2016年11月18日

「過渡期」に差し掛かった福祉政策・労働政策・社会政策界隈――脱啓蒙主義へ

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161118-00108452-diamond-bus_all
>> 「働いたら損をする」仕組みが生活保護制度を歪めている

ダイヤモンド・オンライン 11/18(金) 6:00配信


(中略)

 まずは、「生活保護なんだから、働いても『最低限度の生活』でいてくれないと許せない」、言いかえれば「生活保護を受ける以上は、生活保護なりの生活しか許さない」、もっと端的に言えば「差別させてくれなきゃ困る」という思いを、世間が捨てること。

 さらに、「生活保護で普通の基本的な生活ができる、働いたらもっと可能性が増える」という制度が良いと考え、そのことを制度の形に表わしていくこと。これらが、私には、難しいけれども最も確実な解決方法に見える。


(中略)

 生活保護制度は、生活保護基準という「最低限度」を保障する仕組みである。保護が必要かどうか、どれだけ必要であるかは、収入と生活保護基準の比較によって判断される(資産はないことが前提)。しかし、生活保護基準は、生活保護のもとでの生活の「最高限度」ともなってしまう。どうしてもこのような制度設計でなくてはならないのか、このことが弊害を生み出していないかどうかは、「自分がもしも生活保護で暮らすことになったら」という前提で、「我がこと」として考えるべきではないだろうか。

 一方で解消しなくてはならないのは、生活保護基準が現在あまりにも低すぎることだ。そもそも生活保護基準が低すぎるため、就労によるメリットに若干の手当をしたところで「働いたら損」となる状況は変わらない。また、連動して定められる最低賃金も低く抑えられ、「生活保護の方がマシ」という低賃金・不安定雇用労働者の悲鳴を生み出している。


(中略)

みわよしこ

最終更新:11/18(金) 6:00
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みわよしこ氏――精力的に生活保護関連の情報を発信しているものの、メリハリのない長文のせいで真に伝えるべきメッセージの半分も伝わっていないジャーナリストです。また、「世論」への「反論」を脳内補完でこしらえる上に、啓蒙主義的な思考をしているために、傍から見ると「誰に対して『教育指導』しているんだろう?」という率直な疑問を持たざるを得ない残念なお方です。こうした傾向は、みわ氏に限らず、福祉政策・労働政策・社会政策界隈の論客が多かれ少なかれもっているものであることは、当ブログでも、NPO法人ほっとプラス代表理事・藤田孝典氏(貧困)、ブラック企業被害対策弁護団代表の佐々木亮弁護士(労働)の件から繰り返し取り上げてきたとおりです。(1)メリハリのない長文(私もあまり他人のことは言えませんがw)、(2)脳内補完、(3)啓蒙主義が、いまの福祉政策・労働政策・社会政策界隈の主張の基本的パターンです。

みわ氏の本件記事は、「もっと端的に言えば「差別させてくれなきゃ困る」という思いを、世間が捨てること」などと、「そんなこと言っている人、あまり見たことないけどなあ」という点(Yahooニュースにコメント欄が設置されてから10年、継続的にコメ欄ウォッチを続けて来た暇人のブログはここです)において、彼女自身による論点のスリカエ・脳内補完である可能性が高い「反論」である上に、「「自分がもしも生活保護で暮らすことになったら」という前提で、「我がこと」として考えるべきではないだろうか。」といった具合に、例によって啓蒙的な主張を展開していらっしゃる点において、典型的な「この界隈」の論法です。従来どおりの平常運転です。

他方、「就労によるメリットに若干の手当をしたところで「働いたら損」となる状況は変わらない」というくだりには、良い意味で衝撃をうけました。ようやく、福祉政策・労働政策・社会政策界隈にも、世論の不満を汲み取り、制度的改善を模索し始めるという質的進歩の波が波及し始めているのでしょう。「過渡期」に差し掛かっているのでしょう。

チュチェ102(2013)年6月30日づけ「「自己責任論」は「助け方の拙さ」に由来する」で取り上げたように、個人に対する各種の社会的援助(生活保護も当然含む)に対する「自己責任論」を筆頭とする不満の数々は、建前においては「助け合い」としつつも、実態においては「助ける側はいつも助ける側」「助けられる側はいつも助けられる側」という構図が定着しており、「助け合いの名の下に真面目に頑張る人間が搾取されている」という思いに由来する不満なのです。みわ氏は「「自分がもしも生活保護で暮らすことになったら」という前提で、「我がこと」として考えるべきではないだろうか。」など啓蒙を試みていますが、この不満は、そうした次元ではないのです。「そりゃそうかもしれないけど、それを以ってこの搾取は正当化できないだろう。オマエみたいな単純な二元論者じゃ話にならん。もっと制度を工夫すべきなんだ!」といったところなのです。

いままで散々、脳内補完にもとづく啓蒙的言論活動を続けてきたみわ氏は、記事を公開するたびに激しいながらも正論にもとづく、世論からの再反論を受けてきていましたが、ようやく、それらの再反論を取り入れるようになってきたのでしょう。制度設計の問題に切り込み始めました(もっとも、以前から述べていたのかもしれませんが、前述したとおり、彼女の文章はメリハリがなく読むのが苦痛ですから、メッセージが伝わってきません)。

ベーシックインカムや負の消費税(両方とも経済理論的には、ほぼ同一と理解されています)といった具体的な政策にまで切り込めておらず、依然として啓蒙的な部分に比重が置かれてしまっていることは、この際は不問としましょう。いままでは、ほぼ100%啓蒙だったのですから。相変わらずの脳内補完っぷりであることも、この際はよいです。生活保護問題において、単なる「自己満足的人権啓発」でない論点への道筋が、まだまだ不十分ながらも福祉政策・労働政策・社会政策界隈の論客側から出てきたことは、たいへんな進歩なのであります。

これを機に、ベーシックインカムや負の消費税といった具体的政策の問題や、あるいは、北欧福祉国家を支える「自立を尊ぶ政策・制度と、それを支える思想」への探究も進めていただきたいものです。以前から取り上げてきているように、北欧諸国はすべて小国であるために「福祉が充実している」とはいうものの、「国民を福祉で食わせつづける」などということは到底不可能であり、福祉を通じた自立・自活を強く求められる制度設計になっています。また、そもそも個人主義的な思想文化の国柄ですから、「お上が食わせる・お上に食わせてもらう」という観念でもありません。日本の社会政策界隈は、「北欧福祉国家はこんなに上手く行っている」などと言って、その制度的概観だけを安易にコピーして日本に輸入しようと試みますが、まちがいなく失敗するでしょう。自己満足の世界から少し足を踏み出しはじめた「過渡期」に、ぜひとも学んで学んでひたすら学んでいただきたいものです。
ラベル:福祉国家論 社会
posted by 管理者 at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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