>> 坂口杏里、AV出演の背景に"ホスト狂い" 母の遺産を使い込んで背負った借金の額■自らの人生の主人としてのビジョンと責任をもった自主的な職業選択だったのか
週刊女性PRIME 9月5日(月)17時30分配信
(中略)
「もともと寂しがり屋の杏里だけど、小峠さんという大人な彼と一緒にいるうちは、気持ちは安定していたんです。でも、彼と別れてからはまたひとりぼっち。
もともと、小峠さんと付き合う前から、ホストクラブで遊んだりしていたけど、彼と別れてからは入り浸るようになった。
(中略)
ホストにハマるのと比例するように、杏里の仕事は徐々に減っていく。そんな、彼女にアダルトビデオ業界が目をつけたのは、自然の流れだったのかもしれない。
「精神的に不安定になっていた彼女だけに、口説くのはそう難しくなかったようです。この1本の出演料は1億2000万円とも1億4000万円とも言われていますが、本人の取り分は2000万円前後とか。
一般的にモデルの取り分は7割程度なので、この金額は少なすぎます。それでも借金を消したいがために、引き受けたのかもしれませんね」(AV業界関係者)
(以下略) <<
最近のAV業者はもっぱら「最近の女優はみんな志願者なんです!」と繰り返していますが、その「志願」の内実がコレだったとしたら(仮定ですよ〜)、「どんなもんなのかね」と言わざるを得ないでしょう。
果たしてこの職業選択は、坂口杏里ちゃんにとって本当の意味で自主的な選択だったのでしょうか?
決して、AV業者が彼女を騙しただとか、法に触れるレベルの判断能力の低下につけ込んだとか、半ば強制的にAV女優に仕立て上げたなどと言い立てたいわけではありません。そのような証拠はまったくありません。日本には職業の自由と契約の自由があります。彼女が制限行為能力者という情報は入っていないし、法に触れるレベルの判断能力の低下があったとの情報もないので、これは正当な契約行為です。また、「転職先がAVだから悪い」だとか「AV女優は賎しい職業」と言いたいわけでもありません。誇りを持ってAVに出演している女性もいることでしょう。それは尊いことです。私はAV女優が賎業だとは思いません。
一般的に言って、精神的に不安定な状態で契約行為を行うべきではありません。とくに労働契約は、どんな職業につくにしても、精神的に安定した状態で、自らの人生の主人としてのビジョンと責任をもって、熟慮に熟慮を重ねて決定すべき性質のものです。働くということはそれだけ大切なことです。
精神的に安定した状態で熟慮に熟慮を重ねてAV女優を志願したのならば、その選択は自主的であり尊いものです。堂々と立派に勤め上げるべきです。しかし、記事を読む限りでは、そうは言い難いようです。もし、精神的に不安定な状態で下した決断であったのならば、換言すれば、自らの人生の主人としてのビジョンと責任を果たせるとは言い難い状態で下した職業選択であったのならば、この問いに対しては、大きな疑問符をつけて解答せざるを得ないでしょう。
■誰にとっても身近な問題
これはAV女優に限った問題ではなく、多くの人にとっても身近な問題です(もちろん、男性にとっても)。たとえば、就職がなかなか決まらず「とにかく就職しなきゃ!!!」と焦っているとき。精神的に動揺しているあまり、仕事内容をよく確認せずに採用に飛びつきたくなる衝動に駆られるものです。当面の食い扶持は稼げるようになるかもしれませんが、本当にそれでいいのでしょうか?
あるいは、飛びついた先がブラック企業だったり、詐欺まがい商社だったら? とくに詐欺まがい商社のケースであれば、他人に危害を加えかねません。精神的に不安定な状態で安易にも飛びついた仕事のせいで他人が傷つくこともあり得るのです。
精神的に不安定な状態でフラフラ〜っと吸い寄せられた選択は「本当にそれでいいの?」と思わざるを得ません。たとえ、転職先が「AV女優」ではなく「一般事務職」であってもそうですし、あるいは、現職を辞めずに働き続ける選択だったとしても、精神的に不安定な状態での決定であれば、「本当にそれでいいの?」と思うのです。
■当人の利益のためにアドバイスできるのは周囲の人たちだけ
法的に行為能力が認められている労働供給側の精神状態の見極め責任を、労働需要側に一方的に押し付けるつもりはありません。本件について言えば、AV業者側に、「杏里ちゃんの精神状態を十分に把握して、彼女の利益を第一に考えて契約を進めるべきだ」などと言うつもりはありません(前衛党型バカ左翼じゃあるまいし・・・)。「杏里ちゃんの親しい人たちは何をしていたんだ」と問いたい。
彼女の友人・知人たちは、おしなべて「AV女優としての活躍を期待しているよっ!」と言わず、ただただ困惑しています。法的に問題ない契約とはいえ、「AV女優への転身は彼女の利益にはならない」と大多数の友人・知人たちは思っているのでしょう(その考え方の当否についてはここでは論じません)。そう思っているのなら、「今になって困惑しているくらいなら、なぜ早くにアクションを取らなかったのか」と言いたい。法的に問題ない契約だからこそ、当人の利益のために引き止められるのは周囲の人たちだけなのです。
(いや、きっと事情はあるんだと思いますよ、こんな風に書いていますけど、一方的に責められるとはハナから思っていません。。。)
■一方で、「アドバイス」には難しさもある
「当人の利益のために引き止められるのは周囲の人たちだけ」とは言っても、もちろん難しさもあります。
以前から述べているように、私は左翼・共産党対策の経験があるので、個人的にも相談をうけることがあります。かつて、度重なる入党勧誘をうけて困り果てている人物(優柔不断なお人よしである上に、ちょっと容共的な部分がある)から「どうすればいいのか」という相談を受けました。私は「入党したければ入党すればいいし、入党したくないのなら『嫌だ』とキッパリ言ったほうがいいよ。しつこい勧誘は自主性の侵害だから」とした上で、各種勧誘撃退マニュアルをアドバイスしました。すると、「もう断りを入れた。そうしたら、『われわれは科学の立場に立っている。科学的に正しい見地から勧めているのだから、入党はあなたの利益にもなる』と言われた。どうすればいいのか。」と打ち明けられました。(想像以上のカルト宗教っぷりだった・・・)
このやりとりがあったのは、驚くべきことに21世紀に入ってからのこと。1960〜70年代ならまだしも、21世紀において「党の活動は科学的に正しい」だなんて、とんだ時代錯誤です。党員たちでさえ確信だって揺らいでいる時代です(「確信が持てない」って相談されたことありますw)。このアドバイスは、内容的には「当人の利益」とは、とても思えないシロモノですが、「当人の利益のため」に「周囲の人たち」がアドバイスしているという、構図の点に限って言えば、間違いはありません。
■終わりに
何を以って「当人の利益」と言えるのか、誰にもわかりません。周囲の人間が良いアドバイスを提供できるとは限りませんし、当人が熟慮に熟慮を重ねたとしても、それが良い方向に転ぶとは言い切れません。それでも、安定した精神状態において、社会的関係のなかで意見交換を重ね、できる限りの考慮を重ねた上で、当人自身が自らの人生の主人としてのビジョンと責任をもって決定を下すべきです。分からないなりに出来る限りのことはすべきです。今回の一件は、報道されている範囲内で事態を把握するに、「安定的な精神状態での熟慮」も「周囲との意見交換」も十分になされた形跡が乏しいと言わざるを得ません。その点だけが残念です。
ラベル:社会 自主権の問題としての労働問題