2016年09月03日

相対的に見るからこそ「貧困」とは言えず「普通」レベル;ムラ社会的な集団主義メンタリティーだからこそ生活水準の比較に敏感な日本人

(9月3日23時00分に加筆しました)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160903-00000016-mai-soci
>> <貧困>「貧乏人らしく」女子高生たたきの大誤解

毎日新聞 9月3日(土)9時0分配信

 貧困について語り、NHKニュースで取り上げられた女子高生に対するバッシングが止まりません。そこには「貧困」の基準を巡る大きな誤解があります。人々の貧困への視線を読み解きます。【NPO法人ほっとプラス代表理事・藤田孝典】


(以下略)<<
■プロのスリカエ・コジツケ技術
NPO法人ほっとプラス代表理事の藤田孝典氏が、「貧困女子高生」問題に参戦してきました。思ったよりも遅かったですね。

当ブログでは以前より、労働問題に関する藤田氏の見解を取り上げて批判してきました。事実の意図的な無視と、無理矢理なコジツケの挙句に珍妙なる言説を結論に持ってくる人物であると見ています。
チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る
チュチェ105(2016)年2月22日づけ「「労働市場を通した自主化の高まり」の前に空しく響く「要求実現型労組活動家の訴え」

労働問題と貧困問題は密接に関わる問題なので、今回、遅ればせながら参戦してきたのでしょう。今回も、「女子高生に対するバッシング」などと最初からトンチンカンなことを言い、例によって珍妙な言説を展開してくれています。検討してゆきましょう。
>> (前略) ネットやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)には今も「貧困をたたいてるんじゃない、貧困のふりをしてることをたたいているんだ!」「映画やランチを楽しんでいるのに貧困? 支援? ふざけるな」「NHKは捏造(ねつぞう)をやめろ」といった声があふれています。

 18日放送のニュースで女子生徒は、母子家庭の経済事情で専門学校進学をあきらめたことを明かしました。

 アパートの部屋に冷房がないこと、パソコンの授業のために母にキーボードだけを買ってもらって練習したことなど、番組は母と2人暮らしの女子生徒の暮らしぶりも伝えました。その映像にイラスト用の高価なペンが映ったことから、女子生徒のものとされるツイッターが特定され、1000円の昼食を食べていたこと、好きな映画を見に行っていたことが攻撃されました。

 女子生徒をたたく人たちは、「彼女は本当の貧困ではない。飢餓寸前になるまで助けるべきではない」と主張しているように見えます。
(以下略)<<
女子生徒をたたく人たちは、「彼女は本当の貧困ではない。飢餓寸前になるまで助けるべきではない」と主張しているように見えます。」などと、誰も言っていないことを、あたかも盛んに言われているかの如く言及する点、労働問題に関してコメントを寄せているときと同様、大切なところを想像で補完してしまっている藤田氏の「平常運転」っぷりが見て取れます。相変わらずのスリカエとコジツケの手際、プロの仕事です。

■相対的に見るからこそ「貧困」とは言えない
そして藤田氏は次のように続けます。最近流行りの「相対的貧困」に言及しています。
>> (前略)ここに、貧困問題を考える上で重要なポイントがあります。

つまり、「貧困とはどのような状態を指すのか」「貧困であるかどうかを決めるのはいったい誰か、そしてその基準は?」という問題です。

 ◇その社会の「普通の暮らし」ができているかどうか


(中略)

 ◇「支援を受けたいなら貧乏人らしくしろ」は傲慢だ

 ところが、今回の貧困バッシングでは、女子生徒の1000円ランチがたたかれました。「貧困であることをアピールし、支援を求める高校生がランチに1000円もかけるとは何事か」という偏狭な批判です。貧困なのだから映画を見てはいけない、アニメグッズをそろえてはいけない、と求める批判者は、支援されるべき貧困を「絶対的貧困」と考えています。そして、「貧しい者は貧しくしていろ」という懲罰的態度を無自覚に相手にぶつけています。
(以下略)<<
その社会の「普通の暮らし」ができているかどうか」が相対的貧困を考えるポイントだとしています。これ自体は正しい指摘です。では、うららちゃんのケースは如何なのでしょうか?

藤田氏が当記事を公開するに先立ち、武蔵大学社会学部の千田有紀教授が、類似した論調の記事を公開しています。その記述と、それに対するフェイスブック上のコメントが、この問いに対して端的に分かりやすい検討材料を提供しているので、ご紹介しましょう。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sendayuki/20160825-00061485/
>> 女子高校生をバッシングしてはいけない―貧困のわかりにくさ
千田有紀 | 武蔵大学社会学部教授(社会学) 2016年8月25日 7時29分配信


(中略)

現代の日本で、子どもの6人に1人は貧困状態にある。くだんの女子高校生の生活は、その6分の1に入る生活としては、十分ではないか。まさか「貧困」を主張するひとは、たかが1000円のランチも楽しまず、つねにお粥をすすれとでもいうのだろうか。せめてほかの同世代の若い子たちと同じようにささやかな生活を楽しむことは、許されないのか。

(以下略) <<
千田氏は、藤田氏よりも明確(感情的?)に主張しています。それに対して、以下のようなコメントがユーザーから寄せられています。
>> 一般庶民はワンコインランチで我慢してるのが現状。夢を買いたいから生活保護でギャンブルOKって、頭、大丈夫?
そんな無駄なことに税金使われるぐらいなら、真面目に暮らしてる年金生活者の年金を1円でも多く渡せるようにした方が国の為だよ。
<<
>> 事実を矮小化して擁護する手法が流行ってますなあw
千円のランチもコンサートも、それが一回や二回なら構わんよ。
でもそうじゃないだろ、ランチもそうだし、コンサートも何度も何度も行ってる。
コンサートだけじゃない、映画も舞台公演も同じ様に何度も行ってる。
しかも同じ物を何度も見に行くという、普通でも中々出来ないことを躊躇なく行っている。
そして部屋には漫画、ゲーム、DVD、アニメグッズが溢れている。
それが既に明らかになってるのに「この程度で」と言って誰が信じるよ。
<<
>> 同じ映画に5回も行ったり、2000円近いランチを頻繁に食べてたり、
7500円の舞台を観に行ったり、高いコピックを持っていたり、と豪遊できるほどのお金を持ってたり、
エアコンはしっかり持っているのに(動画をよく見てください)、「エアコンは無い」と言ったり、
PCもスマホも持っているのに(彼女が投稿したイラストはスマホとPCの両方からです)、
何にも繋いでないキーボードをカタカタ叩いたりして、現在進行でIT機器を何も持っていないかのようにミスリードしたり、
「貧困を騙った」から反発されたんですよ。
やっていることが姑息です。
いろんな記者がこの件について書き始めましたが、この程度の情報を把握されていないとは驚きますね。

別に女子高生が豪遊したから反発されたんじゃないのです。むしろ、若いころの豪遊でもこの額なら笑ましいレベル。
<<
>> エセ人権派教授の恥ずかしい感情論。1000円のランチ食べて、コンサート行って貧困とか「お前ふざけてんのか?」と怒鳴りたい気分。学校に行きたいなまずこの出費を抑えて自炊でもなんでもしてお金を貯めるに決まってる。
この頭の良く無い教授は貧困家庭が1000円のランチ食べて、エアコンも設置してあったことをもっと論理的に話したらどう?世の中なめてるのか?
<<
一般庶民はワンコインランチで我慢してる」や「普通でも中々出来ないことを躊躇なく行っている」というコメントが目に留まることでしょう。

これらのコメントを総括すれば、「相対的に見ても貧困とはいえず、普通レベル。むしろ、相対的に見て普通の人より楽しんでいるかもしれない」ということになりましょう。藤田氏が設定した「その社会の「普通の暮らし」ができているかどうか」という設問に即して言えば、現代日本の一般人の相対的感覚によれば「うららちゃんは普通、あるいは、相対的に富裕」になるのです(まーた墓穴を掘っちゃった・・・)。普通の人を「貧困」だなんていったら(それもテレビメディアが!)反発をうけるのは当然じゃないですか。

あるいは、「支出の優先順位をつけられない人」ということになるでしょうが、それは、もはや一つの独立的な分野です。以前にも述べましたが、これを貧困と結び付けて報道することは不可能ではありませんが、事前の断り書きが必要なケースです。今回のNHK報道ではそうした断りはありませんでした。そもそも本件騒動はNHKの報道姿勢の問題ですから、やはりNHKを擁護することはできません

藤田氏は「欧州ではこうした議論が半世紀以上続き、貧困を巡る議論はすでに成熟しています。絶対的貧困と相対的貧困の混同は起きません。」などとしていますが、ちょっと恥ずかしいキメ台詞ですね。日本社会が「絶対的貧困と相対的貧困の混同」を起こしていると思い込んで、「無知で未熟な日本人に新しい舶来の概念を教育してやる」などと息巻いていたら、一般庶民のほうが感覚的に物事を理解していたわけです。もともと日本人はムラ社会的な集団主義メンタリティーだから「生活水準の比較」には敏感なんですよw

■「貧困バッシングだ」などと強弁するのならば、「妬み」や「アリとキリギリス主義」に正面から立ち向かえ!
うららちゃんの件が「貧困バッシング」ではないというのは、既に何度も何度も指摘していることですが、あえて「貧困バッシング」という問題設定に乗っかった上で率直に述べると、生活保護バッシングをはじめとする昨今の「貧困バッシング」の根底には「なんでアイツだけ」という妬みに近い感情や「アリとキリギリス」的な思想があると私は見ています。Yahooニュースのコメント欄などをもっとよく観察してください。ムラ社会的な集団主義メンタリティーをもつ日本人の思考回路を把握してください。「社会的強者が社会的弱者をイジメている」なんていうのは、思い込み・観念論の範疇です(まあ、「貧乏人の妬みのせいで社会保障の前進が妨げられている!」などと正面切って言えないのは、立場的に分かりますけどねえ・・・)。

藤田氏や千田氏を筆頭に、今回の騒動で「相対的貧困」を持ち出す人々は、「一般庶民はワンコインランチで我慢してる」という事実を直視した上で、無理に一般庶民の「妬み」が混じった反発を受ける「相対的貧困層への支援問題」として論を進めるのではなく、広く「生活水準の全体的底上げ、一億再中流化」という文脈で運動を展開したほうがよいのではないかと思うのであります。「底上げ」だったら、それほど文句は出ないでしょう(もちろん、そもそも今回のNHK報道に「相対的貧困」の概念を持ち込むほうが間違いですし、上述のとおり、持ち込んだがゆえに更に墓穴を掘ったわけですが・・・)。

■大切なところを想像で補完し、大切な論点から逃げる藤田氏
なお、藤田氏が「傲慢だ」などと言っておきながら、それについては深くは言及せず、「16世紀英国の貧者隔離思想」という過去における極端な例・現代ではほとんど実存しない言説(いったい誰が現代日本において、うららちゃんを「懲役にも近い形の収容所」に送り込めって言っているんですかねえ?)でお茶を濁しているのは、たいへん残念なことです。思い込みではなく事実を見据えて、正面から戦ってほしいものです。

再度になりますが、私の「自主の立場」(8月22日づけ記事で言及)を再掲しておきます。
http://rsmp.seesaa.net/article/441267791.html
>> (前略)

「貧困家庭代表」は誰が決めるのかについて述べておきましょう。自主の立場から言えば、本人の認識と社会の承認の二本立てでしょう。率直な意見交換の後に形成されるものです。ここで重要なのは、どちらか一方が断定的に定義できるものではないということです。社会の側が「おまえは貧困ではない」と押し付けることも、個人の側が「私は貧困です」と言い張ることも不適当です(もし、相対的貧困問題の場合であれば尚更でしょう)。

(後略) <<
一般庶民はワンコインランチで我慢してる」という声を踏まえた上で、私も「貧困の相場」を考えてゆかねばならないと考えています。藤田氏も、過去における極端な例・現代ではほとんど実存しない言説を持ち出して判断から逃げるのではなく、想像による補完ではなく事実を正面から認識した上で、提案していただきたいと思います。

(。。。言えば言うほど新しい墓穴堀っているなあ、擁護論者。。。)
posted by 管理者 at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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