>> 改正派遣法が成立 派遣社員の働き方、どう変わる?改正派遣法が成立しました。8月31日づけ「安保法制反対大規模デモ――「日本人は釣られた」」でも触れましたが、今回の改正は大改正であるにも関わらず、安保法案の陰に完全に隠れてしまいました。
北川慧一、編集委員・沢路毅彦
2015年9月12日03時04分
過去2度も廃案になり、政府が「三度目の正直」で国会に出していた改正労働者派遣法が11日、衆院本会議で可決、成立した。企業は人を代えれば派遣社員を使い続けられるようになった。働き手からみると、3年ごとに職を失う危機に陥りかねない。1985年の制定以来となる大転換だ。
(中略)
派遣社員の働き方は大きく変わる。最も影響するのは、これまで派遣期間が無制限だった26業務の人たちだ。
(中略)
これまでは3年を超えて派遣社員として働くことができた。だが、今後は派遣会社で無期雇用されている場合を除いて、同じ部署での勤務は3年まで。女性は今年に入って派遣先から「3年後にはやめてもらう」と通告を受けた。法改正を理由にされたという。<<
率直に言って、安保法案よりも改正派遣法の方がよっぽど人民大衆の経済的要求に密着した「唯物論」的な問題です。それに比べて「憲法9条に基づく平和国家を守れ!」なる安保法案反対論(反対論がこれだけではないのは百も承知ですよ)は、いわゆる「観念論」的な主張です。とくにマルクス・レーニン主義の日本共産党のような経済還元主義者たちが、改正派遣法よりも安保法案に熱を上げていたのには、違和感を感じざるを得ませんでした。
もっとも私は、チュチェ思想の立場から経済還元主義には反対なので、こういう「観念論」は嫌いではありません。社会変動は決して経済的動機・経済的要求だけではなく、現実の生活の中から生じてくるさまざまな思いや願いも含んでいると考えています。マルクス・レーニン主義者が「唯物論」の名の下に、「生活の要求=経済的要求」と短絡的に図式化してしまったのは、近代共産主義運動における大きな誤りでした。本来、唯物論を社会分析に導入するということは、「宗教やイデオロギーの枠ではなく実際の労働者階級の生活そのものに立脚せよ」ということのハズですが、いつの間にか「資本主義社会の生産様式だけを分析せよ」に摩り替わってしまいました。人民大衆の自主的要求の分析に経済的理由・経済的構造の分析が必須の要素になるのは当然ですが、それを万象の根源であるかのように主張するのは誤りです。真相は、すべてが相互作用的に存在するのでしょう。
一般の生活者が「憲法9条に基づく平和国家」を口にするとき、そこには経済的動機・経済的要求はないと見てよいでしょう。ひたすらの良心であると思います。これは素晴らしいことであり、経済還元主義者に対する強力な反例であるといえます(自称「科学」なので反例に握り潰すんでしょうけどw)。そんな社会的うねりのヘゲモニーを握ろうとしていたマルクス・レーニン主義の日本共産党。
今回の彼らの行動こそが、マルクス・レーニン主義の経済還元主義に基づく活動が、人民大衆の要求に即していないどころか、もはや自分たちをも満足させられないものであることを明らかにしたのではないかと思います(※1)同時に、経済還元主義から脱したまではいいものの、物事の優先順位・注力バランスを誤ったがゆえに、「改正派遣法が安保法案の陰に完全に隠れてしまった」という事態をもたらしたという点において、「人民大衆の生活にもとづく真の唯物論」ではなく、「単なる観念論」に後退してしまったこともまた、明らかになったと思います。
※1
1960年代・70年代における共産党は、人民大衆の福祉的要求に対して「独占資本の甘言」などと断じていました。そしてそれは今も撤回・自己批判していません。自分たちのイデオロギー的枠に当てはまらない要求であれば、いかに人民大衆の生活に立脚した要求であっても、正面から否定するのが今も脈々と継がれている共産党のDNAであると言って間違いないでしょう。