2016年12月19日

安易なブラック批判;勤労大衆の利益の立場だからこそ慎重になるべき

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20161218-00000037-nnn-soci
>> 熊本市役所で火事「り災証明」データは無事
日本テレビ系(NNN) 12/18(日) 21:05配信

 18日未明、熊本市役所で火事があった。けが人はいなかった。

 18日午前3時40分ごろ、熊本市中央区の熊本市役所で火事があり、書類やパソコンなど約300平方メートルが燃えた。当時、この階に女性職員がいたが、逃げ出して無事だった。

 火事があったのは10階の健康福祉政策課で、熊本地震のり災証明のデータは無事だという。


(以下略) <<
■安易なブラック批判と言わざるを得ない
コメ欄をみると、「日曜日の午前3時に職場にいるだなんてブラックだ!!!」というコメントが溢れています(今回は引用は省略します)。あまりにも短い、それも本筋は火災ニュースであるにもかかわらず、そこまで論じることが出来る「素材」なのでしょうか?

■宿直勤務の可能性
自主権の問題としての労働問題勤労大衆の立場から論じてきた私ですが、この世論の反応は、短絡的であると言わざるを得ません。世間一般では知られていないのかもしれませんが、公務員は事務職であっても宿直勤務があるので、このような短い記事で報じられている事実の範囲だけでは、一概に「ブラック」とはいえません

■その人自身にとって十分な代休・振休が付与されているか検討されていない
また、純粋に時間外労働だったとしても、「日曜日の午前3時に職場にいる」というだけではブラックとは言えないでしょう。その時間外勤務に対して、その人自身の生活において十分な代休・振休が付与されていれば電通パワハラ・過労自殺問題の記事でも述べたように、その人自身基準というのが大切です)、それは「ブラック」とは言えません。何を以って「ブラックか否か」というべきかは、実はこれだけブラック企業・労務問題が世間のクローズアップを受けているにも関わらず、意外と共通認識が定着していません。「自主権の問題としての労働問題」というテーマを掲げている私としては、世間一般の認識とは少し違うかもしれませんが、「当人の生活の全方位にわたるバランスが取れているか否か」という切り口から「ブラックか否か」を議論したいと考えています。

もちろん、秋山木工の件においても述べたように、あまりにも社会通念から逸脱しているケースにおいては、「当人」というファクターだけで論ずることは不適当です。しかし、今回の熊本市役所のケースでは、そこまで論ずることは情報不足のため不可能です。敢えて一般論、そして私自身の体験談いえば、「休日深夜勤務ないに越した事はない(だって疲れるじゃん)が、まあ人生の1ページかもね」といったところです。

■元はといえば公務員バッシングのせいではないのか
この記事だけではなんとも言えませんが、仮に、慎重に実態なる調査を行った結果、ブラックという他なかったとしましょう。となると、今度は「役所がブラック化した原因は何処にあるのか」という問題に関心が移ります。

結論を言えば、かつて一世を風靡した安直な公務員バッシングのせいではないかでしょうか。一握りのキャリア官僚の「厚遇」を以ってノンキャリアから地方公務員まで十把一絡げに「公務員」とグルーピングして論じた風潮、出先機関の定年間際職員を以って霞ヶ関、都道府県庁、政令市市役所等の不夜城部署を論じた風潮、そうした雑な言論がもたらした悪影響は計り知れないでしょう。同時期に叩かれていた「学校の先生」の件を見ても、「モンスター・ペアレント」を増長する一助になっていました。相関はありそうです。いま慌てて「教員の負担軽減・待遇改善」キャンペーンを張っていますが、いちど肥大化したモンスターはなかなか退治される気配はありません。公務員はまだキャンペーンさえ張られていません。まだまだ「役所のブラック化」は留まらないことでしょう。

自分たちの雑なコメントが、役所のブラック化をもたらしたのではないか――そうした自省のもとに投稿されたコメントだったのでしょうか。疑わしいと言わざるを得ません。

■安易なブラック批判の何が悪いのか
先にも述べたように、私は「自主権の問題としての労働問題」というテーマを掲げ、勤労大衆の大衆の立場からその自主化を論じてきました。その意味では、昨今のブラック企業に対する世論の盛り上がりは良い傾向だと考えています。むしろ、「まだまだ足りない」といっても良いでしょう。

しかし、過剰なブラック企業批判は戒めるべきです。正確でない認識は正しい処方箋を出す上で障害になります。いまはよくても後々、どうなるかは分かりません。また、過剰な認識・手当ては、敵対分子に漬け込まれ、宣伝を捻じ込まれる余地、「ゆり戻し」の余地が生じます。過ぎたるは及ばざるが如し。勤労大衆の利益の立場だからこそ慎重になるべきです。隙を見せてはなりません。
posted by 管理者 at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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