朝鮮労働党は、自主性を擁護する思想であるチュチェ思想を基礎に朝鮮民主主義人民共和国の政権を担っています。「自主」は私の思考の原点であり、その意味で朝鮮労働党は私の師であるといえます。では、「師匠」は自主性の実現のためにどうするべきかと教えておられるのでしょうか? 党創建記念日を記念して、キムイルソン主席がチュチェ66(1977)年12月15日に行った「인민정권을 더욱 강화하자」をご紹介します。
http://www.uriminzokkiri.com/index.php?ptype=rozak&no=199
>> 김 일 성拙訳は以下。
인민정권을 더욱 강화하자
조선민주주의인민공화국 최고인민회의
제6기 제1차회의에서 한 연설
1977년 12월 15일
(中略)
근로인민대중은 력사무대에 등장한 때로부터 력사의 주체로서 모든 사회적운동의 중심에 서있지만 어느 사회에서나 그의 지위와 역할이 같은것은 아닙니다. 사회가 계급으로 갈라지고 국가가 생겨난 다음부터 사람들의 지위와 역할은 국가주권을 쥐였는가 못 쥐였는가 하는데 따라 결정되였습니다.
국가주권은 정치적지배권이며 사람들의 지위와 역할을 규정하는 기본요인입니다. 착취사회에서는 국가주권을 쥔 착취계급만이 지배권을 가지고 모든 권리를 행사하며 국가주권을 쥐지 못한 근로인민대중은 아무런 자유와 권리도 못 가지고 오직 착취와 억압의 대상으로만 됩니다. 근로인민대중은 주권을 자기 손에 틀어쥔 사회주의사회에서 비로소 국가와 사회의 참다운 주인으로 됩니다. 사회주의사회에서는 근로인민대중의 자주적권리가 완전히 보장되고 그들의 창조적위력이 남김없이 발양되며 사회의 모든것이 근로인민대중을 위하여 복무합니다.
혁명은 자주성을 위한 투쟁이며 자주성은 국가주권에 의하여 보장됩니다. 사람들의 자주적권리는 국가주권에서 집중적으로 표현되며 따라서 근로인민대중이 자주성을 완전히 실현하려면 무엇보다도 정권의 주인으로 되여야 합니다. 근로인민대중이 자기 손에 주권을 쥐고 국가와 사회의 참다운 주인으로 되여야 혁명과 건설에서 나서는 모든 문제를 성과적으로 풀어나갈수 있습니다. 혁명에서 주권에 관한 문제가 기본문제로 되는 리유가 바로 여기에 있는것입니다.
(以下略) <<
キムイルソン最近、当ブログでは、「自主権の問題としての労働問題」という基本原則にもとづき、労働問題に関する記事を公開していますが、上記の主席の見解は、労働問題においても示唆に富んでいるといえるでしょう。
人民政権をいっそう強化しよう
朝鮮民主主義人民共和国 最高人民会議 第6期第1次会議において行った演説
1977年12月15日
勤労人民大衆は、歴史の舞台に登場したときから歴史の主体としてすべての社会的運動の中心にいましたが、どんな社会でもその地位と役割が同じというわけではありません。社会が階級に分かれ、国家が生まれてから人々の地位と役割は国家主権を握っているか否かということによって決定されました。
国家主権は政治的支配権であり、人々の地位と役割を規定する基本要因であります。搾取社会においては国家主権を握った搾取階級だけが支配権を持ってすべての権利を行使し、国家主権を握ることができない勤労人民大衆は、いかなる自由と権利も持つことができず、ただ搾取と抑圧の対象となるだけです。勤労人民大衆は、主権を自らの手におさめた社会主義社会において初めて、国家と社会の真の主人となります。社会主義社会においては、勤労人民大衆の自主的権利が完全に保障され、創造的な力が余すところなく発揚され、社会のすべてが勤労人民大衆のために服務します。
革命は自主性のための闘争であり、自主性は国家主権によって保障されます。人々の自主的権利は国家主権において集中的に(端的に)表現され、ゆえに勤労人民大衆が自主性を完全に実現させるには、何よりも政権の主人にならなければなりません。勤労人民大衆が自らの手に主権を握り、国家と社会の真の主人になれば、革命と建設において生ずるあらゆる問題を成功裏に解決してゆくことができます。革命において主権の問題が基本問題となる理由は、まさにここにあるのです。
以前にも述べましたが、日本における労働運動は、結局は「お代官様への請願」の域を脱していないと言えます。それは、運動の目的が「要求実現」のレベルに留まっており、資本家の所有権・分配権・指揮命令権を意識していない点にあります。それどころか、「要求実現の方途」さえも資本家側に丸投げにしているケースもあります。こんなことでは、永遠に資本家の都合に振り回されることになります。
勤労人民大衆は、真の意味で自主的になるために特定の勤め先に対する依存度を下げると同時に、現在の勤め先において力を持たねばなりません。それは、所有権・分配権・指揮命令権といった典型的な「権力」とともに技術力、統率力、ノウハウといった「実力」も持たなければなりません。実力のある社員には誰もが一目おきますよね。朝鮮民主主義人民共和国においても、人民政権の強化とともに技術的実力の強化に努めています。
このようにチュチェ思想の立場から現代日本の労働問題を考えると、既存労働組合の「闘争スタイル」の「他力本願」っぷりが目立ちます。特に「実力」が話題になることがほとんどありません。本気でやる気あるのかな?