2016年11月10日

リベラルは金持ちの道楽――アメリカ大統領選を巡って

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161110-35836577-bpnet-int&p=1
>> 田原総一朗:「トランプ大統領」誕生の先に何が起こるのか?

nikkei BPnet 11/10(木) 9:57配信


(中略)

「アメリカ・ファースト」の主張にプア・ホワイトが共感

(中略)

トランプ氏勝利はリベラルの敗北

 アメリカでは、共和党というのは保守だ。民主党はリベラルだ。そのリベラルが今、アメリカでは支持を得ていない。実は、アメリカのニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど一流紙は、「アンチトランプ」を唱えていたが、マスメディアというのは基本的にリベラルというのが理由でもある。それは日本でも同様だ。

 ところが、リベラルであるためには、ゆとりがなければならない。それから、将来の見通しがないとリベラルに賛同することはできない。

 今のアメリカ人は、ゆとりもない。将来展望もない。オバマ大統領は、2008年の大統領選挙で、「アメリカの夢」を掲げて当選した。アメリカ人はそれに心を動かされ、オバマ大統領を支持した。

 ところが、夢を掲げたものの、夢は何も実現しなかった。アメリカは、将来展望がなく、ゆとりもなくなってしまった。そういう中で、リベラルが生存する条件が、非常に厳しくなってきたのだ。

 そこで、クリントン氏は、オバマ大統領の路線を継承してリベラルを守ろうとしている。しかし、アメリカ人にとって、クリントン氏の発言は、エリート意識が丸出しだとして賛同できなかった。

 クリントン氏は自分たちとは違う。クリントン氏がリベラルを主張できるのは、彼女が金持ちで、エリートだからだというイメージを、国民に植え付けてしまった。だから、国民から見ると、クリントン氏は上から目線に思えてしまう。これが、クリントン支持が広がらなかった大きな理由だと思う。


(中略)

アンチ・グローバリズムの流れが加速

(中略)

 グローバリズムに乗れない人は、ゆとりがない。こうして追い詰められた人たちが、自分のことしか考えられなくなる。それが、アメリカでも起きていて、トランプ氏の言う「反リベラリズム」「反グローバリズム」に国民が共感したのではないのか。

(以下略) <<
経済還元論的・階級的分析は、今回のアメリカ大統領選挙に限らず、Brexitのときにも大いに見られたものです。過去におけるマルクス主義的流行を未だに踏襲しているのかどうかは分かりませんが、それなりに「歴史」のある切り口です。

しかし、このような経済還元論的・階級的分析は、往々にして「エリート主義」的な物言い・結論に至りがちです。多くの経済還元論者・階級分析論者は、明確にはそうは言わないものの、どうしても行間から垣間見ることが出来ることが少なくありません。そんな中での田原氏記事。隠そうともしていませんw

リベラルであるためには、ゆとりがなければならない。」と「今のアメリカ人は、ゆとりもない。」や「グローバリズムに乗れない人は、ゆとりがない。こうして追い詰められた人たちが、自分のことしか考えられなくなる。」といったくだりを読むと、「リベラルって金持ちの道楽?」という感想を禁じえません。

もっとも、「グローバリズムに乗れない人は、ゆとりがない。こうして追い詰められた人たちが、自分のことしか考えられなくなる。」という指摘が事実であることは、私は一概に否定するつもりはありません。私は「政治・経済・思想文化のアンバランス」から分析するチュチェ思想の立場に立っており、「経済的困窮・労資階級的対立」に還元する立場ではありませんが、田原氏の分析には真実の一側面は含まれていると思います(要は「不十分」ってこと)。

しかし、こうした厳然たる事実を指摘した上でリベラル擁護の論調を張るのであれば、まして「「トランプ大統領」誕生の先に何が起こるのか?」というのであれば、本来的にリベラルの支持基盤としなければならない層を取りこぼした事実から、再生する見通しを論じるべきでしたリベラルは支持基盤にも見放されて完敗しているのです。まことに危機的な状況という他ありません。そんな状況下で、再生の道筋を欠いた「分析」に終始しているようでは、結局は単なる「エリート主義者の負け惜しみ」にすぎないと言わざるを得ません。支持基盤とすべき人々を罵るようでは、「リベラル再生」など夢のまた夢(多数決による民主主義なのだから当然)。「やっぱりリベラルって、実現なんて二の次の金持ちの道楽にすぎないんだな」という認識を深めるほかありません。ここ最近、リベラルの敗北が続いている(少なくともBrexitの先例があった)のですから、少しくらいは用意してあってしかるべきです。

もちろん、実際は田原氏が想像しているほど単純な構図ではないので、ここで仮に田原氏が詳細に再生のための処方箋を提言していたとしても、それは的外れなものになっている可能性が高いです。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161109-00514398-shincho-int&p=1
>> トランプ旋風でわかった“インテリの苦悩” ハーバードの学生がトランプ支持を表明できない事情

デイリー新潮 11/9(水) 8:01配信


(中略)


 さて、ここまでハーバードにおけるトランプ支持者の“思惑”に触れてきた。だが、トランプを支持していたのは彼らのような熱心な共和党支持者や、キリスト教徒だけなのだろうか。

 私は思い出していた。ハーバード・ロースクールの友人であるケヴィンが、

「ヒラリーは信用できない。トランプの方がまだ信用できるよ」

 と、酔った勢いで呟いていたことを。

「表現の自由」について学ぶクラスで、リベラルな教授は言う。

「共和党の指名争いは、歴史上稀に見る恥ずべき状態になっている」

 トランプを「差別する人」、マイノリティを「差別される人」と表現した教授に対し、授業後の立ち話でケヴィンは不快感を隠そうとしなかった。

 その決めつけこそが、ステレオタイプな差別だというのだ。


(中略)

■「差別主義者」のレッテル

 ハーバードを卒業した白人男性は、「僕らは自分の意見を自由に表明することができない」という。ポリティカル・コレクトネスが行き過ぎた現在のアメリカでは、白人男性であることはむしろ「原罪」なのだ。努力して好成績を修めても、「優遇されてるからでしょ」と批判されることもあるという。下手に反論すれば「差別主義者」のレッテルを貼られてしまう。

 私の留学中に、人種差別に抗議した黒人学生がロースクールのロビーを何カ月も占拠する事件があった。学校側は黒人学生たちに「どきなさい」とは言わないし、彼らが大量に貼り付けたポスターもそのままだ。にもかかわらず、ロビー占拠に抗議した白人至上主義の学生が、トランプのポスターを貼ると学校側によって瞬時に撤去された。

 親しくなったハーバードの学生たちも「ロビーを自由に使いたい。占拠はやり過ぎだ」と口を揃えていた。

 だが、どうして学校側に抗議しないのか尋ねると、

「自分が矢面に立って“人種差別主義者”のレッテルを貼られたら、この国ではまともに就職できないよ」

 とあきらめ顔。

 ケヴィンも酔った席での戯言を除いてオフィシャルにトランプ支持を表明することはない。

 ポリティカル・コレクトネスが何より重んじられるアメリカ。インテリ層がこれを間違うと大変なことになる。信用を失い、名誉を失い、将来を失う。

 トランプ支持を堂々と表明できる、粗野で素朴な南部の白人男性たちはよい。それを公表できない白人インテリ層のなかにこそ、ふつふつと不満が堆積していたのかもしれない。そして、溜りに溜まった鬱憤が、トランプ旋風に一役買ったのではないか。


(以下略) <<
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161110-00000089-spnannex-ent
>> 1年前に直感 木村太郎氏「トランプ大統領誕生」なぜ予言できたのか

スポニチアネックス 11/10(木) 8:13配信


(中略)

  僕が初めてトランプが大統領になると直感したのは昨年12月。当時の報道を見て、彼の暴言の数々は、米国人が言いたくても声に出せないことだと感じたからです。移民や経済格差の問題にしても多くの米国人が心の中で思っていた。それを率直に表現したからこそ有権者に響いたんですよ。

 先月取材のため、米国に行ったのですが、トランプ勝利を確信するとともに大差もあるんじゃないかと思いました。有権者に「どちらに票を入れるのか」と聞くと、最初は言葉を濁す。投票に行かないという人もいた。でも、よくよく聞くとトランプ。「なぜ隠すのか」と聞くと「マスコミが想定するトランプ支持者は低所得の白人で人種差別主義者で女性蔑視の人たち。隠さない方がおかしい」と言う。だから調査会社の質問にも多くの人が態度を明らかにしませんでした。「隠れトランプ支持」の数は想像以上だ、と思いましたね。


(以下略) <<
単純な構図で考えている人たちには、逆立ちしても出てこない分析です。このような現実を正しく認識しておらず、そして、間違った認識に基づく処方箋すら提言できていない「2重の壁」に直面しているのがリベラルの現状なのです。

結局、事実を認識するにあたって単一要素に還元しようとする思考や構図的に理解しようとする思考に、身体から滲み出てくるエリート意識が合わさると、こうした「お高くとまりつつ、あまり意味のない分析」が出てくるのでしょう。そして、リベラルな見立てがあまりにも無残に粉砕される出来事が連続している中で「混乱状態」あるいは「阿Q状態」に陥り、フリーズしているのが現状なのでしょう。

もちろん、物事を分析するには一定程度の要素還元や構図化が必要になります。問題は、「変わり映えのない、型にはめるような、少数の要素への半ば強引な還元」「いつも同じ構図の展開」です。もっと言えば「認識の発展の欠如」です。田原氏の分析はあまりにも使い古された単純な方法論です。現実を上手く分析できず、よってフリーズ状態になるのも当然です。

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posted by 管理者 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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