2015年10月08日

「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る

>> 「何をぬかしとるんや、コラァ!」 アリさん引越社幹部の「恫喝」が物議

J-CASTニュース 10月5日(月)20時6分配信
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コメント欄に、NPOほっとプラス代表理事で聖学院大学客員准教授の藤田孝典氏のコメントが寄せられています。今回は、この言説について考えてみたいと思います。まずは例によって引用から。
>> 藤田孝典 | 2015/10/05 23:13
NPOほっとプラス代表理事 聖学院大学客員准教授

日本全体で労働組合の活動が弱まっているため、団体交渉、労使交渉の経験がないか、未熟な経営者が多いのだと思います。

日本の労働組合活動の復権は、今回の派遣ユニオンのように、すでに始まっており、労働者を無視した企業や業界の理不尽な経営体制からの転換を促しています。そして下手な対応をすれば大損害になります。

ワタミ、すき家などとの組合交渉はあまりにも有名な話ですが、他にも個別に解決や和解、労働協約の締結まで成果が出始めています。

このような劣悪な企業対応は一部ではなく、他にも多く存在しています。
ぜひ労働者はユニオンなどの新興の労働組合と一緒に困ったら団体交渉や問題解決を始めてほしいと思っています。

われわれブラック企業対策プロジェクトでも、総合サポートユニオンを結成しました。気軽に相談にお越しいただきたいと思っています。
おかしな企業体質を放置せずに責任をとっていただきたいと思います。
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■「いやなら辞めればいいじゃん」路線と「ブラック企業」という悪評が決定打
さて、藤田氏がいうように、「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のでしょうか? 藤田氏は「ワタミ、すき家などとの組合交渉はあまりにも有名な話」としていますが、チュチェ103(2014)年10月6日づけ「最後の決定的な部分は下から積み上げてゆくこと」でも触れたように、ワタミ、すき家のケースにおいては「いやなら辞めればいいじゃん」路線と「ブラック企業」という悪評が最終的な決定打になっています。これは、ワタミやすき家の労働環境を告発したという点では労働組合の作用は大きかったことは認めますが、「あんなところで働きたくないよ」とか「もうイヤだから辞める!」という、労働者ひとりひとりの個人的判断が、あたかもベクトルの合成のような形で社会的なうねりとなったのです。少なくとも、ワタミやすき家のケースにおいては、決して労働組合が団体交渉したから企業側が折れて労働環境を改善したのではなく、ブラック企業という悪評が立ってしまい人材が集まらなくなったので、企業側が労働環境の改善に取り組むようになったのです。事態の本質を見誤ってはなりません。

※後述するように、労働組合等がまったく無意味だというわけではなく、たとえば過労状態等で判断力が低下している労働者が迅速に安全に退職できるための支援者としての役割として、労働組合等の存在意義はあると考えています。

■市場経済と評判、インセンティブ
市場経済における「評判」は決定的な作用をもたらします。財市場での品質・会社体質の「評判」は、「あんな商品は買いたくないなあ・・・」という消費者心理を喚起し、結果的に「売り上げ(需要)減」につながります。それは行く行くは「経営危機」をもたらしますが、まともな商売人であれば危機感を感じるので、品質改善に取り組むものです。それが競争的市場の基本原理であり、実証的事例は枚挙に暇がありませんが、これは財市場に限らず、労働市場にも当てはまるでしょう。すなわち、労働市場におけるブラック企業という「評判」が、「あんな会社では働きたくないよ」という労働者心理を喚起し、結果的に「求人応募(供給)減」につながるのです。そうすれば、人材が集まらなくなった企業においては「経営危機」が発生します。まともな商売人であれば危機感を感じるので、それがインセンティブとなって、労働環境の改善に取り組むものです。ワタミやすき家のケースはその教科書的事例です。

■「嫌だから辞める」路線こそが社会変動の核、「評判」という形で広報されることこそが後代の為
そうした事実を踏まえると、藤田氏の「おかしな企業体質を放置せずに責任をとっていただきたいと思います」というキメ台詞に違和感を感じることでしょう。藤田氏は、労働組合とともに団体交渉をすることこそが、おかしな企業体質に立ち向かうことであり、私のような「嫌だから辞める」路線は「放置」であり「責任をとって」いない、と言うのでしょう。しかし、「嫌だから辞める」路線は「放置」になるのでしょうか? 社会的害悪なのでしょうか? 「嫌だから辞める」路線こそが昨今の社会的うねりの主動力である現実を見据えれば、これこそが最終兵器であるといえると思います。そして、そうした一人ひとりの行動が「評判」という形で広報されることこそが、後代の為にもなるのです。

■労組運動の危険性――企業側への依存度を下げ、企業側の労働需要独占の立場を掘り崩さなければならない
団体交渉と労働協約についてさらに考えてみたいと思います。後述するように、私はこれらを全面的に否定するものではなく、意義のある部分もあると考えていますが、労働組合関係者がしばしば見逃す致命的危険性については、重ねて指摘しなければならないと考えています。すなわち、チュチェ103(2014)年8月3日づけ「「ブラックバイトユニオン」は逆効果――やればやるほど資本家への依存を高める」やチュチェ104(2015)年9月23日づけ「「ブラックバイト」の域を超えているのに「団体交渉」を申し込むブラックバイトユニオンの愚」などで何度も指摘してきたように、団体交渉・労働協約は、労働者の自主化にとって逆効果になり得るのです。

労働者が真の意味で自主的になるためには、企業側に足許を見られないために特定の勤め先に対する依存度を下げることが必要です。なぜ電力会社が一般電力消費者に対して殿様商売ができる(できていた)のかといえば、他に売り手がいないからです。なぜ、自動車メーカーが下請け工場の部品をふざけた値段にまで値切ることができるのかといえば、他に買い手がいないからです。他に売り手/買い手相手が居ないとき、買い手/売り手は、売り手/買い手に対して依存的立場・弱い立場に置かれます。前述の競争市場の基本原理に対して独占市場の基本原理です。

労働者は同時に一企業でしか働けないのに対して、企業は同時に複数の労働者を雇用し得ます。いくら労働者が束になったところで、労働者が「できればその企業で勤め続けたい」という願いを前提として団体交渉に臨んでいる限り、最終的には企業側の掌の上に居続けます。企業は需要独占者の立場に居続けます。ミクロ経済学における「価格弾力性」を思い浮かべてください。ミクロ経済学によれば、需要者に対して供給者の価格弾力性が硬直的であった場合、たとえそれがマーシャリアン・クロスが成り立つ非独占・非寡占の市場であっても、取引の主導権は需要者側にあるといいます。分かりやすくいえば、「生活必需品でない商品は買わなくても消費者は困らないが、それしか商材のない生産者は何とかして売り切らなければならないので、結果的に値切り交渉・在庫処分安売りセールが起こりやすい」と言えばよいでしょう。これと同様に、「できればその企業で勤め続けたい」という労働者(労働供給者)の願いは、ミクロ経済学的には「需要者に対して供給者の価格弾力性が硬直的」と解釈できます。これはすなわち、こうした前提で臨む限り、団体交渉における労働者の立場は弱いということを示します。

■代替財の存在こそが依存度を下げる――辞職・転職カードが重要
価格弾力性の決定要因は代替財の存在の有無です。代替財があればその商品にこだわる必要は無いので、価格弾力性は弾力的になります。代替財がなければ何としてでも取引を成立させなければならないので、価格弾力性は硬直的になります。

ミクロ経済学的考察に基づけば、労働者の立場と為すべきことも見えてくるでしょう。真に交渉力を持つためには、「辞めるよ?」という脅しが必要なのです。「辞めるよ?」と言える立場は、代替財を確保している立場です。「辞めるよ?」と言えない立場で、団体交渉等によって企業側から「譲歩」を勝ち取りその利権を自らの生活に組み込むことは、特定の勤め先に対する依存度を上げることに繋がります。労働者階級が自主的であるためには、労働需要者としての企業を競争的な立場にしなければならないのに、「辞めるよ?」と言えない立場で、団体交渉等に臨むというのは、労働者階級自らが企業の「労働需要独占者」としての地位をさらに強化させていると言っても過言ではありません。自分から労働市場を独占化させてどうするんですか。

■補助的な役割としての団体交渉の意義はある
もちろん、「パンがなければケーキを食べればよい」という言葉があるように、現実的にはそう都合よく代替財が現れるとは限りません。マクロ経済学の祖であるケインズが正しく指摘したように、「長期的には我々は皆死んでいる」のです。そういう意味で、補助的な役割としての団体交渉の意義は十分にあると私も認めます。しかし、それはあくまで補助的な役割以上のものにはならないと思います。

■そもそも、いくら要求運動を展開してもブラック企業が改心するはずがない
率直に言って、ブラック企業が改心するはずがありません。そうした企業は経営センスが無いか、他人を踏み台にすることを厭わない社風かのどちらかです。これはそう簡単に治るような病ではありません。団体交渉等で譲歩を勝ち取ったとしても、ブラック企業は巻き返しを耽々と狙っており、労働者が一時期の利権を自身の生活に組み込み、企業に対する依存度を上げたとき、企業の「労働需要独占者」としての立場がさらに強固になったタイミングを狙って逆襲しようとするでしょう。そうしたブラック企業に対してはやはり、労働者一人ひとりの「嫌だから辞める」を前提にし、依存度を下げ、「労働需要独占者」としての立場を切り崩すことを基本に据える必要があります。それを基本し、それを援護する範囲においてのみ、労働組合の存在意義はあるでしょう。

■関連過去ログ
そうした意味での労働組合の役割については、チュチェ103(2014)年8月3日づけ「ユニオンが転職支援する大きな意味――「鉄の団結」は必要ない」や、チュチェ104(2015)年6月5日づけ「派遣労働問題の本質は自己決定権行使・自主権行使の問題」、チュチェ104(2015)年9月23日づけ「「ブラックバイト」の域を超えているのに「団体交渉」を申し込むブラックバイトユニオンの愚」の後半部で述べている通りです。【追記】10月15日づけ「周囲の助けを借りつつ「嫌だから辞める」「無理だから辞める」べき」においても、判断力が低下した過労状態等の労働者が迅速に安全に退職できるための支援者としての役割として、労働組合等の存在意義について論じました。【追記おわり】
posted by s19171107 at 02:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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