>> 最低賃金の大幅引き上げ、必ずしも低所得層にメリットはないコメント欄に、「いつもの面々」の「相変わらず」なコメントが寄せられています。検討しましょう。
THE PAGE 8月15日(月)12時0分配信
安倍政権の強い意向を受け、最低賃金が大幅に引き上げられることになりました。日本の最低賃金は諸外国と比べて低かったという現実を考えると、今回の決定にはそれなりの意味があると評価してよいでしょう。ただ、最低賃金の引き上げは必ずしも低所得層にメリットをもたらすわけではありません。場合によっては、むしろ中間層に利益をもたらす可能性もあります。
(中略)
ただ、全国には5000万人を超える労働者が存在しており、最低賃金水準で働く労働者は全体のごく一部に過ぎません。しかも、最低賃金で働く労働者の実情は一般的なイメージとはだいぶ違っているようです。経済産業研究所の研究員らによる調査では、最低賃金で働く労働者の半数以上が世帯年収500万円以上となっています。つまり、最低賃金労働者の多くは、主婦のパート労働なのです。
最低賃金では、フルタイムで働いても年収ベースでは150万円程度にしかなりません。現実的に、この金額で家庭を維持することは難しいですから、最初から企業は最低賃金労働者として主婦をアテにしているわけです。
したがって最低賃金を引き上げた場合、実際に所得が増えるのは低所得層ではなく中間層の可能性が高いということになるでしょう。全体に賃金上昇が波及すれば、もう少し高い時給で働いている低所得層にも恩恵が及ぶかもしれませんが、今のところメリットの多くは中間層にもたらされることになります。
(The Capital Tribune Japan)
最終更新:8月15日(月)15時30分 <<
■ブルジョアどもには二の矢・三の矢がある――ノルマ強化へつながるだけ
>> 今野晴貴 | 2016/08/15 15:34たしかに、「最低賃金の引き上げは、主婦パートだけではなくブラック企業の正社員に大きな影響がある」でしょう。搾り取れる剰余労働量は変わらないのに、支払う義務がある必要労働量が増えれば、「競争の強制法則」に迫られたブラック経営者たちは、労働時間の延長による搾取(絶対的剰余価値の搾取)ではなく、労働強度(ノルマ)の強化(相対的剰余価値の搾取)によって対応することでしょう。時給1000円の人材に対して、2000円の成果を要求しようとも、3000円の成果を要求しようとも、支払い金額は1000円/時に変わりありません。労働強度の強化による+1000円は丸々、企業側の収益です。あるいは、限られた人員を使い潰すことによって、総人員を圧縮する方法論もあるでしょう(経験談)。つまり、ひとりひとりの労働者階級の立場に立てば、「ワリに言わない」感覚はさらに上昇することでしょう。ミクロ経済学の教科書からも、マルクス経済学の教科書からも容易に読み取れる、経済学的にはごくごく簡単な帰結です。
NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
最低賃金の引き上げは、主婦パートだけではなくブラック企業の正社員に大きな影響がある。なぜなら、飲食、小売り、介護などに広がるブラック企業の正社員の多くは最低賃金で働かされているからだ。
(中略)
このように、「月給表示」をしておきながら、実際には一時間あたりを最低賃金で計算する労務管理は、労働集約型産業に広がっている。したがって、数十円程度の最低賃金引き上げが影響を与えるのは、時給1000円前後の契約社員や派遣社員よりも、むしろ「ブラック企業の正社員」である可能性が高い。 <<
残業代不払いや低賃金労働の解消といったレベルで満足する手合いにとっては「よい傾向」に見えるのでしょうが、ある程度の経済学的知識のある人間や、あるいは、私のように、「自主権の問題」として労働問題を捉えている人間にとっては、「ますます厳しくなるぞ」という感想を禁じえません。たしかに、強度の絶対的剰余価値の搾取によって苦しんでいる労働者がいることは事実であり、最低賃金の上昇を喜ぶ気持ちも分からなくもないのですが、「ブルジョアどもには二の矢・三の矢があるんだよ!」と声を大にして述べたいと思うのであります。
あいからわず、今野晴貴氏の見解は甘っちょろいですねー
■「労働の価値」は企業側のお手盛り指標であり社会保障の基準にはなり得ない
次。
>> みわよしこ | 2016/08/15 21:09まず、「「労働の価値」である最低賃金と「人間の生活」である生活保護基準は、密接な関係」と言ってしまうところが大減点。最低賃金は「労働の価値」ではなく、「労働力の価値」というべきです。労働の価値は「成果」主義と密接な語句であり、顧客側=企業側の視点から言うものです。この文脈における「成果」とは、客観的な成果などでは決してなく、あくまでも、経営者・資本家様のお手盛り的な意味での「成果」です。労働者側がどう考えようとも、その匙加減は、顧客側=企業側の専決事項です。こんなものは社会保障の指標にはなりません。
フリーランス・ライター(科学・技術・社会保障・高等教育)
「労働の価値」である最低賃金と「人間の生活」である生活保護基準は、密接な関係にあり、さらに産業生産力とも関連しています。
やや古ですが、2010年、厚労省の最賃上昇の影響に関する調査結果(みずほ総研に委託)では、経営者側は「人件費上昇」を最も警戒。高付加価値低コスト路線への急激な切り替えが無理なら、当然です。
であれば、最賃上昇には人件費総額を上昇させないことで対策するのみ。非正規雇用の労働時間短縮や雇用削減、正社員の新規採用抑制、人件費比率の高い産業では廃業。これでは困ります。
妥当な賃金と健全な事業継続を両立するための経営者の希望は、社会保険料負担軽減、設備投資支援、人材育成・教育支援。
ならば鍵となるのは、社会保障・福祉・医療・教育・研究に対する公費投入。
大きな混乱と困難の契機となりうる最低賃金引き上げを、ぜひ、誰ものチャンスに。
その覚悟のもとの舵取りを、政府に強く求めます。 <<
たとえ、経営者・資本家がそこまでブラックでなかったとしても、やはり「労働の価値」などという言葉を使うべきではありません。労働の価値とは、「1時間当たりの産出額」と「1時間当たりの賃金額」がイコールになる点(限界生産力説)ですが、「1時間当たりの産出額」が、みわよしこ氏が言う「「人間の生活」である生活保護基準」と一致する保障などありません。やはり、社会保障の指標にはなりません。
■「労働の価値」は自主の立場からは受けられることは出来ない
仮に問題の経営者・資本家が博愛精神に富んでいたとしても、その匙加減によって「人間の生活」のレベルが決められているというのは、「自主権の問題としての労働問題」と位置づける立場としては、到底受け入れることはできません。他人の意向によってその人の生活水準が決められてしまうというのは、「自主的」とは到底言えないのです。
■労働市場の現実、労賃決定の現実を踏まえた上で、「労働力の価値」を軸に据えるべき
「人間の生活」は、経営者・資本家側が決定権をもつ「労働の価値」原理が労働需要曲線(限界生産力に基づく労働需要)を、労働者側が決定権をもつ「労働力の価値」原理が労働供給曲線(供給曲線の本質は限界費用曲線ですからね)をそれぞれ描き、双方が労働市場において競争的に接触することによって形成されます(A.マーシャル)。A.スミス的な「公平な観察者」としての相互配慮が双方に求められるのは勿論ですが、だからといって、労働者側が「労働の価値」を意思決定の主軸にすえる必要などありません。みわよしこ氏が普段どおりの立場から「人間の生活」を論じるのであれば、労働市場の現実、労賃決定の現実を踏まえた上で、「労働力の価値」を軸に据えて論を展開すべきでした。
「労働の価値=1時間当たりの産出額」が「生活保護基準」とが一致する保障・必然性など、まったくないのにも関わらず、無用心にも「密接な関係」などと直結させてしまう甘さが、みわよしこ氏の言説には潜んでいます(私はマルクス経済学を完全には支持していない――理論的な基礎基盤はあくまで、マーシャル的なミクロ経済学とハイエク的知識論――のですが、少しくらいはマルクス的な素養を身に着けてほしいと思うのであります)。
■ブルジョア的国家機構に対して何を「求めている」のか?
また、「大きな混乱と困難の契機となりうる最低賃金引き上げを、ぜひ、誰ものチャンスに。その覚悟のもとの舵取りを、政府に強く求めます。」などと、単なる陳情に終わらせている部分も減点ポイントです。ブルジョア的国家機構に対して、ブルジョア的利益のない案件について「強く求めます」とは、馬鹿でなければ出来ない芸当です。
その点、世界最凶のアメリカ帝国におけるアクションは、示唆深いものがあります。
> 米国の貧困根絶には「職業訓練」が必須だ■ブルジョア資本主義経済での処世術
東洋経済オンライン 8月14日(日)15時0分配信
原文はこちら 2005〜2014年の間、先進25カ国では約3分の2の世帯で実質所得が横ばいか下落傾向にあった。所得を横ばいに維持した国も、税制優遇など政府の積極的な財政支援が下支えした。
米国では11月の大統領選に向けて所得格差とその配分が争点となっており、このような実態は大きな示唆を含んでいる。
米国は社会保障の多くを雇用対策に充てようとしている、世界でもまれな国だ。欧州の社会保障費は平均でGDP(国内総生産)の23%だが、米国では16%にすぎない。
■ カリフォルニア州での成功例
ただし米国では2010年に共和党カリフォルニア支部のピート・ウェバー氏が設立した「フレズノ・ブリッジ・アカデミー」のように、低所得世帯向けに職業訓練プログラムを提供して実績を上げている機関も少なくない。
同アカデミーのプログラムはカリフォルニア州の貧困地域で行われており、これまで1200世帯を支援し、今後2年間でさらに2300世帯へのサービス提供を予定している。すでにプログラムを受けた世帯の約8割で家族が新たな職に就いたり、所得を向上させるなどの成果を上げている。
この事業は、「補助的栄養支援プログラム(SNAP、旧フードスタンプ)」に基づいて助成を受けている。1ドルの出資当たり22ドルの利益を創出、16ドルが支援対象世帯に、そして5ドルが納税者へと還元されている。
ウェバー氏は同プログラムにはまだ可能性があると考えており、2025年までにカリフォルニア州の100万世帯を貧困から救い出そうと計画している。
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今米国では、左派と右派の両者が既存の貧困対策プログラムにどう向き合うべきか悩んでいる。複数の推計によると、1964年に当時のジョンソン大統領が「貧困との戦い」を提唱して以来、貧困対策につぎこまれた資金は計22兆ドルを超過したが、米国の貧困率は改善せず、約15%のままだ。
右派では、ポール・ライアン下院議長が示したように、米国はすでに十分な貧困対策の支出を行っており、今後はその分配を見直すだけだと主張している。ライアン議長のプランは、あくまで経済成長を重視し、雇用創出につなげる方向を目指している。
(中略)
ブリッジ・アカデミーのように、地域社会に深く根ざしてそのニーズに対応し、効果が実証されている事業は、きちんと機能する。しかし、不幸なことに、結果にフォーカスしない全国的なプログラムによって、これとは逆の取り組みがなされることが多々ある。
■ 成果重点型への転換を
国が社会保障に取り組む際、その成果に重点を置かずに大ざっぱなプログラムを採用しがちだ。たとえば米農務省の食糧栄養局(FNS)の年間支出820億ドルのうち88%は、直接の支援であるSNAPに振り向けられているが、政府の支援を受けなくても済むような技能を人々に習得させるために充てられているのは僅か0.33%にすぎない。さらに悪いことには、こうした技能集中型のプログラムを評価するデータがまったく存在していない。
「進歩的な連邦主義者」によるプログラムは、技能集中型の支出を急増させ、評価を厳格化させるだろう。こうしたプログラムには高い基準が設定されるが、都市や州に改革を促すとともに、きちんと機能する対策へと資金を振り向けることになる。
われわれは今こそ、考え方を切り替えて思考や支出を整理し、フレズノ・ブリッジ・アカデミーのように、成果を重視した実りある取り組みを始めるべきなのだ。
(週刊東洋経済8月13日・8月20日合併号)
ローラ・タイソン/レニー・メンドンカ
最終更新:8月14日(日)15時0分 <<
ブルジョア資本主義が当面続くことは、客観的に見て間違いのないことです。これは、私も認める事実です。であれば、「ブルジョア資本主義の枠内における労働者階級福祉論=職業訓練優先型社会保障」を構築する必要があります。ブルジョア資本主義が剰余価値の搾取を目的としている限りは、労働者階級としては、使い捨てられたくなければ、上手いこと立ち回って、「労働力の省エネルギー」を達成しなければなりません。すなわち、「職業訓練による生産力の向上」と「産出能力を実態より低めに申告するテクニックの習得」です。まるで生産能力を過少申告して、軽いノルマ割り当てを目論むソ連の工場ですね(この問題は重要なテーマなので、自主の立場から後日、詳しく論じる予定です)。
そうした、冷酷であるものの厳然たる事実が、みわよしこ氏の言説からは読み取りにくい。「ならば鍵となるのは、社会保障・福祉・医療・教育・研究に対する公費投入。大きな混乱と困難の契機となりうる最低賃金引き上げを、ぜひ、誰ものチャンスに」とは言うものの、何から何まで生活保護に直結させる、みわよしこ氏の普段の言説からは、「職業訓練優先型社会保障」の構想は見えづらいものがあります。
■終わりに
今野晴貴氏と、みわよしこ氏――いずれもブルジョア資本主義の本性に対する事実に基づいた認識に甘さを感じます。労働問題・社会保障問題を専門とするならば、もっと真摯な学習を要望するものであります。
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