2015年09月06日

固定電話世代の噴飯レベルの「LINEいじめ論」

http://diamond.jp/articles/-/77894
>> 夏休み明けが危ない!
LINEいじめに疲弊する子どもたち

安川雅史・全国webカウンセリング協議会理事長に聞く


(中略)

授業や部活があれば、その間LINEはできません。しかし、夏休みというのは自由な時間ですから、1日中LINEをやってしまう、というような状況に陥りがちです。「グループの会話にいつも入っていないと仲間外れにされる」と恐れるあまりに、「家族旅行で海外に行く計画があるけれど、飛行機の中でLINEができないから嫌だ」とか、「映画も見に行きたくない」という子どももいます。

――実際のいじめの内容は、親の世代とどう違うのでしょうか?

ネットでは、文字だけが飛び交います。リアルに相手を見ていれば、理性で歯止めが効くものですが、それがないので、どうしてもエスカレートしがちです。奈良県で2013年に自殺した中1の女子生徒のケースでは、LINEに「KY(空気が読めない)でうざい」「消えて」などと書き込まれ、亡くなった後も「お通夜NOW」などというやり取りがなされていました。

さらに堪えるのは、Twitterです。なぜなら、LINEはクローズドですが、Twitterは不特定多数の人に見られてしまう。それは、自分への悪口が、全世界に向けて発信され、たくさんの人の目にさらされるということなのです。

そして、文字は残ります。どんなにかわいい顔立ちの女の子でも、「ブス」と言われ続ければ、「本当に私は不細工なんだ」と思い詰めるものです。これは脳が誤作動を起こす、洗脳状態なのです。


(中略)

人間にとって、心の通い合う、満たされる人間関係というのは、本当に大切なものです。ネット上での人間関係は、しょせん擬似的なもの。現実生活で満たされる人間関係があれば、そちらの方を大切に思うというのは、人間の本質だと思います。 <<
何か目新しい情勢分析があるのかと思いきや、書いてあることが10年前の使いまわし・・・「LINE」を「チャット」や「ケータイのメール」に変えれば10年前そのままです。

もちろん事態の本質的構造は10年前と変わっていないので、取り上げる「現象」にあまり変化が無いのはよいでしょう。問題は、「インターネットにおける人間関係」が明らかになっているにもかかわらず、「対案」として挙げられている言説が10年前から変化がなく、はっきりいって「間違い」のレベルに成り下がっているにも関わらず、まだまだ使いまわそうとしている点です。

結論から言えば、「ネット上での人間関係は、しょせん擬似的なもの」というのが、大きな誤りです。要するに、「どうせ擬似的な虚構なのだから気にするな」と慰めようというのでしょう。しかし、今の子どもは馬鹿ではありません。端末の向こうに生身の人間がいることを承知で攻撃的な言説をしているのです(「お通夜NOW」なんてどう考えてもそうでしょう)。また、LINEやTwitterは2ちゃんでの煽りとは違い、現実世界での人間関係の延長線上です。だからこそ、子どもたちは本気で悩んいでいるのです。決して「擬似的」ではない、リアル中のリアルであるというのが、昨今の問題を深刻なものにしているのです。

安川氏は、LINE・Twitterとオンラインゲームという本質的に異なる人間関係が構築されているフィールドを「ネット問題」としていっぺんに取り上げているうちに、そして「ネット上での人間関係は、しょせん擬似的なもの」というこの手の議論では古典的な言説を取り入れているうちに、事の本質がゴッチャになってしまったのでしょう。オンラインゲームのクランなんかは「虚構」といって差し支えありませんが、LINE・Twitterは決して虚構の人間関係でありません。

こんなこと10年前の「ケータイメール依存」が問題になった頃から分かりきっていたことです。あの頃も「ネット上の人間関係なんて虚構!」といった「慰め」が横行していたものです。「固定電話世代が何を分かったようなこといっているんだ」と思いつつも、「まあ『連絡手段の文化大革命』の最中だから、ある程度は仕方ないかな」とも思っていましたが、2015年にもなるんですからそろそろヤメにしましょうよ。

大切なのは、私は10年前から言ってきたことですが、その人間関係が擬似的かあるか否かに関わらず、確固たる主体を持つことでしょう。唯我独尊であってはいけませんが、他人の評価に一喜一憂しない剛毅な胆力が、この問題を解決する現実的な方法です。

また、「常に話題の輪の中に入っているだけが『集団に忠実な一員としての振る舞い』ではない」という、新しい集団文化も必要でしょう。「グループの会話にいつも入っていないと仲間外れにされる」というのは、その裏に「夏休みだから時間があるはずなのに、グループの輪に入ってこないということは、オレたちと積極的に付き合おうという気がないってことだ」と思われたくないという気持ちが見え隠れします。

「グループ活動に参加しない=グループを軽視している」というのは、ムラ社会的発想であり悪い意味での「日本の伝統」です。なかなか解決は難しいかもしれません。しかし、集団への「貢献」は費やした時間だけではありません。旅行に行ったのであれば、その分お土産を多めにするといった「補償」があればよいでしょう。実際、大人の人間関係においては、時間的不足があれば「何か別のもの」でそれを補うものです。大人たちの役割は、決して「ネット上での人間関係は、しょせん擬似的なもの」だなんて本質を見誤った説教をして子どもたちに呆れられるのではなく、むしろ「大人の胆力、大人の人間関係」を情報提供することでしょう。
posted by 管理者 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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