2016年10月15日

だからブルジョア博愛主義者は甘い;「労働時間の上限規制」と「インターバル規制」再論

法規制だ署名だ、って・・・だからブルジョア博愛主義者は甘いんですよ。
(※10月18日20時41分に新パラグラフ「■逃げるしかない」を補充しました。内容的には別記事の再論です。)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/komazakihiroki/20161015-00063296/
>> 電通に憤ったみんな、その怒りをこの署名にぶつけてくれ!!

駒崎弘樹 | 認定NPOフローレンス代表理事/全国小規模保育協議会理事長
2016年10月15日 17時58分配信


(中略)

【働き方改革のセンターピン】

日本で長時間労働が多い理由。それは、長時間労働が「合法」だからです。どういうことか。企業は普通、社員を週に40時間しか働かせられません。皆さんの多くは、1日8時間労働だと思います。

でも、36協定という労使協定(*)を結べば、いくらでも働かせられる。合法的に。

いくらでも?そんなバカな。いや、ほんとです。例えばワタミはかつて、過労死ラインの1.5倍、残業上限月120時間で36協定を結んでいました。そしてこれは合法でした。

長時間労働が合法なら、そりゃあ企業はやるでしょう。何が悪いんですか、と。だったら、長時間労働を違法化してしまえば良いんです。少なくともどんな労使協定があろうが、過労死ラインを超えさせてはいけません。

そんなの理想論だって?いやいやいや。実はEUでは、とっくにこの「長時間労働の違法化」はなされています。平均週48時間が法律上の上限で、違反の場合は罰則があります。そして労働生産性は、日本より高いのです。

さらにはEUには、終業から始業まで11時間休ませないといけない、という「インターバル規制」があります。おそらく夜中まで働いて、2時間しか寝れず出社した高橋さんには、インターバルはなかったでしょう。

この「労働時間の上限規制」と「インターバル規制」の導入が、働き方改革のセンターピンなのです。

【失われゆくチャンス】

そしてこの2つの規制を始めとした、働き方改革を行う千載一遇のチャンスが巡ってきました。本年9月から始まった「働き方改革実現会議」で、安倍総理自ら参加する力の入れようです。

しかし、せっかくここまできた働き方改革ムーブメントですが、急速に機会は失われようとしています。産業界からのロビイングにより、一部の閣僚が上限規制に水面下で反対し、会議メンバーの中に、上限規制反対派の民間委員も就任しました。

産業界にとっては、これまで無尽蔵だったら人的資源を制限されることへの恐怖があり、それが政治的パワーとなって働き方改革を妨げる方向に向かっているそうなのです。

【死者のために、そして子どもたちのために声をあげよう】

このままでは、おそらく改革は微温的なもので終わるでしょう。そして日本のどこかで、また若者が長時間労働にボロ雑巾のように痛めつけられ、命を落としていくでしょう。

それで良いのか。私たちはこの狂った制度を、私たちの子どもの世代に残して本当に良いのでしょうか。いつか我が子が嬉々として入社した会社に殺されてから、あああの時声をあげておけば良かった、と叫ぶのでしょうか。

少なくとも、僕は今ベストを尽くしたいと思います。(株)ワークライフバランス社長の小室淑恵さんを始めとした、働き方改革の志士たちが、法改正を求める署名キャンペーンを始めました。この署名に参加することで、意思表示したいと思います。

http://chn.ge/2dRG68V

国民の意思表示のうねりが、改革派の政治家の背中を押し、反対派の勢力の意志を削ぎます。皆さん、声を集めましょう。人の命を奪う制度を変えましょう。

それが亡くなった高橋まつりさんへの、いやこれまで過労死で倒れた幾万人の同胞たちへの、せめてもの弔いになることを願って。


(以下略) <<
(おことわり:原文での太字強調は、引用時に解除しました)
「労働時間の上限規制」と「インターバル規制」の導入が、働き方改革のセンターピン」という論点設定に呼応して、これらについて駒崎弘樹氏のブルジョア博愛主義っぷりを検討してゆきましょう。

■法の具体的数値規定が個人をキメ細かく守れるのか――「労働時間の上限規制」と「インターバル規制」
駒崎氏は「長時間労働が合法なら、そりゃあ企業はやるでしょう。何が悪いんですか、と。だったら、長時間労働を違法化してしまえば良いんです。」などと単純なアイディアを持ち出した上で、EUでの「11時間のインターバル規制」を無邪気に取り上げています。

こうした甘い思考について私は本年5月5日づけ「自主の立場から見た「勤務間インターバル制度」――内容は労使交渉で、形式は絶対的記載事項として!」で以下のように述べました。
>> 他方、階級闘争型が主張する「具体的数値に基づく強力な法規制」は、あくまで最低限の担保にしかなりません。チュチェ104(2015)年6月15日づけ「「自主権の問題としての労働問題」と「法的解決」の相性」をはじめとして以前から指摘しているように、労働者個人個人が抱えている事情は千差万別ですから、「ある種の社会的基準」にもとづく、法的解決・マクロ的対応には本質的に限界があります。その「社会的基準」によっては保護され得ない個別事情を持った個人は依って立つ所がありません。法は「12時間間隔をあければよい」と規定しても、個々の労働者によっては「14時間は必要」という場合もあるでしょう。そうした労働者が守られるためには、結局は労使交渉にならざるを得ません。また、あらゆるケースを事前に予測して法の網の目を巡らせることは現実的には不可能なので、法的規制には必ず「本件は法的保護の対象になるか」「当事者と言い得るか」という解釈の問題が発生します。労使が主張を異にし、交渉に入らざるを得なくなる場面は必ずあるのです。そうであれば、最初から労使交渉を睨んで備えるべきです。 <<
法的規制というのは、一律の規制です。10月11日づけ「長谷川秀夫教授はワタミと同じレベルの「急進左翼」――「時代」ではなく「その人自身」」でも述べたとおり、コトの本質は「その人自身」です。労働時間上限や勤務間インターバルなどを法律で具体的なに数値設定したとしても、それらの規定が一人ひとりの労働者に適合的とは限りません

法律で具体的数値を頭ごなし的に設定するのではなく、上掲過去ログでも述べたとおり、最初から労使交渉を睨んで備えるべきなのです。労使交渉を通して、労使間が現場で働いている生身の人間の実情に合った労働条件を真に自主的に設定できるようにこそすべきなのです。

法律を用意し、「これなら十分だろう」と思い込んでいる上限時間やインターバル時間を設定して「これで労働者は守られた」と思っていても、それは自己満足に過ぎない可能性があるのです。ブルジョア博愛主義者は何かと「法的規制」に走ろうとしますが、法的規制には原理的に限界があるのです。

■だれが法を執行するのか
また、長時間労働を違法化したとして、いったい誰がその実効性を保証するというのでしょうか? 通常は、「労働基準監督署」または「労働組合」という答えが返ってくるものと思われます。これらについても検討しましょう。

労基署については、10月10日づけ「秋山木工の徒弟制度――言いたいことは分かるが洗練されていない」で私は以下のように述べました。時代の変遷にもかかわらず独特の徒弟制度が安定的に脈々と受け継がれている秋山木工という企業について論じた記事です。
>> 仮に、ここで抗議メールを殺到させ、世論を盛り上げ、更に労基署の臨検が入ったとしましょう。おそらく、秋山木工の「徒弟制度」は密室化・地下化するだけでしょう。社長自身が体験した「徒弟制度」をそのまま自社の研修に取り入れ、それについて行ける人たちだけが弟子として集っているのが秋山木工なのですから、需給は一致しています。「以後の取材はすべてお断り」「関係者には緘口令」による密室化・地下化で、以後もコッソリと「徒弟制度」を維持させてゆくことでしょう

労基署は警察です。犯罪は「パトロール」だけでは摘発し切れません。「被害者の被害届提出」や「地域住民の協力」が不可欠です。しかし、密室化・地下化してしまえば、「被害届」は出ず「協力」もありません。これでは検挙は不可能です。
<<
その現場で働いている労働者自身が違和感を感じない限り、職場は密室化・地下化します。労基署は動きませんし、動けません。

産経新聞報道によると、やはり電通の企業文化が背景にあるようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161015-00000506-san-soci
>> 電通「鬼十則」背景か 東大卒エリート美女、自殺までに綴った苦悶の叫び

産経新聞 10月15日(土)20時0分配信


(中略)

 弁護士側は、電通の過労体質を指摘した上で、第4代吉田秀雄社長の遺訓とされる「鬼十則」を明らかにした。電通の社員手帳に掲げられているという十則の一部を紹介する。

 ・取り組んだら「放すな」、殺されても放すな、目的完遂までは。

 ・仕事とは、先手先手と「働き掛け」で行くことで、受け身でやるものではない。

 ・頭は常に「全回転」、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそういうものだ。

 高橋さんのメッセージからは、上司から「髪がボサボサ、目が充血したまま出勤するな」「女子力がない」と言われるなどのパワハラをうかがわせる内容もあった。


(後略) <<
電通も密室化・地下化が進んでいると思われますが、上掲部分を見る限り、多かれ少なかれ日本社会全体を覆っている「価値観」であるとも考えられます。いずれにせよ、労基署が十分に動ける「協力受け入れ態勢」は整っていないと思われます。

(10月20日22時20分追記)
10月20日づけ「人を生産手段として使うということは如何いうことであるか――何の管理もせず、ただ収益だけ持ち去る;環境破壊と同じ構図」においても、「電通社員の声」を取り上げた記事をネタに論考しています。あわせてご参照いただければと思います。
(追記終わり)

労働組合については、あまりに多く論じてきたので再掲する記事の選定が難しいのですが・・・たとえばチュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」。
>> 労働者が真の意味で自主的になるためには、企業側に足許を見られないために特定の勤め先に対する依存度を下げることが必要です。なぜ電力会社が一般電力消費者に対して殿様商売ができる(できていた)のかといえば、他に売り手がいないからです。なぜ、自動車メーカーが下請け工場の部品をふざけた値段にまで値切ることができるのかといえば、他に買い手がいないからです。他に売り手/買い手相手が居ないとき、買い手/売り手は、売り手/買い手に対して依存的立場・弱い立場に置かれます。前述の競争市場の基本原理に対して独占市場の基本原理です。

(中略)

ミクロ経済学的考察に基づけば、労働者の立場と為すべきことも見えてくるでしょう。真に交渉力を持つためには、「辞めるよ?」という脅しが必要なのです。「辞めるよ?」と言える立場は、「代わり」を確保している立場です。「辞めるよ?」と言えない立場で、団体交渉等によって企業側から「譲歩」を勝ち取りその利権を自らの生活に組み込むことは、特定の勤め先に対する依存度を上げることに繋がります。労働者階級が自主的であるためには、労働需要者としての企業を競争的な立場にしなければならないのに、「辞めるよ?」と言えない立場で、団体交渉等に臨むというのは、労働者階級自らが企業の「労働需要独占者」としての地位をさらに強化させていると言っても過言ではありません。自分から労働市場を独占化させてどうするんですか。 <<
ワタミやすき家のブラック労働が改善の方向に動きだした決定打が「無理だから辞める」によるアルバイト応募者激減であった事実一つとっても、この方法論が有用であることが分かります。もちろん、労働市場におけるマーケット・メカニズムが円滑に作用するよう、労働者階級の立場から調整することが必要であることは、以前から私も認めている通りです(今回は割愛します)。

また、そもそもの根本的な力関係(階級関係)が企業側有利であれば、労組が騒いだところで痛くも痒くもありません

類似した実例はSMAP解散騒動のときに既に見られていました。SMAP解散騒動を「ブラック企業の構図」とした上で「ジャニーズ事務所にメリー氏解任の署名を!」という運動が見られましたが、結局なにも起こりませんでした。それはそうでしょう。そんなものメリー氏にとっては痛くも痒くもないのですから。

企業とって痛みを感じさせるためには、ストライキなどの要求行為・労働争議行為では不十分です。ストライキなどは、「最終的には労働者は生産を正常化させる」ということが明白です。となれば、企業側は消耗戦に持ち込むことでしょう。また、仮にストライキなどによって一時的に「譲歩」を見せたとしても、根本的に労働者は企業の「掌の上」。企業側は巻き返しを虎視眈々と狙っているでしょう。年齢を重ねて容易には転職できなくなったり、著しい景気後退などにより労働者側のパワーが弱まったタイミングで「回収」することでしょう。企業にとって本当に痛いのは、辞められることです。「退職しようものなら懲戒解雇にするぞ!」くらいしか脅しになり得ないというのは、強力なカードなのです。

■そもそもブラック企業が改心したり法律を守るわけない
若い女性が一人死んでいます。人ひとりを自殺に追い込むような勤務を要求する企業・部署・上司が新しく法律が出来たからと言って改心したり、それを律儀に守ったりはしないでしょう。「長時間労働が合法なら、そりゃあ企業はやるでしょう。何が悪いんですか、と。」なんて甘いものではありません。ブラック企業というのは、「労働基準法なんて知らねえよ」と最初から開き直っている連中です。他人を踏み台にしても厭わないような極端な利己主義者の集合体です

チュチェ104(2015)年9月23日づけ「「ブラックバイト」の域を超えているのに「団体交渉」を申し込むブラックバイトユニオンの愚」で、「しゃぶしゃぶ温野菜」のヤクザ的労務について以下のように述べました。
>> これが事実だとすれば、もはや「ブラックバイト」の域を超えており、ただの「ヤクザ企業」です(もともとブラック企業ってヤクザ系って意味だったはずなんですけどねえ・・・)。

相手がヤクザ者であれば、選択肢は一つだけです。キッパリ縁を切る。あの手の連中、他人を踏み台にすることしか考えていない骨の髄までの利己主義者に理を説いても、心を入れ替えるはずがありません
<<
法を作ればよいと考えているブルジョア博愛主義者たちの決定的な甘さです。駒崎氏は「少なくとも、僕は今ベストを尽くしたいと思います」などとしています(キメ台詞のつもり?)。こんなのがベストだと思っているとは、おめでたい話です。

■逃げるしかない
このパラグラフは、10月11日づけ「長谷川秀夫教授はワタミと同じレベルの「急進左翼」――「時代」ではなく「その人自身」」と重なりますが、再論します。

前掲産経新聞記事にもあるように、電通の「社風」は、健全な労働環境からは程遠いものであると思われます。労基署でさえ苦労するであろう職場環境は、一社員がどうにかできるものではないでしょう。また、仮に労基署が動いたり、職場環境改善が動き始めたとしても、実際に改善されるには尚も時間が掛かります。しかし、ギリギリの状態で働いている生身の人間は、一分一秒を争っています

イジメ問題を巡って以前から述べてきたように、「逃げる」しかありません。「逃げる」ことは、先に「独占市場の基本原理」に触れた上で経済学的に考察したように、有力な手段でもあります。

もちろん、過労でうつ状態になっている労働者に自発的な「逃げ」を期待するのは非現実的です。チュチェ104(2015)年10月15日づけ「周囲の助けを借りつつ「嫌だから辞める」「無理だから辞める」べき」において、365日連続勤務でうつ病を発症した男性の「だんだん、考える時間もなく精神的におかしくなっていったのかなと思う」という発言を引用した上で、私は労働問題専門弁護士や労働組合による「脱出援護」を提唱しましたが、これは重要でしょう。

■最後に
一人ひとりの労働者の自主化を断固として掲げ、市場メカニズムを活用しつつ、ブラック企業を市場淘汰という形で「粛清」すべきです。ありもしない企業側の「改心」に期待することは、利己主義者の「愛」に期待するブルジョア博愛主義です。
posted by 管理者 at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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