2016年04月07日

自称「革命家」の観念的時間感覚と、生活者の現実的時間感覚;日本共産党の数年以内の認可保育所「緊急」増設

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-04-06/2016040601_02_1.html
>>> 2016年4月6日(水)

党が「保育」緊急提言
30万人分認可増設 10万円賃上げ
小池氏ら会見

日本共産党の小池晃副委員長・政策委員長は5日、国会内で記者会見し、大きな政治問題となっている保育所の待機児問題に関する緊急提言を発表しました。認可保育所の緊急増設と、保育士の賃上げなど労働条件を改善する根本的対策を緊急に行う内容です。高橋千鶴子衆院議員と田村智子参院議員が同席しました。

 小池氏は、問題の根本に認可保育所が決定的に足りないこと、保育士の労働条件が劣悪であることを指摘。安倍内閣の緊急対策は「規制緩和と詰め込み、保育内容の切り下げを行うもので公的責任を放棄するものだ」と批判しました。

 第一の提言として、30万人分の認可保育所(約3000カ所)を数年で緊急増設することを示しました。

 子どもの発達・成長の権利を保障し、保護者が安心して預けられる要求にこたえることを強調。▽国や自治体が先頭にたって保育所をつくる▽土地確保の国庫助成制度をつくる▽公立保育所に対する新たな国の助成制度をつくる▽地域の保育ニーズを正確につかんで対策をすすめる―ことを提起しました。


(以下略) <<<
私は、先日公開した、元社民党代議士で現世田谷区長である保坂展人氏の左翼観念論を批判する記事でも述べたように、「規制緩和=保育の質の低下」という左翼の前提は支持していませんし、引用部分最終段落の箇条書きに至っては、まさに出来る見込みのない「前衛観念」の最たるものであるという認識です。もっとも、「公営保育所以外は認めない!」と言わないだけ、昔よりは少し進歩したとは言えるかも知れません(流石に公営原理主義経済は諦めたんでしょうか?)。

しかし、たとえ日本共産党の主張の方向性が正しくとも「数年で緊急増設する」というくだりは、どうしても擁護することはできません。その「数年」の間の保育は、いったいどうなるのでしょうか? 卑近な表現に言い換えれば、「明日の保育」「来月の保育」「今年の夏の保育」は、誰に頼めばよいのでしょうか?

小池会見の詳報記事も参照しましたが、以下のような記述しかなく、結局、今日明日は勿論のこと、3ヶ月や半年といった生活者の立場においては「長期間」と言うべきスパンでも明快な方向性は提示できていません
>>> (略)

30万人分(3000カ所)の認可保育所を緊急に増設する
 ――待機児童問題は、認可保育所の増設で解決することを原則として確立する

 1点目は、認可保育所を緊急に増設することを大原則にして、30万人分、約3000カ所の認可保育所を緊急に増設することです。

 当面の緊急対策も、認可保育所が建設されるまでの一時的な措置であり、保育士の配置など「保育の質」を確保するということを明確にしなければなりません。

 安倍政権の緊急対策は、「質の低下は仕方がない」というものです。しかし、子どもの発達・成長の権利を保障すること、保護者が安心して預けられるというのはギリギリの要求であり、当然の願いです。この願いに向き合うことなしに問題は解決しません。

 日本共産党は、緊急の目標として、30万人分、約3000カ所の認可保育所を数年程度を目途に建設することを求めます。1970年代には10年間で8000カ所の認可保育所をつくった経験もあり、その気になればやれる課題です。

 実際の保育ニーズを国や自治体が把握していないので、「これで十分」というわけではありません。あくまで緊急の課題として、少なくとも数年のうちに整備しようという提案です。


(略)<<<
また、数年以内の認可保育所大増設の現実性について、日本共産党は「1970年代には10年間で8000カ所の認可保育所をつくった経験もあり、その気になればやれる課題」などと評価していますが、1970年代と2010年代の社会経済構造に関する「科学の目」の分析がまったく欠如しています。それでいてその気になればやれる課題」とは、もはや観念論という他ほかありません。

もっとも、「二十一世紀の早い時期に民主連合政府を実現する」という「気長」な構想に比べれば、「数年程度を目途に」など、直近の計画になるのでしょう。それが日本共産党の「時間感覚」なのでしょう。時間の基準を遠い将来を思い描く観念に据えてしまうと、どうしてもこういう感覚になってしまうものです。しかし、それは人々の、生活の現実に根ざした時間感覚ではありません

「偉大な革命」による社会改造は今日明日のうちには成就しませんが、人々の生活は今日も明日も不断に続きます。そうした人々の生活上の欲求に応える「生活主義」の立場に立てば、「生活者は、『遠大な構想』ではなく『直近のパッチ対応』を求めている」と言うべきでしょう。そして、仮に「遠大な構想」を立てたとしても、それはあくまで「直近のパッチ対応」の積み重ねの上に花咲くもの、決して「革命的なもの」ではなく「漸進的なもの」になるほかありません。たとえ一見して「革命的激動」に見えるものでも、水が水蒸気に「革命的に」変化するのと同様に、不断の蓄積(水→水蒸気の場合、熱エネルギーの蓄積)があってこその事象です。

課題が生活に密接に関わるものであればあるほど、「革命」の出番ではなくなるのです。

ところで、日本共産党の「緊急提言」がこのような内容であるということは、生活者の時間感覚においては、もはや規制緩和以外に待機児童問題を解決する方法論はあり得ないということになるのでしょうね。財源的裏づけが皆無の主張である点において日本共産党の提言は現実的には無理筋ですが、そうした無理筋を声高に主張する日本共産党ですら、なんら提示できなかったのですから。
posted by 管理者 at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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