「働きすぎは心も体も壊す」 月227時間の残業で「過労自殺」した青年の母親が訴え弁護士らしい、「歯切れの良い論理的」かつ、「狭い範囲のデータを帰納し、そこから演繹的にモノをいっている」ことがよく分かる説明です。
弁護士ドットコム 8月5日(水)18時52分配信
中略
●なぜ「長時間労働」がまかり通っているのか?
「全国過労死を考える家族の会」の顧問をつとめる玉木弁護士は「なぜ長時間労働をすることになるのか?」と問いかけ、残業代を支払わない事業所が、過労死を生み出していると指摘した。
「残業手当が支払われている事業所であれば、経営者はコストを減らすために、長時間労働を減らそう、そのためには仕事を減らそうという考えにつながるでしょう。ところが日本では、長時間労働をいくらしても、残業代が支払われないことも多く、コストに跳ね返りません。そのため、経営者が長時間労働を減らそうという発想がないんです。
いくら仕事をさせてもいいんだということで、どんどん仕事が与えられる。そうすると、責任感のある労働者の方は長時間労働をし、過労死につながっていきます」
玉木弁護士は「まずは、会社にきちんと法律を守らせる、こういうところから過労死を防止させていきたい」と話していた。
弁護士ドットコムニュース編集部
もちろん、私は玉木弁護士の説明を全否定する訳ではありません。ただ、「まずは」とはいうものの、あたかもそれが特効薬であるかと言わんばかりの論理構成に著しい懸念をもつのであります。
経済学のモデルによると、利潤極大化の条件は、「労働の限界生産力の価値=賃金率」です。分かりやすく言えば、労働時間を追加で1時間延長させることによる収益と追加で1時間残業させるコストがトントンになるとき、これ以上働かせても利益が上がらないとき、終業させることが利潤を極大化させるのです。
教科書に載っている経済学のモデルどおりに考察すれば、残業代を払わなくて済むのならば、どんどん労働時間を延長させられるように見えるでしょう。しかし、過労はなによりもまず製品の質に表れます(ちなみに経済学のモデルでは商品の質は捨象されがちです)。お粗末なミスに始まり、信じられないようなミスがつづくものです。つまり、長時間労働が原因で粗悪品が生産されることによって「収益」どころか「損失」が生じるのです。
経済学の教科書にでてくる労働需要のグラフは大抵、限界生産力の曲線を限界生産力逓減の法則に従って書き、横軸に対して平行になった辺りで描画をやめます(無理関数のグラフのように見える)。しかし、正確には、過労ラインを超えると逓減的増加から加速度的減少になる、つまり負の二次関数グラフのような形状になっていると言うべきなのです。
商品経済における生産行為は、他人のための使用価値の生産であり、財市場での交換を目的としています。よって、労働市場・労働環境は、財市場の事情に強く制約されます。過労状態での粗悪な生産物の市場価値は当然低いと言うべきです。いくら残業代未払いでも、売れない粗悪品では収益にはなりません。つまり、「長時間労働の歯止め」は、「残業代」というコスト面だけではなく、「商品の質」という収益面があるのです。
引用元記事の構成では、こうした部分には触れられていません。労働問題を労働市場・労使関係でしか分析しておらず、財市場・対消費者関係を捨象しています。そのような分析に基づく提言は危険です。労働問題を労使関係でしか見ないと、炭労(階級闘争しているうちに業界が消滅)や国労(乗客ブチギレ大暴動)のような失敗をおかすことに繋がるでしょう。
私は、「経済はシステムである」と言うべきと考えています。システムとは、複数の要素が相互作用しながら全体として機能を果たしている集合体のことですが、システム解析は、そのシステムが全体としてどう機能しているのかを解明することです。システムとしての商品経済における生産行為は、他人のための使用価値の生産であり、財市場での交換を目的としているという認識が何よりも重要です(なお、システムは要素の単純な集合体ではないので、要素還元主義的に考察すべきではないとも申し添えておきます)。