>> 軽井沢スキーバス転落 事故から1年 「事故はいまだに進行形」「悲劇で終わらせてはいけない」教育評論家の尾木直樹・法政大教授■規制緩和議論の方向性が変わった
産経新聞 1/14(土) 20:42配信
15人が死亡した長野県軽井沢町のスキーバス転落事故から15日で1年。法政大教授で教育評論家の尾木直樹さん(70)のゼミでは、半数にあたる10人が事故を起こしたバスに乗車し、4人が命を落とした。心と体に傷を負った学生と向き合ってきた尾木さんが、学生たちの今の様子や事故の教訓を語った。
(中略)
−−改めて今回の事故を受けて訴えたいことは
「規制緩和は業界が活性化してすばらしいことだが、命の安全だけは徹底して考えなければいけない。国の監査態勢がこんなにずさんだったのが信じられない。15人の命を犠牲にして学ばなければいけないほどのことだったのか。『格安』は命を売っているんだと気づかされた。誰もそこまでは求めていない。適正な利潤をあげ、安全態勢を整えられる値段を出してほしい。“軽井沢の悲劇”で終わらせるのでなく、日本全体がしっかりと学び取らなければいけない」
(池田証志)
最終更新:1/14(土) 20:42 <<
悲惨な大事故から1年。この事故は、「規制緩和のあり方」が改めて社会的に議論されるキッカケになりましたが、いま振り返ってみると、いままでの規制緩和議論とは異なる風潮だったことに気がつかされます。
近年の改革の一環で規制が緩和された分野において重大な事故が発生したとき、従前であれば、短絡的に「規制緩和が原因」と結論付けられることが多くありました。たとえば、日本共産党機関紙『赤旗』は、事故翌々日にいち早く、「参入規制強化」を訴える記事を掲載しました。また、1月24日づけ「主張」(社説)でも同様の論法で、「規制緩和見直し」を主張しました。当ブログでは前者記事について、1月17日づけ「共産党の「参入規制強化論」の真意――スキーツアーバス転落事故の「原因」論から」において、「サービス品質基準に関する規制強化は必要でも、参入規制は関係ない」と批判しました。また、後者については、『SAPIO』2016年10月号が、評論家(←そうだっけ?)の古谷経衡氏の論評を掲載することによって、かかる言説を否定しています。「規制緩和悪玉論」が長きにわたって幅を利かせてきたわけです。
しかし、今回は違いました。上掲引用記事での尾木教授の「規制緩和は業界が活性化してすばらしいことだが、命の安全だけは徹底して考えなければいけない。(中略)『格安』は命を売っているんだと気づかされた。誰もそこまでは求めていない。」というコメントは、市場活用型の規制緩和路線には積極的な評価を下すと同時に、他方で「命の安全だけは徹底して考えなければいけない」としている点において、短絡的な「規制緩和、YESかNOか?!」ではない発展的な見解です。
世論も、共産党ほど短絡的ではない方向にあるようです。事故直後のテレビ朝日系列「報道ステーション」や、ちょうどこの記事を執筆しながら視聴していた日本テレビ系列「真相報道バンキシャ!」では、利用者自身が「安かろう悪かろう」を回避する必要「も」あるという視点で、優良業者の見分け方を報じ、市場淘汰という方法論を以ってバス業者のサービス品質・安全性を担保させる路線を提示しました。
「市場における自由競争」と「安全性の担保」という2つのテーマを両立させる方向に、確実に進みつつあります。二度と同じような事故を起こさず、そして、より自己選択の余地のある質の高い生活を実現させる方向に世の中は進みつつあると言えるでしょう。
■「事前点検」か「事後処罰」か
規制のあり方についての基本的な考え方は、1月15日づけ「「生産過程における厳格な規制」と「流通過程における最小限の規制」――自由交換経済の真の優越性を踏まえた規制」において述べました。あの記事の論旨ではなかったので積極的には論じませんでしたが、事業者に品質維持のインセンティブを付与させるには「事前点検」と「事後処罰」があります。「事前点検」と「事後処罰」は、どちらが効果的なのでしょうか?
率直に言って、「事後処罰」のほうが低コストかつ効果的です。そもそも、最強の威力を持つ「市場淘汰」は、いうまでも無く「事後処罰」です。ロクでもない品質の商品を提供すれば、二度と消費者から選択されなくなる――そうなれば商売が成り立たなくなるので、事業者には強烈なインセンティブが生じます。
他方、「事前点検」は、優良企業も悪徳企業も等しく点検が必要です。その意味では、網羅的ではあるものの少し無駄が多い。限られた人員で効果的に監督するとなると、「事後処罰」のほうが現実的です。
とは言っても、実際の国民感情を考慮すると、「事前点検」に落ち着くのではないかとも思います。何と言っても、最後まで「BSE全頭検査」を堅持した国ですから(統計科学的には抽出検査で全く問題ないにもかかわらず!)。それはそれでよいと思います。以前から述べているように、経済も政治も全ては「どう生きたいのか」というテーマに服従するもの。国民が「多少無駄があっても確実に確実を期したい」と願うのならば、それはそれでよいのです。仮に「事前点検」に拘ることによって、現行の社会システムを破壊しかねないのであったのならば、「国民が望むから・・・」で済ませるわけには行きません(たとえば、いくら望んでいても計画経済は駄目でしょう)が、「事前点検か事後処罰か」程度であれば、そんなことはないでしょう。
■活発な市場経済+事前点検体制しかない
不要な規制をなるべく減らし、活発な市場経済に委ねる以外に選択肢はありません。これは事実として、国民感情の問題ではありません(計画経済愛好者には残念でしようが、無理なんですって)。他方、「事前点検か事後処罰か」は、国民感情の問題になりえます。活発な市場経済+事前点検体制こそが、現代日本において、現実的かつ国民感情にも合致した路線であるといえます。