>>> 舛添氏公私混同疑惑 不信任案成立へ 全会派が賛同、舛添氏「辞職」を受け入れず公私混同。猪瀬氏とは比べ物にならない、一番アカン事案です。たとえ法律的には問題ない(そもそもザル規制だし)にしても、政治世界の視点としても勿論ですが、「他人の財布でコッソリと、ステークホルダーの同意を得られないような自己利益を図る」という意味では、経済・経営の視点からでも擁護することはできません。以前、ホリエモン氏が舛添氏擁護の言説を展開していましたが、ムショで何を勉強していたんでしょうね?
産経新聞 6月14日(火)15時22分配信
東京都の舛添要一知事の政治資金「公私混同」問題で、都議会自民党は14日、舛添氏の不信任決議案を提出することを決めた。都議会の全会派が不信任に賛同しており、不信任案が成立する。都議会が閉会する15日の本会議で審議される見通し。舛添氏は不信任案の可決後、10日以内に辞職か、都議会解散の選択を迫られ、解散しない場合は自動的に失職する。
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このまま、「なるほど、それは政治活動だ」と誰もが納得できるような支出であったと弁明できなければ、舛添氏が辞任不可避になるのは当然です。「私は悪くない!」「これは政治資金。使途は自由だ!!」として、都民の信を問いたいなら問えばいいでしょうが、結果は見えているでしょう。だって都民が一番、「舛添やめろ」って言ってるんだから。
ちなみに、「ヨハネによる福音書」のくだりが最近、ちょっとした流行りのようです。女に石を投げる話。教養があって冷静な雰囲気を醸し出せるので、インテリっぽく見えるからでしょうか? しかし残念ながら、我欲の塊、煩悩の塊である人間が一定の組織を形成して社会を成立させるには「タテマエ」が必要です。幾ら似たり寄ったりのことをしている人が多くとも、舛添問題をスルーするわけには行かないのです。「バレたのが不運」というのは、あながち間違いとは言い切れないかも知れません(こういうのって、学校教育段階での「校則の存在と校則破り」を通じて学ぶことだと思いますがね)。
ところで、ふと思ったのが、「これが石原慎太郎氏だったらどうなるだろう?」ということ。チュチェ96(2007)年の都知事選シーズン、都議会共産党が、石原氏による公権力を用いた身内への利益供与をすっぱぬきました。どうも事実だったようですが、にもかかわらず、結局、石原氏は、民主党(当時)候補と共産党候補の得票数を大きく上回り、得票率で50%以上を獲得して完勝しました。つまり、石原氏の公私混同問題は、石原氏の政治生命・知事生命にはまったく影響しなかったのです。
たぶん、今回の件の登場人物が石原氏だったら、圧倒的に少数派の都議会共産党・都議会民進党が幾ら騒いでも、なんてことなかったでしょうね。
さらに思い起こせば、橋下・元大阪市長が「風俗発言」で失速した一方で、石原氏はもっとヤバい発言を連発しても決して落選しませんでした。石原慎太郎とは一体何者なのか・・・舛添問題の本筋とはまったく関係ありませんが、へんに思い出してしまいました。
ちなみに、舛添氏が辞任したら、政治の注目点は一気に参院選に移るでしょう。おそらく、「政治家の公私混同にたいする監視の目が甘かった」という、有権者側の「落ち度」は、またしても省みられないでしょう。たぶん、3年もすれば、次の都知事が似たような問題を起こしていますよ。経費の濫用なんて程度の差こそあれ、あちこちでやっているんですから(http://diamond.jp/articles/-/92654)。腐敗した権力者も、非権力者も、根底の倫理観・思想意識レベルでは同じ人間です。ショボい流用をするような人間は、権力を握るようになれば、その権力レベルに応じた流用をするもんです。