>> エステ「ダンディハウス」「ミスパリ」に労基署が是正勧告…休憩取れず、残業代未払い「エステ・ユニオン」――昨今のユニオン(労組・要求実現型の労働組合)界隈では何かと取り上げられる組織です。かの今野晴貴氏も、エステ・ユニオンを取り上げていらっしゃいました。
弁護士ドットコム 11/16(水) 17:31配信
エステ業界大手ミス・パリのグループ会社が運営する静岡市の店舗に対して、静岡労働基準監督署から是正勧告が出されていたことがわかった。エステ業界の労働組合「エステ・ユニオン」と元社員の20代女性が11月16日、東京・霞が関の厚生労働省記者クラブで記者会見を開き、明らかにした。是正勧告は9月16日付。
是正勧告を受けたのは、ミス・パリのグループ会社シェイプアップハウスが運営する「男のエステ ダンディハウス」「エステティック ミスパリ」の静岡市内の店舗。エステ・ユニオンによると、勧告内容は、(1)休憩時間が法定通り取得できていないこと、(2)時間外労働に対する賃金が支払われていないこと。
元社員の女性は2013年4月、エステティシャンとして入社した。女性によると、定時(11時〜20時)以外も働いていたが、休憩時間は1日平均30分くらいしかとれず、さらに実労働時間をまったく加味していない労働時間記録の偽装がおこなわれていたという。女性は今年8月に退社した。組合の計算によると、過去2年間の未払い賃金は約155万にのぼる。
女性はこの日の会見で「会社には、社員が休憩がとれて、休日も休めて、仕事に集中できる環境にしていてほしい。長時間労働でうとうとしながら仕事をする光景もあった。100%の技術を提供できる環境を整えてほしい」と話した。
エステ・ユニオンの佐藤学さんによると、今年2月には、ミス・パリ本社に対して中央労働基準監督署から労働基準法に基づく是正勧告が出ているという。佐藤さんは「社内全体で汲み取られて改善に結び付けられていなかった。全社的な改善を求めたい」と語った。
(以下略) <<
いまや「労働運動専門家」という肩書きが板についてきた今野氏によると、職場にユニオンが存在することは、労働環境の継続的維持につながるとのことです(編集の都合上、これを「記事A」とします)。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/konnoharuki/20150221-00043235/
>> たかの友梨が「究極のホワイト企業」に変貌それゆえ、今回の報道は今野晴貴氏にとっては満足行くものだったことでしょう。多くの労組活動家も同様の認識でいることでしょう。
今野晴貴 | NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
2015年2月21日 13時16分配信
(中略)
職場にユニオンができ、継続的に交渉していくのであれば、体質がもとに戻らないように監視することができる。また、継続的な改善を話し合いで進めていくことにもなるだろう。
(以下略) <<
また、今野氏によると、労組は労働基準監督署(労基署)よりも有用だそうです(編集の都合上、これを「記事B」とします)。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/konnoharuki/20160418-00056746/
>> ブラック企業に入ってしまったとき、どこに相談すればいいか?労基署への評価と比較して、ずいぶんと労組を評価していらっしゃる今野氏の言説です。これもまた、多くの労組活動家も同様の認識でいることであることでしょう。
今野晴貴 | NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
2016年4月18日 11時36分配信
(中略)
ただ一方で、労基署は「守備範囲」が狭いという特徴がある。明らかな賃金未払いなど、労働基準法など特定の法律で罰則が定められた範囲でしかその取り締まりができないのだ。パワーハラスメントや「解雇の撤回」などはたとえそれが明らかに違法であっても労基署は手を出せない。
また、労基署は、その「職員の少なさ」もよく指摘されている。労働基準監督官で実際に取り締まりに当たるのは全国に1500人ほどで、東京23区には、たった139人しかいない(2012年)。これは、監督官ひとりが3000事業所を監督しなければならない計算である。そのため、1件1件丁寧に対応することが物理的に難しくなっており、彼らは大企業のような社会的影響の大きい企業の捜査や、確実に立件できる証拠がそろった案件に注力する傾向がある(もちろん、監督官の個性にもよるが)。
さらに、労基署の相談窓口にはこれら監督官が対応せずに、相談員と呼ばれるアルバイトの職員が対応することが多い。運が悪いと、専門知識が不足した担当者に当たることもある。「そういうことはよくあることだからね」などと、適当にあしらわれてしまうケースもあるのが実情だ。
(中略)
最後に、ユニオンである。ユニオンには労働組合法上の特別な権利があり、個別の労働問題に対しても、解決する法的な能力を持っている。
ただし、ユニオンも弁護士と同じように、解決能力に差がある。
まず、企業の中の労働組合(企業別組合、大企業に多い)は、経営側とつながっていることが多く、相談するとかえって問題が悪化してしまうことも珍しくないので、おすすめは出来ない。
一方で、企業外の地域別労働組合(=ユニオン)も、団体によって解決のノウハウやモチベーションにはかなりのばらつきがあるため、注意が必要だ。
ただ、そうした前提さえクリアすれば、ユニオンは意外と使える。
ユニオンに相談した場合の一般的な流れは次の通りだ。まず、法的関係や労働組合の意義について一通りの説明を受ける。その後、話に納得すると組合に加入して、会社に団体交渉の申し入れをして、問題解決の話し合いをする。
普段の職場では、労使は対等ではない。上司や会社が言うことは、基本的に逆らえないものだ。しかし、団体交渉の場における話し合いは、労使が対等な立場である。
しかも、そうしたユニオンでの交渉は法的に強く守られている。例えば、ユニオンが会社に団体交渉を申し込めば、会社はそれを断ることが出来ない。もし断ったらそれ自体が「不当労働行為」という違法行為になってしまうのである。また、ユニオンに加入したり、団体交渉をしたことを理由に、会社は労働者に不利益な取り扱いをすることもできない。
また、団体交渉は、あくまで「話し合い」であるため、労基署のように労働基準法にしばられることはない。賃金・残業代の未払いはもちろん、パワハラやセクハラを辞めさせたり、解雇の撤回や、最近話題になっている「求人詐欺」についてもその人次第では争うことが出来るのだ。
さらに、ユニオンは「労働協約」という形で、違法行為の是正だけでなく、法律を上回る水準のルールを設けて、労働条件の全社的な改善をも行うことが出来る。
昨年、エステ会社の大手「たかの友梨」でユニオンが労働協約によって会社改善を果たしたが、これについては、こちらの記事を参照してほしい。
たかの友梨が「究極のホワイト企業」に変貌
自分の労働問題を解決することはもちろん、会社全体を、また業界全体をも改善する特別な権利をもっているのがユニオンなのだ。
(以下略) <<
さて、いま引用した2つの記事を考慮しつつ、最初の引用記事(エステ・ユニオンの件)について検討してみましょう。結局、エステ・ユニオンは、たしかに今野氏が「記事A」で言うとおり「体質がもとに戻らないように監視」していたものの、今野氏が散々に「記事B」でその「限界」を指摘していた労基署への告発に至ったのです。率直に言って、これは中世的封建時代以来の「お代官様お願げえしますだ」の枠を越えていないと言わざるを得ません。いや、それしかできなかったのかもしれません。
ユニオンの活動が、労基署への告発;要するに役所頼みの階級闘争である限りは、労働の自主化など夢のまた夢です。労組関係者は、「いや、これが積み重なれば労働の自主化に繋がるのだ!」と言うかも知れません。しかし、そうした組合活動家的認識は、「物事の質と量の差異を無視している」と言わざるを得ません。
役所頼みの階級闘争は、本質において他力本願です。他力本願は、自主の対極にあるものです。他人の力に頼った路線を歩む限りにおいては、他人の都合に自らの生活を委ねるという意味において、自らの運命の主人であると言えません。そしてそれは本質において安定的ともいえません。他人の都合が変われば、自らの生活はいとも簡単に揺らぐことでしょう。譲歩してくれる企業の「博愛」精神、代理で戦ってくれる労基署の人員状況・・・そうしたものに自らの生活を依存する労働者の生活が、自主的・安定的とは到底いえません。特に労基署の都合は、「あの」今野氏も労基署の限界を正しくも指摘しているのですから、議論の余地はないでしょう。
加えて、労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得ることをも指摘しなければなりません。企業の「博愛的譲歩」に頼るべきではないのです。これについては、チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」にて論じた「労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」の該当箇所を再掲しておきます。
>> 労働者が真の意味で自主的になるためには、企業側に足許を見られないために特定の勤め先に対する依存度を下げることが必要です。なぜ電力会社が一般電力消費者に対して殿様商売ができる(できていた)のかといえば、他に売り手がいないからです。なぜ、自動車メーカーが下請け工場の部品をふざけた値段にまで値切ることができるのかといえば、他に買い手がいないからです。他に売り手/買い手相手が居ないとき、買い手/売り手は、売り手/買い手に対して依存的立場・弱い立場に置かれます。前述の競争市場の基本原理に対して独占市場の基本原理です。
労働者は同時に一企業でしか働けないのに対して、企業は同時に複数の労働者を雇用し得ます。いくら労働者が束になったところで、労働者が「できればその企業で勤め続けたい」という願いを前提として団体交渉に臨んでいる限り、最終的には企業側の掌の上に居続けます。企業は需要独占者の立場に居続けます。ミクロ経済学における「価格弾力性」を思い浮かべてください。ミクロ経済学によれば、需要者に対して供給者の価格弾力性が硬直的であった場合、たとえそれがマーシャリアン・クロスが成り立つ非独占・非寡占の市場であっても、取引の主導権は需要者側にあるといいます。分かりやすくいえば、「生活必需品でない商品は買わなくても消費者は困らないが、それしか商材のない生産者は何とかして売り切らなければならないので、結果的に値切り交渉・在庫処分安売りセールが起こりやすい」と言えばよいでしょう。これと同様に、「できればその企業で勤め続けたい」という労働者(労働供給者)の願いは、ミクロ経済学的には「需要者に対して供給者の価格弾力性が硬直的」と解釈できます。これはすなわち、こうした前提で臨む限り、団体交渉における労働者の立場は弱いということを示します。 <<
役所(労基署)頼みの階級闘争、中世的封建時代以来の「お代官様お願げえしますだ」の枠を越えていない労組運動から質的に脱しない限り、労働者階級の自主化はあり得ません。現状は、まだまだ中世的封建時代の延長線上にあります。そして、労組運動家自身が、そうした事実に気がついていないという危機的な状況です。
ラベル:自主権の問題としての労働問題