2016年03月18日

市場経済しかあり得ないからこそ、正しい市場観の確立が労働問題の解決においても必要とされている

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160224-00004333-bengocom-soci
>>> 「持病への配慮なく、握力6キロまで低下した」元トラックドライバー女性が会社を提訴
弁護士ドットコム 2月24日(水)19時56分配信

ヘルニアを持病として抱えているにもかかわらず、会社に負荷のかかる業務を続けさせられた結果、右手の握力が極度に低下する後遺症が残ったとして、元トラックドライバーの女性(44)が2月24日、東京都内の運送会社(港区・新橋)を相手取って、休業損害や後遺症の慰謝料など約2460万円を求める訴訟を東京地裁に起こした。


(以下略)<<<
コメント欄。
>>> これを全て会社の責任にするのはどうかと思う。ヘルニアで自身に限界を感じ取った時点で転職等考えるべきだったね。
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全て」と限定化している点、一見して一理あるようには思えます。しかし、やはり会社の責任と言わざるを得ないでしょう。

労働契約も契約の一種ですから、「いやなら契約しなければよい」「いやなら別を当たればよい」というのは、市場の原則に則った主張です。しかし、たとえば、一般の商取引において次のようなケースが発生した場合、どう考えるべきでしょうか?

納期や品質を全く守らない業者、あるいは、キチンと納品したのに代金を払わず踏み倒そうとする顧客がいるとします。そうした場合、悪徳業者に対して買い手は発注しなければよいし、不払い顧客に対して売り手は受注しなければよいというのは一面として正しい選択です。しかし、だからといって悪徳業者/不払い顧客が免罪されるわけがありません。悪徳業者に対する買い手/不払い顧客に対する売り手の自己防衛行動とは全く別の次元において、悪徳業者/不払い顧客は義務を果たしておらず、それは相手方の自己防衛行動の如何に関わらず、取り締まりの対象になります。これは、市場経済の基本原則です。

労働契約における安全配慮義務も、全く同様に、市場経済の基本原則が通用します。「ヘルニアで自身に限界を感じ取った時点で転職等考えるべき」というのは、あくまで労働供給側の自己防衛行動です。それとは全く別の次元において、労働需要側には安全配慮義務が生じるのです。もし、労働供給側が無理をしていたとしたら、労働需要側がそこに歯止めをかけねばなりません。逆も然りです。それが市場経済を根本において支える、アダム・スミスが言うところの公平な観察者です。

当ブログでは、自主権の問題としての労働問題を、市場メカニズムの力を用いて解決する方向で検討を重ねています。私は基本的に市場メカニズムの調整能力・未知解探査能力を信頼しています(無邪気な信奉ではなく、場合によっては、偉大な首領の領導が必要とも思っています)。昨今の労働問題に対する世論は、だいぶ市場活用型になってきたと認識しています。よい方向だと認識しています。しかし、どうも市場メカニズム・市場経済に対する基本的認識が少し足りないきらいもあるように思われます。現時点、市場経済以外に可能性はありません。正しい市場観の確立が、労働問題の解決においても必要とされています
posted by 管理者 at 02:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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