手取り13万円で耐え続けた29歳の過酷体験絵に描いたようなブラック企業で、それ自体はあまり驚きを感じなかったのですが、「さっぽろ青年ユニオン」の反応の方に注目しました。編集の仕方にもよっているのかもしれませんが、ユニオンにありがちな「無い袖でも振れ」という勢いが感じられません。「財政難に苦しむ北海道内の行政を相手にした中小零細企業」という事実を前に、単なる労組運動では解決できない壁を感じているのでしょうか? この機会に、北欧福祉国家に学んでください(当ブログでも以前から言及しています)。
東洋経済オンライン
8月3日(水)5時0分配信
(中略)
ヒロシさんの会社はいわゆるブラック企業だったわけだが、そのひどさに拍車がかかったのは、今年に入ってからだという。
会社の主な取引先は北海道内の自治体や公共団体で、請け負った仕事の一部を中国など海外の安価な業者に外注していたのだが、海外発注分の製品の質が悪すぎると、取引先からクレームを受けたのだ。かといって、自治体側が契約金額を上乗せしてくれるわけではない。公的な組織からの仕事なら、安定していて一定以上の収益が保障されると思われがちだが、地方分権や地方再生とは名ばかりの国の政策の下、多くの自治体は財政難にあえいでおり、今や下請け業者の足元を見て買いたたくのは、民間企業よりも、都道府県や市町村といった地方自治体のほうだとも言われる。
結局、詰め腹を切らされたのは現場の働き手であるヒロシさんたちだった。海外業者に任せていた仕事の負担が一気に彼らにのしかかることになり、これにより、毎月の残業時間が120〜130時間に急増したのだ。今年に入ってからは2週間近く連続で出勤したこともあったし、風邪で38度の熱が出たときも出勤するよう命じられた。昼休憩も15分ほどしか取れず、トイレに行くのもはばかられる空気の中、相変わらず、残業代だけは払われなかったという。
(中略)
■ 社長から要求されたのは「命より納期」
真夏の札幌で会ったヒロシさんは紺色のスーツ姿で現れた。聞けば、就職活動の真っただ中だという。印刷会社は6月いっぱいで辞めた。
口数の少ないヒロシさんが、辞めた理由をぽつりぽつりと話してくれた。
過労死寸前の状態で働いていたあるとき、社長からこう言われたのだという。
「何時までかかってもいいから。とにかく納期に間に合わせるように」
この10年間、辞めたいと思ったことは何度もあった。しかし、同僚や後輩が1年もたずに辞めていく中、ヒロシさんだけは踏みとどまってきた。その理由を「負けず嫌いなところがあるから」だと説明するが、一方で「今、教えている新人が独り立ちしたら辞めよう」と決めていたのに、その新人に先に辞められてしまい、このままでは会社に迷惑がかかると逡巡しているうちに機会を逸したこともあったというから、責任感の強いところもあるのだろう。
なんだかんだと言って、会社で過ごす時間が自分のすべてだったし、特にこの半年間は命を削る思いで働いてきたのに、かけられたのは「命より納期」と言わんばかりの言葉だった。このときに、自分の中の何かが吹っ切れたのだという。
もうひとつのきっかけは、新聞で連絡先を知った労働組合「さっぽろ青年ユニオン」に相談をしたことだった。会社のやることなすことが違法であることがわかったとき、つきものが落ちたような気持ちになった。
このとき、相談を受けた同ユニオン執行委員の佐賀正悟さんはヒロシさんの第一印象を「話をしていても表情がほとんどなくて、精神的にもつだろうかとたいへん心配しました」と振り返る。そのうえで、ヒロシさんの働かされ方からはこんな社会の風景が見えてくるという。
「中小零細企業ほどさまざまなしわ寄せが集中していて、ルールなしの無法地帯になっています。業種を問わず、大手企業であれば、十分ではないとはいえ有休も残業代もまったくないということはあまりありません。一方で、(中小企業の)経営者も法律の知識がないというよりは、“うちには人手もカネもない。できないものはできないんだから、仕方ない”と開き直っている節がある。結局、本当にしわ寄せを食っているのはそこで働く人たちだということです」
(中略)
30歳を目前にした就職活動は予想どおりに厳しい。5社ほど面接までこぎ着けたが、いい返事はもらえていない。それでも、料理をすることが好きなので、今度は飲食業界で働きたいと夢を語る。必要最低限の家具しかない自宅に、なぜか圧力鍋があったことを思い出し、合点がいった。
(以下略)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160627-00093415-dzai-bus_all
「北欧は、「新自由主義(ネオリベ)型福祉国家」に変貌していた[橘玲の世界投資見聞録]」
また、ヒロシさんがユニオンと共に階級闘争したのかは記事からは分かりませんが、結局、経営側を反省させ、満足いく要求を飲ませることで「ルールある労務」を獲得し、第二の社員生活をスタートさせる(昨今のユニオン運動は、明らかにこのストーリーを目指しています)には至らず、退職したようです。そして案の定、再就職に苦戦している模様。ユニオンがあんなに批判していた「嫌なら・無理なら辞めればいいじゃん」に結局たどり着いた(目論見破れたり!)うえに、再就職の支援もじゅうぶんにできていない「さっぽろ青年ユニオン」に、いったい何の存在価値があるんでしょうか? ほとんど役に立ってないじゃないですか。
昨年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?;労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」などでも論じたとおり、労働者階級の自主化を目指せばこそ私は「嫌なら・無理なら辞めればいいじゃん」派の立場を取るので、要求実現運動は原則としていらないと思っていますが、他方で、ユニオンが転職・再就職支援することは重要だと思っています。「競争の強制法則」(←マルクス主義の用語です!)などのために、社会・産業構造的にわりを食いやすい立ち位置にいる中小零細企業に対して、待遇の改善を要求してもあまり意味がないというのは、このケースからも明らかです。であれば、労働者階級の自発的結社であるユニオンは、要求運動はそこそこにして、転職・再就職支援にこそ注力すべきでしょう。
まちがっても、中小零細企業に集中する皺寄せの是正を運動の中核に据えないように。片手間に声をあげるくらいは良いでしょうが、マクロ的な社会・産業構造改革にも及ぶ話なので、労組運動でどうにかなる話ではありません。
あるいは、チュチェ109(2020)年6月28日づけ「コロナ禍に始まる不況下の「買い手市場」における労働者階級の自主化闘争について」などで論じたように、労働者自身が経営に食い込むしかないでしょう。
ラベル:自主権の問題としての労働問題