>>> <ベビーシッター>無届け野放し 規制強化も実効性なく無届けベビーシッター問題。一昔前であれば、市場メカニズムへの基本的な事実解明的理解(「である」の理解)が乏しいこともあって、「規制強化をすべきだ!」といった言説が横行していたでしょう。しかし、最近は風向きが変わってきたようです。
毎日新聞 6月28日(火)7時20分配信
インターネットでベビーシッターと親を仲介する「マッチングサイト」の登録者の大半が、今年4月から個人シッターに義務付けられた都道府県への届け出をしていないことがサイト運営者への取材で分かった。シッターを名乗る男に預けられた男児が死亡した事件を受けて制度が改正されたが、サイト側に対する規制がないこともあり、実効性を伴っていない実態が明らかになった。【宇多川はるか】
(中略)
だがガイドラインに法的拘束力はなく、5運営者は新制度を知りながら届け出をしていない登録者がいるとした。届け出の有無が分かるよう表示しているサイトもあるほか、2運営者が無届けの人の登録を消す意向を示し、別の2運営者は仲介成立時に届け出の有無を確認するとした。一方で「マッチングサイトへの規制を強化すれば、質の悪いシッターは闇サイトに流れるのではないか」と指摘する運営者もあった。
厚労省の担当者は「シッターの指導監督権は自治体にあり、届け出を促してもらうほかない」としている。これに対し、ある自治体の担当者は「どの自治体が掘り起こし、届け出を促したら良いのか判断できない」と説明した。
専門委の委員長を務めた松原康雄・明治学院大学長(児童福祉論)は「無届けシッターの情報を掲載するサイトの規制は難しい。自治体が優良サイトに補助金を出したり、利用者に推薦したりしながら、質の低いサイトを市場から駆逐するしかない」と話す。
◇質の確保、対策が急務
(中略)
だが、そもそも個人シッターに特別な資格は必要とされておらず、行政のチェックも行き届いていない。ある運営者は「届け出の有無では安全かどうか判断できない。自治体が面談などをして質をチェックしたうえで、研修などを通じてフォローを続ける仕組みにしてくれれば」と提案した。保育実績や事故時の保険の加入状況などを自治体などが審査すべきだという指摘も出ている。
質の低い個人シッターがネット上に居残り続ければ、再び事件が起こりかねない。子どもの安全を守るために、シッターの自己申告だけに頼らない仕組みを構築することが急務だ。 <<<
無届けベビーシッターへの法的規制を強化したと仮定しましょう。「マッチングサイト」への強力な行政処分ができるようになったとしましょう。記事にもあるとおり、「質の悪いシッターは闇サイトに流れる」のがオチです。
マッチングサイトは、人々が一定の「場所」に集合している点において、「いちば」のようなものです。歴史的事実が示すとおり、仮に「いちば」を規制しても、「闇市」ができるだけです。需要と供給の双方が存在するとき、「しじょう」は自生的に発生します。「いちば」の存在は権力的に根絶できても、自生的な「しじょう」の存在を根絶することは原理的に不可能です。「しじょう」は一件一件の人間関係・交渉から発生するものです。1対1の人間関係・交渉を一つ一つ検閲することなど到底できません。
「しじょう」は決して大袈裟なものではありません。「あまったから安く譲ってあげるよ」や「どうしても必要なんだ! 10000円出すから譲っておくれ!!!」といった日常的にありがちな会話は、まさに自生的な「しじょう」が誕生する瞬間です。
その点、明治学院大学の松原康雄学長の指摘は、経済学的には「半分正しい」といえます。「自治体が優良サイトに補助金を出したり、利用者に推薦したりしながら、質の低いサイトを市場から駆逐するしかない」のです。ただし、無届けシッターの情報を掲載するサイトの規制は「難しい」のではなく、「規制したところで根絶は原理的に不可能」と言うべきでした。この書き方だと、「営業の自由に触れるから」といった誤った解釈を読者に提供しかねず、バカ左翼や公営原理主義者に「子どもの命がかかっているんだ! くたばれ自由主義!」といったアジテーションの口実を与えかねません。
しかし、「自治体が優良サイトに補助金を出」すことや「利用者に推薦」することも、究極的な解決策にはなりません。前述のとおり、「しじょう」は一件一件の人間関係・交渉から発生するものだからです。「質の推薦」といった行政的措置は、一見して「しじょう」に親和的に見えますが、現実論として、基準が曖昧です。一見して、需要者・消費者の利益になるアドバイスの装いをしつつ、曖昧な理屈で需要者・消費者の自主的意思決定の眼を惑わす逆機能の影が見え隠れします。なによりも、行政の「質の推薦」を需要者・消費者が信用するかはまったく未知数です。
また、「しじょう」は単に需要と供給のマッチングを行う場所だけではありません。何がホンモノで何がマガイモノなのかを、換言すれば、サービスの質を「競争」という方法を通して審査する場所でもあります。行政は、「しじょう」を通す前にどうやってホンモノなのかを審査するのでしょうか? 結局、事前に「しじょう」での競争で明らかになった実績・評判をベースに「質の推薦」をするほかないでしょう。「しじょう」の後追いしかできないでしょう。
市場メカニズムへの基本的な事実解明的理解が間違いなく一歩進んでいます。昔ながらの権力的規制主義者・公営原理主義者の支持基盤は間違いなく掘り崩されています。しかし、新たな形態の「非『しじょう』的方法論」が生まれつつあるといえるでしょう。