>> 変わる電通、変わらない社会 22時消灯の実態を社員が証言「もう逃げられない」また佐々木亮弁護士です。「まず、法制度としては、労働時間の上限規制とインターバル規制」などと、例によって表層的な「提言」をしていらっしゃいます。
BuzzFeed Japan 11/4(金) 5:00配信
(中略)
お題目だけじゃ評価できない
専門家は、どう見るのか。
ブラック企業被害対策弁護団代表の佐々木亮弁護士は、BuzzFeed Newsのメール取材に「これだけでは変わらない」と批判的に語る。
「引き下げた事実はまったく意味がないとは言えません。でも、お題目だけを唱えても、現実が変わらなければ同じことが繰り返されます。あくまでも再発防止策の一部とみるべきで、こうした対応だけを過大に評価することはできません」
「長時間労働は業務量を調整しない限り、どこかにしわ寄せがいきます。時間だけを減らせばいいというわけではなく、業務量や従事者数などを見直さないと、現場の混乱を招くだけで、かえって労働者の負荷が増えかねません」
では、ほかに具体的な対策はあるのだろうか。
「1つで全て解決という単純な話ではないと思っています。それゆえ、やるべきことは多い。まず、法制度としては、労働時間の上限規制とインターバル規制が必要でしょう」
インターバル制とは、終業時から翌日の始業時間までに一定の間隔を定める制度だ。すでに導入をしている企業もあり、民進党や共産党などの野党4党が今年4月に提出した「長時間労働規制法案」にも含まれている。
さらに佐々木弁護士は、過労死を出した企業の企業名の公表や、使用者と労働者、双方の意識改革などが必要とも指摘。こうも語った。
「電通という日本で有数の有名企業で、1度ならず2度(実際は3度目だったようですが)までも、過労自死が起きたということは、日本社会における『働き方』というものを、各労働者に問いかけるものだと思います。いっそう長時間労働撲滅へ意識が高まるのではないでしょうか」
(以下略) <<
10月15日づけ「だからブルジョア博愛主義者は甘い――「労働時間の上限規制」と「インターバル規制」再論」で私は次のように述べました。
>> 若い女性が一人死んでいます。人ひとりを自殺に追い込むような勤務を要求する企業・部署・上司が新しく法律が出来たからと言って改心したり、それを律儀に守ったりはしないでしょう。「長時間労働が合法なら、そりゃあ企業はやるでしょう。何が悪いんですか、と。」なんて甘いものではありません。ブラック企業というのは、「労働基準法なんて知らねえよ」と最初から開き直っている連中です。他人を踏み台にしても厭わないような極端な利己主義者の集合体です。 <<いくらマクロ的・一律的規制を厳しくしたところで、それを如何に執行し、実現するのかという問題に佐々木弁護士は答えていません。しかし、それこそが今、問われているのです。
佐々木弁護士としては、記事中の「電通という日本で有数の有名企業で、1度ならず2度(実際は3度目だったようですが)までも、過労自死が起きたということは、日本社会における『働き方』というものを、各労働者に問いかけるものだと思います。いっそう長時間労働撲滅へ意識が高まるのではないでしょうか」というくだりがそれに対する「答え」のつもりなのでしょうか? 法制度が整備され、労働者の権利意識が高まれば、弁護士への依頼が増え、裁判でシロクロつけることが出来るようになるだろうというストーリーなのでしょうか? こういうのこそ「観念論」というべきものです。
いくら労働者の権利意識が高まったとしても、実現可能性・手段がなければ実現しません。この世界は「必要性・目的」と「実現可能性・手段」の相互作用の世界ですが、相互作用であるだけに当然、これらの間には連続的関連性が必須です。飛躍があるのならば媒介が必要です。しかし、「権利意識の高まり」と「弁護士への依頼」との間には断絶があります。たとえば、いくら不当な待遇であっても、力関係において企業側が圧倒的につよく、あるいは、職場が極端に閉鎖的・ムラ社会的人間関係であったとすれば、事実を公にすることは困難でしょう。「訴えれば勝てる」と勧められても、その後に待ち構える「グレーラインの報復」を考えれば、それどこか、本人が勝手に「きっと居心地悪いだろうな・・・」と本人が思い込めば、告発は慎重になるでしょう。
まるで、「革命政党が蜂起を呼びかければ、被抑圧大衆は我も我もと立ち上がるに違いない」という左翼の「空想」です。100年前から進歩していないのでしょうか?
いかにして、人民大衆の自主的な思想意識を現実のモノに転化するのかが問われています。私は以前からチュチェ思想支持を公表しているので、労働者の権利意識が原動力になり、人間自身がその創造的能力を発揮し、主人としての立場から客観的条件を活用しつつ新しい制度を創り上げることによって、現実社会が変革されてゆくこと自体は固く信奉しています。しかし、佐々木弁護士のように中途半端に「労働者の権利意識」に触れるだけでは、それは観念論というほかないと考えています。
以前からの繰り返しになりますが、労働者が自主的にあるための方法論は、特定の企業・職場に対する依存的立場から脱することです。チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」より。
>> 労働者が真の意味で自主的になるためには、企業側に足許を見られないために特定の勤め先に対する依存度を下げることが必要です。なぜ電力会社が一般電力消費者に対して殿様商売ができる(できていた)のかといえば、他に売り手がいないからです。なぜ、自動車メーカーが下請け工場の部品をふざけた値段にまで値切ることができるのかといえば、他に買い手がいないからです。他に売り手/買い手相手が居ないとき、買い手/売り手は、売り手/買い手に対して依存的立場・弱い立場に置かれます。前述の競争市場の基本原理に対して独占市場の基本原理です。
(中略)
ミクロ経済学的考察に基づけば、労働者の立場と為すべきことも見えてくるでしょう。真に交渉力を持つためには、「辞めるよ?」という脅しが必要なのです。「辞めるよ?」と言える立場は、「代わり」を確保している立場です。「辞めるよ?」と言えない立場で、団体交渉等によって企業側から「譲歩」を勝ち取りその利権を自らの生活に組み込むことは、特定の勤め先に対する依存度を上げることに繋がります。労働者階級が自主的であるためには、労働需要者としての企業を競争的な立場にしなければならないのに、「辞めるよ?」と言えない立場で、団体交渉等に臨むというのは、労働者階級自らが企業の「労働需要独占者」としての地位をさらに強化させていると言っても過言ではありません。自分から労働市場を独占化させてどうするんですか。 <<
だいたい本件は「過労自死」ではありません。コメ欄にもあるとおり、本質は「パワハラ自死」です。まさか佐々木弁護士は、「パワハラ禁止法」をつくれば、パワハラがなくなるとでも考えているのでしょうか?