私の「若さ」が証明されました!
それにしても、意味不明な論評ですねえ・・・現代ブルジョア退廃文化、ここに極まれり。
それに対する「若者」の健全な思想意識に、日本の将来は意外と暗くないのかなと思ったり。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakatoshihide/20160402-00056138/
>>> 若者ほど、「不倫」や反体制を責める私も「不倫=悪」という認識であり、石田純一の「不倫は文化」発言は、もはや論評にも値しないくらいの馬鹿馬鹿しい発言であると考えています。
田中俊英 | 一般社団法人officeドーナツトーク代表 2016年4月2日 17時42分配信
(中略)
■「不倫が悪」の意味
「情報」観はシビアで真っ当なものの、その情報を下支えする「規範」に疑いを抱くことは少なくなっているようにも、僕には思える。
たとえば、昨今芸能ニュースを賑わせる「不倫」情報などに対しても、不倫が悪いということをそれほど疑うことはないようだ。
不倫は、倫理に反するといういう意味だから、時の倫理観が「浮気もたいしたことない」というものであれば、悪いことではない。
逆に、ロマンティクラブ・イデオロギー(男女の二項対立に基づく伝統的恋愛観や恋愛行為を支える思想)に裏打ちされた異性愛とその制度化(結婚)を疑わないという姿勢を受け入れていれば、不倫が不倫として悪いものになる。
不倫とはそれだけ相対的なものであり、タレントの石田純一さんが「不倫は文化」と言った背景には、こうした相対主義を前提とした感覚もあるだろう。
当然、時の倫理を踏みにじってしまうと傷つく人々がおり、世間はそうした傷ついた人々(たとえばオトタケ氏妻やゲス極エノン氏の妻)の味方をする。
「世間」の人々の個別体験の中では不倫も実際に行なっている人がいるかもしれないが、世間の倫理に従って「不倫=悪」といっていれば無難なので、個別体験や個人的倫理観は秘密にして、世間の常識に乗って行く。
その、世間の常識に乗り、そうした常識を伝播していく時に役立つのが、日本人のほぼ全員が持つ携帯でありスマホなのだ。
(中略)
が、世間は(特に若者は)本を読まない。また、マニアックなサブ・カルチャーに接する機会が少ない。その結果として多様な価値(不倫は別に悪くない、学校なんて行かなくてもいい等)を知らず、社会規範を自明なものとして受け入れる。
言い換えると、現代の若者は、スマホの普及により社会規範を相対化できず、当たり前を当たり前として受け入れる。
社会規範のあやふやさを問うロック・ミュージックや小説や映画に接することなく、「不倫はダメだろ!!」という常識を受け入れている。
皮肉なことに、「若者はロックに向かう」という時代はSNSやネットがない時代だからこそ成立した事象であり、スマホの普及により常識や規範を前提化するSNS時代においては、ロックは若者を中心に消費する文化ではなくなった。
若者ほど、「不倫」や反体制を責める時代なのだ。ネトウヨが若者に多いのも納得できる。★
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その石田氏ですら、生涯の後半になり――いろいろ振り返って考え直したのでしょう――「不倫は文化遺産」として封印を宣言しました。また、「不倫は文化」などと言っていた時代について、家族に与えた苦痛を反省するようなことを公共電波で述べるようになっています。
なぜ、「不倫=悪」なのでしょうか。それは要するに「信頼に対する裏切り」だからです。「あなただけ」などと耳元で囁きながら、裏ではそれとは正反対の行動を取っている・・・類としての存在である人間の根幹は、信頼であり愛です。人間の根幹に反する行動を取りながらも、それは「悪」でないというのならば、いったい何が「悪」なのでしょう? なんだか紅衛兵の戯言を聞いているような気すらします。
田中俊英氏によると、「不倫=悪」の構図は「社会規範のあやふやさ」を踏まえていないということになるそうですが、信頼に対する裏切りは、果たして「社会規範のあやふやさ」の範疇に入るのでしょうか? 単なる「世間の常識」に留まるのでしょうか? もし、本気でそう思っているのであれば、田中氏の精神の貧困に哀れみを感じざるを得ません。というより、そういう反社会的性格の人物が、私たちの共同社会で生活していることは、脅威以外の何者でもありません。裏切りを許容する社会規範は存在しません。人間の類としての存在性を考えれば、存在するわけがありません。
また、田中氏は「逆に、ロマンティクラブ・イデオロギー(男女の二項対立に基づく伝統的恋愛観や恋愛行為を支える思想)に裏打ちされた異性愛とその制度化(結婚)を疑わないという姿勢を受け入れていれば、不倫が不倫として悪いものになる。」などと言いますが、私の周りで、あくまで左翼イデオロギーに基づく事実婚形態を固守するカップルの例(母数は、「片手では数えられない数」)を見ると、彼・彼女らは、「結婚制度」は「ブルジョア文化の残滓」として拒絶するものの、「人間同士の愛と信頼」は、むしろより貴重に見なしています。現代結婚制度に反対し、事実婚形態を固守する「狂信的左翼」ですら、「人間同士の愛と信頼」は絶対に譲らない。果たして田中氏の精神は、どういう人間の精神なのでしょうか?
田中氏は、「ネトウヨ」に無理矢理、話をこじつけています。更に意味不明度が上がる文脈ですが、ネトウヨって「戦後民主主義」にたいする反体制派ですよ。彼らは、「サヨク」を「反体制」だから責めているのではなく、「サヨク」こそが現代日本を堕落させている「現体制」であり、そうした連中から「日本を取り戻す」と息巻いている人々です。自民党ネット工作員とネトウヨを混同していませんか?
現代の若者は、決して単純に、「「不倫はダメだろ!!」という常識を受け入れている」わけではないでしょう。その結論が常識と偶然一致していたからといって、単に常識を無批判に受けて入れているわけではありません。むしろ、若者の自主的判断の結果、常識的結論に至ったのであれば、それはすなわち、常識こそが正しいということの証左です。
常識に対して短絡的に突っ張るほど、現代の若者は愚かではありません。むしろ、「若者はロックに向かう」時代の連中こそが、現代の退廃的社会文化を作り上げた戦犯です。そうした「みっともない年上たち」と一線を画する現代の若者たち。人間の本質をあくまで譲らない断固たる立場。「愛と信頼」という、人間として決して妥協してはいけない部分を守り抜くその姿勢に私は「日本の将来は意外と暗くないな」と希望を感じています。
若者は、反体制を責めているのではありません。「反体制」を自称するエスタブリッシュメント、もはや自分たちこそが「体制」の核心階層になっているにも関わらず、いまだに反体制を気取っている連中に、若者は反対しているのです。いまや、かつての「反体制派」こそが、新しい反体制のうねりの挑戦を受けているのです。「体制派」として打倒の対象になっているのです。
「若いなあ」「青いなあ」という萎れたご意見もあるかもしれません。しかし、偉大な領導者;キムジョンイル同志は次のように指摘されています。
>>> ただ自分勝手に暮らすのは、自由ではなく放縦である。放縦を個性の自由とするなら、そのような自由は動物の生活と変わるところがない。 <<<
>>> 青春時代は新しいものに敏感で、正義感に燃え、美しいものを志向する情感に富んでいる時代であり、旺盛な知識欲と探求心が沸き起こり、新しいものを発案し創造する情熱的な時代である。 <<<
>>> 革命家は肉体的に老いても、精神的に老いてはいけない。 <<<人間、恥を知るべきです。