安保法制を巡る「法的安定性」の問題は、メディアが大きく取り上げた関係で、件の発言を問題視する「世論」が盛り上がりました。当然のことです。
しかし、数年前に遡れば、「世論」こそが法的安定性を否定する大きなうねりを持っていたことが思い起こされます。光市事件でした。
光市事件の差し戻し控訴審が世論を沸騰させていた頃、判例を踏襲による死刑回避を批判する「世論」は、「判例が何だ! 時代の感覚が大切なんじゃないか!」と血気盛んに吠えていたものです。論ずるまでも無く、判例の踏襲は法的安定性の第一歩です。法令解釈の統一だけが法的安定性ではありません。この「時代の感覚」なる言説は、そのまま裁判員制度にも通ずるものがあります。
「時代の感覚」――安倍内閣が言う「安保環境の変化」と何が違うと言うのでしょうか。いや、安倍内閣の主張の方が、まだ客観的根拠に基づいていますが、光市事件の世論は、完全に感覚・感情のシロモノでした。
私のような漸進主義者にとっては、安倍内閣の主張も光市事件における世論の主張も、いずれも急進的な主張であり、同じ穴の狢であり、同意しかねるものです。果たして「世論」は、数年前の光市事件での革命的要求と、安倍内閣による法解釈の急転回をどう整合的に認識しているのでしょうか?
2015年08月15日
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