2016年04月18日

熊本大地震への支援から見る日本社会の再集結;前近代的なムラ社会への回帰としてではなく、個人主義の長所を取り入れた形態

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160418-00000079-jij-soci
>>> 定休日も相次ぐ義援金=週末の来客、5倍近く―銀座熊本館

時事通信 4月18日(月)16時10分配信

 熊本県のアンテナショップ「銀座熊本館」(東京都中央区)には18日、定休日にもかかわらず義援金を届ける人の姿が相次いだ。

 
 同店は月曜が定休日だが、入居するビルの1階受け付けに義援金の箱を設置し、職員も配置した。

 義援金を届けに来た都内の主婦(52)は友人が熊本県に住んでいるといい、「力になりたいと思って来た。こういう時なので店が開いていれば良かった」と残念そうに話した。

 熊本県東京事務所の堀敦博くまもとセールス課長(50)によると、地震直後の週末16、17両日は、通常の週末の来客数の5倍近い約6000人が詰め掛けた。16日の開店時から義援金の箱を設置したが、18日昼ごろまでの集計で総額約430万円の義援金が集まったという。堀課長は「支援してくださった方には感謝の気持ちでいっぱいです」と話した。 
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日本において大規模な地震災害が起こったとき、しばしば、「略奪事件がまったく起こらない」ことが国際的に稀有な事象として取り上げられます。それも確かに重要かつ、誇りとしてよい日本社会の成熟度を示す事実ですが、それ以上に、「普段はお互い干渉しない、一見すると無関心なんじゃないかと思うような関係性でありつつも、ひとたび重大な困難が発生すると、いちはやく助力の手が差しのべられる」点にも、世界的にみて稀有な日本社会の成熟度が現れていると思います。

すなわち、世界的にみると、「コミュニティー同士の共助の輪は強いが、普段から相互の干渉が多い『ムラ社会』」のケースか、あるいは、「普段からの相互干渉は少ないが、非常時にもお互いを省みることのない『バラバラ社会・無関心社会』」のケースのどちらかであることが多いといえます。それに対して、今回の一件を通して日本社会を見ると、「『ムラ社会』でもなく『無関心社会』でもない社会」「個々人が適度な離合的人間関係の距離感と集団的人間関係のバランスを保っている社会」と言えるでしょう。

これは集団主義的社会と個人主義的社会の両方を経験しないと至り得ない社会的意識です。前近代的な村落共同体においては「人格的に独立した個人という位置づけ」はないので、「適度な離合的人間関係の距離感」を体得するのは難しいものがありました。

では、近代的な都市社会になれば自然と人格意識的に成熟化するか(したのか)といえば、むしろ逆であると言わざるを得ません。歴史的に見て、村落共同体から近代都市社会への移行による「近代的個人」の登場は、否応なしの産業化によって村落共同体が強制的に解体されたことによって発生した事象なので、十分な主体的準備がないままに進行しました。社会経済の変化に対して思想意識の変化が追いつかず、アンバランスが発生したのです。

そのため、当初の「近代的個人」は、啓蒙主義者が言うような立派なものではありませんでした。「人格的に独立した個人」というよりは「バラバラに分断された元村民」というべきであり、そこには、「お互いに過度に干渉し合わず、お互いに無関心にもならない」という意味での「個人」の人格意識的成熟性はありませんでした。それは、近代都市社会における「無関心化」の基盤になりました。
人間は本質的に「バラバラ」であり続けることはできません。日本社会も急激な都市化によって「無関心化」が広がりました。その後遺症はいまも根強いものがあります。しかし、今回の一件を見るに、日本社会はそうした「バラバラ」を少しずつ克服し始めている、それも、前近代的なムラ社会への回帰としてではなく、個人主義の長所を取り入れた形での「日本社会の再結集」が始まっているように思います。

もちろん、東日本大震災への支援が5年たって風化し始めている点は、まだまだ「再結集」が不十分であることを認めざるを得ません。。。

そんな中で、日本共産党がやってくれました。
http://getnews.jp/archives/1446665
>>> 共産党・香西かつ介氏 募金を「熊本の被災地救援、北海道5区補選支援、党躍進のためにありがたく使わせていただきます」とツイートし炎上

DATE:2016.04.17 20:04 BY:Taka


(以下略)<<<
日本共産党員のことですから、「三橋派緑の党のように募金の用途を偽っているわけじゃないから問題ない!」とか言ってきそうですが、そういう問題ではないんですよね。一つの目的に専念すべき時と場所において、それとは異なる別の目的を持ち込むことが間違いなんですよ。要するに「あなたは今日、ここに何をしに来たんですか? 被災地救援ですか? 党勢拡大ですか?」という話なのです。

日本共産党は、「党勢拡大」が第一目標・自己目的化している集団です。こういう、特殊社会の論理を最優先にする一種のカルト的集団こそが、これからの日本人・日本社会の「再結集」において主要な障害になるでしょう

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posted by 管理者 at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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