>> 私がデモに行く理由 なぜ動いたか、若者3人に聞いた「国内の人権を守らないといけない状況で、なぜ安保法案なのか」。同感です。で、あなたが安保法案に気を取られているうちに、労働者の生活に密接な改正派遣法が成立しました。あなたもあなたで優先順位か違ったのではないでしょうか?
朝日新聞デジタル 9月8日(火)19時33分配信
国会で政権が安全保障関連法案の成立を急ぐ中、街頭で若者のデモが日常の景色になりつつある。政治に無関心と言われてきた若者が、なぜ動き出したのか。記者が出会った3人に聞くと、それぞれの経験に根ざす政治への違和感が、日本の将来への危機感にまでふくらんでいた。
■夢追える社会じゃない
「未来の子どもたちが何のおびえもなく学業や仕事に励めない。どこが成熟した国と言えるのか」
(中略)
バイト先では、正社員でもつらい現実を垣間見る。消費税や軍事費は増え、教育や福祉には十分にお金が回らない。「国内の人権を守らないといけない状況で、なぜ安保法案なのか」
周りには政治を「考える暇がない人が多い」。政権があいまいな説明を繰り返すのは、国民につけこんでいるのだと思う。「素人だって社会のことはわかる。専門家じゃないと判断できないわけじゃない」
国会前でデモをする大学生たちに会った。法案の問題点や民主主義を説く大学教授の講演も聞いた。高校生の時よりずっと強く、大学で学びたいと思う。 <<
この時点で「ちょっとなあ」ですが、「素人だって社会のことはわかる。専門家じゃないと判断できないわけじゃない」。「素人」は決して誇るものではありません。
似たような概念に「庶民」がありますが、「庶民」と「素人」は、まったく異なります。庶民が声をあげることに意味があるのは「生活現場の専門家」であるからこそです(私が「ミクロ的対応」の重要性を繰り返し述べてきましたが、この立場からです)。こうした意味での前者が声をあげることには意味がありますが、後者が声をあげることには意味はないでしょう。引用記事における「素人」、すなわち「専門家の対立概念としての素人」というのは、率直に言って、思いつきで物事を述べているのと変わらず、無意味です。
もちろん、素人の思いつきが専門家への影響という形で意味があるかもしれませんが、それはあくまで専門家が居るからこそです。また、「無知であるからこそ先入観なく物事をみることが出来る」という側面もあるでしょう。しかし、それも意味ある主張をしようと思えば、「素人」であり続けることは出来ません。
「素人」を誇る言説は、定期的に現れるものです。特に「反権威」的な文脈で出てくること多く、甚だしくは文化大革命もその一種でした。しかし、無知が誇りになることはあり得ませんし、意味をもつこともありません。あってはならないことです。