>>> 「保育園落ちた」 待機児童数最多の世田谷区長を直撃■元社民党代議士の左翼観念論者世田谷区長がもたらす官製特権・官製格差――「分かち合い」の精神は何処へ?
TBS系(JNN) 3月21日(月)18時59分配信
「保育園落ちた」というネット上の書き込みで注目される待機児童問題。全国で一番深刻な自治体が、東京の世田谷区です。実は、今の区長、待機児童問題の解消を掲げて再選した人物なんです。一体なぜ公約を守れないのか、区長を直撃しました。
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世田谷区の保育園の入所希望者は定員の2倍以上。つまり希望者の半分以上が子どもを保育園に預けられない状態ですが・・・
「待機児多いって、それは大変申し訳ない状況があるんだけれども、そこの質を少し落として、もう量で抱え込むよというふうにした途端、やっぱり子育て環境全般が劣化していくんじゃないだろうかということの方がやっぱり心配」(保坂展人 世田谷区長)
多くの子どもを受け入れた場合、保育園での事故が起こる可能性も高くなるとして、世田谷区は園児5人に対し、保育士が1人という国の基準よりも手厚い規定を設けています。保坂氏は「保育の質は絶対に譲れない」と話します。
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「例えば仮に世田谷区だけがものすごく待遇がいいよと。そこで保育士は確保できるかもしれないけども、他の自治体が悪いというような、これはまずいと思いますよね」(保坂展人 世田谷区長)
待遇の差が自治体によって大きくなると、保育士の求人に偏りがさらに生じる可能性を保坂氏は指摘しました。参議院議員選挙を念頭に、与野党が待機児童対策を競う展開になりましたが、実効性のある政策を打ち出せるのは、どの政党なのか。問題がクローズアップされてから1か月、与野党の幹部からは中身が大事だという声があがり始めています。
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記事中で紹介されている保坂区長の「意地」は、社会的にどういう影響をもたらしているのでしょうか? なんと言っても、保育園入園の切符を手に入れることができた一部区民の子弟に対しては一定の水準の保育が「特権」として提供される一方で、不運にも保育園に入園できなかった区民の子弟は、待機児童の立場に追いやられているのです! 保坂区長が「国の基準よりも手厚い規定」にもとづく「保育の質」にこだわるために、その皺寄せとして、他の地域であれば享受できるはずの「国の基準」レベルの保育が受けられない区民がいるのです。
限られた資源しかないとき、果たして「この人にはフルに与えるが、その分、あなたに皺寄せさせてもらう」という方法論が社会通念的に通じるでしょうか? 「申し訳ありませんが、すこし我慢して、あちらの方にも分けてあげてください」というのが資源が足りない時にこそとるべき分かち合いの精神なのではないでしょうか? どうしても「理想の保育園」を維持したいなら、その当選枠から漏れた人に対しては「理想には及ばないでしょうが、少しでも足しになれば・・・」として次善の策を提供するのも、政治・行政の役割ではないのでしょうか?
もちろん、「これ以下を認めるとなると、ごみ屋敷での保育も可能になってしまう」というのならば、「絶対に譲れない」のは理解できます。しかし、世田谷区の場合、「国の基準よりも手厚い規定」であり、それは単なる区長の信条です。まったく人為的な不足です。元社民党代議士の区長がもたらす官製特権・官製格差!
■質と量を両立させるのが「行政の責任」ではなかったのか、量を増やすと質が低下するものなのか
そもそも、「子育て環境全般が劣化していくんじゃないだろうかということの方がやっぱり心配」「保育の質は絶対に譲れない」のであれば、その両立の道を探っていくのが政治・行政の役割であるはずです。少なくとも、保坂区長の古巣;社民党は、いまだってずっとそういい続けています。
また、「量を増やす」ことが「質を落とすこと」なのでしょうか? 新規参入の拡大で解決できそうな問題なのに、そうした方法論を意地でも取らないで問題解決を図ろうとする以上、必要量を政治・行政が自前で用意するのは、彼らの逃れられない責任です。それが出来ないなら参入を認めるべきです。責任を果たせない輩がゴチャゴチャと言い訳を並べて居座ってはならず、その座を明け渡すべきです。実現できない理想を語っても生活者は満足しません。生活者は、実現しない理想論などには興味はないのです。ご自分の観念論にあくまでこだわり、ご自分の目に入ってくる範囲内さえ良ければ、それで良いのでしょうか? まるで体制末期のチャウシェスク状態。ブカレストのデパートに商品が溢れていれば問題なしっ!
■イデオロギーに固執した旧共産圏計画経済における硬直化の轍を踏んでいる左翼観念論者世田谷区長
この状況、まさに共産圏におけるマルクス・レーニン主義の教義に基づく計画経済の硬直化の過程と瓜二つです。共産圏では既に1960年代には計画経済では国民の諸費生活を向上させるには不十分・非効率であることが明らかになってきており、各国で改革が模索されていました。しかし、結局それは頓挫しました。ソ連のブレジネフ指導部が計画経済の原則に教条的だったためです。たとえば東ドイツでは、興味深い改革を推進していたヴァルター・ウルブリヒトはソ連の支持を失って失脚し、エーリッヒ・ホーネッカーが後継者の座に座りました。彼の「原則に忠実」な指導下、東ドイツ経済は低迷の道を歩むようになりました。あくまで観念でしかない「理想」「原則」にこだわるにあまり、「忍耐」や「次善の策」をとることも必要さとれる政治・経済の運営が硬直化してしまったのです。
■責任転嫁に走る左翼観念論者世田谷区長
これだけでも十分に酷い、しかし、旧社会党・社民党の人間らしい発想ですが、次のくだりは一種の責任転嫁までしている点、さらに悪質かつ社民党的です。
>>> 「例えば仮に世田谷区だけがものすごく待遇がいいよと。そこで保育士は確保できるかもしれないけども、他の自治体が悪いというような、これはまずいと思いますよね」(保坂展人 世田谷区長)まったく問題を感じません。世田谷区が保育士に好待遇を提示してヘッドハンティングを展開すれば、近隣の渋谷区や品川区、港区だって黙ってはいないでしょう。好待遇提示の労働需要競争が始まるだけです。まことに良いことです。そのせいで渋谷区で保育士の労働供給が減ってしまうのであれば、渋谷区民の子弟にも保育園入園の門戸を開放すればよいし、遠く足立区あたりで保育士不足が激しくなれば、世田谷区の支援で足立区の保育士を確保してあげればいいだけです。東京都が調整に乗り出してもいい、国が腰を上げてもよいでしょう。市場競争の好いトレンドを人為的に増幅し、補完することは経済政策の王道。必要なことでしょう。
待遇の差が自治体によって大きくなると、保育士の求人に偏りがさらに生じる可能性を保坂氏は指摘しました。 <<<
■「可能性」を危惧する割には、「現実の問題」を無視する左翼観念論者世田谷区長
そもそも、「保育士の求人に偏りがさらに生じる」ことは、あくまで可能性でしかないのに、「まずい」のでやらず、現実として発生している「一部区民にのみ特権的に高い保育サービスが提供されている」という官製特権・官製格差はよしとする、その違いはいったい何なのでしょうか?
■左翼観念論者をトップに据えるとテンプレ的にこうなる
あれこれ理由をつけて、あくまで観念論を固守しようとし、その批判に対して、妙な「平等論」を展開する保坂区長。左翼観念論者をリーダーにするととんでもないことが起こるという、共産圏で実証されたことが、世田谷の地で再現してしまっています。
なお、「元社民党の保坂展人氏」などと他人の過去の経歴を云々するのは批判もおありでしょう。私自身、あまり好きではありません。真の自己批判を行った人に対して、過去をほじくるべきではありません。しかし、保坂区長の社民党離党は、区政上の技術的な問題であり、社民党の理念を捨てたがゆえの離党ではありません。この文脈で「元社民党の保坂展人氏」と呼ぶことについては問題ないと認識しています。