――生活と人間知性の限界に基づく大規模急進的改革批判』
http://rsmp.seesaa.net/article/419463384.html
2015年05月18日
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