>> 世界人口の半分36億人分の総資産と同額の富、8人の富豪に集中いわゆる「99%のための・・・」方面の人々によるレポートです。日本支部のページには、プレスとして概略が掲載されています。なかなか突っ込みどころがある内容です。
AFP=時事 1/16(月) 13:01配信
【AFP=時事】貧困撲滅に取り組む国際NGO「オックスファム(Oxfam)」は16日、世界人口のうち所得の低い半分に相当する36億人の資産額と、世界で最も裕福な富豪8人の資産額が同じだとする報告書を発表し、格差が「社会を分断する脅威」となるレベルにまで拡大していると警鐘を鳴らした。
この報告書は、スイス・ダボス(Davos)で17日から世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)が開催されるのを前に発表されたもの。それによると、世界人口のうち所得の低い半数の人々の資産額の合計と同額の富が、米誌フォーブス(Forbes)の世界長者番付上位の米国人6人、スペイン人1人、メキシコ人1人の計8人に集中しているという。
この8人の中には、米マイクロソフト(Microsoft)の共同創業者ビル・ゲイツ(Bill Gates)氏、交流サイト(SNS)最大手フェイスブック(Facebook)の共同創業者マーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)氏、インターネット通販最大手アマゾン・ドットコム(Amazon.com)創業者のジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)氏が含まれている。
(以下略) <<
http://oxfam.jp/news/cat/press/201799.html
>> 格差に関する2017年版報告書を発表「99%のための経済」■「36億人対8人」では社会に亀裂が走らないからこそ大問題
2017/01/16
世界で最も豊かな8人が世界の貧しい半分の36億人に匹敵する資産を所有
オックスファムは、1月17日から20日までスイスで開催される世界経済フォーラム(通称ダボス会議)に先がけて、格差問題に関する最新の報告書「99%のための経済(An Economy for the 99%)」を発表しました。
最新報告書では、富める者と貧しい者の間の格差は、これまで考えられていたよりも大きく、世界で最も豊かな8人が世界の貧しい半分の36億人に匹敵する資産を所有していることが明らかになりました。
(中略)
世界では、10人にひとりが一日2ドル以下でしのぐことを余儀なくされている中、ごく一握りの人たちが莫大な富を有しています。2015年9月の国連総会で合意された持続可能な開発目標(SDGs)は、「誰一人取り残さない」を合言葉に、格差問題をはじめとした地球規模課題への取り組みのための枠組みですが、今日の世界経済は、何億もの人々を取り残しながら回り続けています。格差拡大は、何億もの人々を貧困の中に封じ込め、社会に亀裂をつくり、民主主義をも脅かしています。
納めるべき税金はなるべく回避する。支払うべき賃金はなるべく抑える。カネの力で政治を動かし、経済のルールを自分たちの都合のよいように書き換える。こうした方針を取る大企業や大富豪が、格差の拡大を加速させています。経済によってごく少数の幸運な人々だけではなく、すべての人々が恩恵を受けるためには、その仕組みとあり方に根本的な変革が必要です。
世界は今、99%のための経済を必要としています。経済を私たちの手に取り戻し、「ヒューマン・エコノミー(人間らしい経済)」を実現しなければなりません。
各国政府は、労働者に適正な賃金が支払われるよう保障し、租税回避を阻止するだけでなく、競って法人税減税を推し進めるようなことをやめるために協力、協調しなければなりません。そして、株主の利益だけでなく、従業員の利益と社会への貢献を考える企業への支援を惜しんではなりません。各国政府は、格差を広げてきた時代遅れの経済理論や欠陥が明らかとなった経済政策にしがみつくのをやめ、GDPへの執着を捨てるべきです。既得権と出自が将来を左右するのではなく、才能と勤勉によって未来を切り拓くことができる社会、保健医療や教育など基本的社会サービスが当たり前の社会、すべての人々に資する経済を実現しなくてはなりません。
(以下略) <<
まず何よりも、「36億人対8人」では「社会を分断する脅威」とは言えないでしょう。あまりにも少人数過ぎ、また、差が大きすぎます。トップ8と36億人は、元々統合されていない人たちであり、その意味では、「社会に亀裂」など走りようがありません。
社会に亀裂が走るのは、届きそうで届かない格差に日常生活で高頻度で直面し、希望と実態との乖離が大きくなり、バランスが崩れた場合です。たとえば、毛沢東時代の中国のように、大多数が等しく貧しい状態では、共産党幹部のような一部特権階級が居たとしても、一般的に亀裂も分断は意識されません。手の届かない豊かさなど追求しようとも思わず、むしろ「安定」化してしまうものです。他方、豊かさが広まりつつある状況のほうが、隣人との差を意識するようになり、亀裂が生まれます。要求運動が活発化し、社会が不安定化するものです。日本でも、不況・低成長時代よりも好況・高度成長時代のほうが共産党・公明党の党勢が伸びたじゃありませんか。
極端な富の集中は、「社会の不安定化が増大させる」のではなく、「人民大衆の生活向上を求める思想意識を麻痺させる」という意味でこそ、現実的かつ死活的です。届きそうで届かない格差に日常生活で高頻度で直面する状況は、そうした現実を打破しようとする革命意識・革命精神の原動力になる意味で、これこそが「社会に亀裂」を走らせるものです。他方、「36億人対8人」のような極端な富の集中の状況下では、すなわち、人民大衆が「等しく貧しい」社会では、革命意識・革命精神を喚起するキッカケがないので、「安定」化してしまうでしょう。
現状認識・将来展望が決定的に誤っています。
■トップ8の素顔を見ると・・・
Oxfamは、「『10人にひとりが一日2ドル以下でしのぐことを余儀なくされてい』る中、『ごく一握りの人たちが莫大な富を有』しており、そうした連中は『カネの力で政治を動かし、経済のルールを自分たちの都合のよいように書き換え』」、『格差の拡大を加速させてい』る」という文脈の中でトップ8を挙げています。
しかし、この「トップ8」の名を見てみると、揃いもそろって著名な慈善活動家としての顔をも持っていることに気がつかされます。『資本論』に出てくるような悪徳資本家連中――もっとも、マルクスが正しく指摘しているように、「悪徳資本家」は、個人的人格の問題ではなく経済システムの被造物です――かと思いきや、実態はそうではないようです。
世の中には「世界で最も豊かな8人が世界の貧しい半分の36億人に匹敵する資産を所有している」という「状況」をケシカランとする「正義」の方もいらっしゃるようですが、実際に貧困状態にある一人ひとりの生身の人間の視点――これこそが自称「正義」よりも大切なことです――から見れば、「状況」よりも「使われ方」の方が重要でしょう。
その意味では、たとえば、トップ8にランクインしているマーク・ザッカーバーグ氏は、従来型の寄付に疑問を持ち、自分なりの慈善事業モデルを構築しようとする試みに挑戦しています。批判的意見もあるものの、興味深いアプローチであります。彼なりに貧困問題に挑戦する方法論を模索しています。であれば、彼を吊し上げるまえに、従来型の慈善事業活動家たちは、既存の「寄付」のあり方への疑問に答えるべきでしょう。
■「どう稼いで、どんな風に使っているのか」に重点を置く姿勢を鮮明に――悪平等主義と線引きせよ
トップ8が「幾ら持っているか」よりも、「どう稼いで、どんな風に使っているのか」に重点を置くべきです。「たくさん持っていること」自体が不正なのではなく、「収益源と使途」が焦点なのです。たとえ99パーセント側の中でも特に所得額が下位であっても、その僅かな収益源が苛烈な搾取であれば、トップ8よりも悪質です。せっせと働いた労賃であっても、それで児童買春をしているようでは、トップ8よりも悪質です。
「再分配制度の構築」を強く訴える全体の論旨からみて、Oxfamは、「たくさん持っていること」自体を絶対的悪としている訳ではなく、「使い方」の問題を意識していない訳ではないと思います。しかし、分かりにくい。こうした構成をした文章だと、「たくさん持っていること」自体を否定的に見る「頭数で割り算」主義者(「悪平等としての共産主義」と親和的です)や、「稼ぐこと」自体をも否定するような勢力を増長させることになります。「たくさん持っていること」は悪いことではありません。まして「稼ぐこと」は、貧困撲滅のために必要な大前提です。
「99%」運動は、「悪平等としての共産主義」者を筆頭とする悪平等主義者にも現に悪用されています。赤旗を立てながら「99%〜」とアジっている連中は日本にも存在します。悪平等主義は、貧困撲滅に資することはありません。私も反貧困であり、だからこそ、悪平等主義とはキチンと線引きすべきだと確信しています。
■「能力主義」の枠を脱し切れていない
Oxfamは、「既得権と出自が将来を左右するのではなく、才能と勤勉によって未来を切り拓くことができる社会」などと言いますが、トップ8たちには一代で立身出世した人物の人たちが複数含まれていることに気がつかされます。「99%」を云々するのであれば、トップ8たちも最初は「99%側」であり、「才能と勤勉によって未来を切り拓」いて来たわけです。
分配論的に見て、現代社会の歪みには、「能力主義」による部分があります(もちろん、それだけではありませんけどね)。「ヒューマン・エコノミー」を謳い、あたかも新世界を提言しているように見えて、実際は「能力主義」の焼き直しに過ぎない主張は、事態を見誤っているという他ありません。
■馬鹿馬鹿しいブルジョア「博愛」主義の政策「提言」
Oxfamは、「再分配制度の構築」を強く訴えています。これは私も総論としては賛同するものですが、方法論が稚拙です。
「すべての人々が恩恵を受けるためには、その仕組みとあり方に根本的な変革が必要」といいながら、「競って法人税減税を推し進めるようなことをやめるために協力、協調しなければなりません」だの「格差を広げてきた時代遅れの経済理論や欠陥が明らかとなった経済政策にしがみつくのをやめ、GDPへの執着を捨てるべきです」だのと、あくまで「政策的対応」の枠を脱していません。そして、ダボス会議=現社会のエスタブリッシュメントたちのクラブに向けて「陳情」しています。
誠に馬鹿馬鹿しい「提言」です。もはや事態はブルジョア「博愛」主義で救える段階ではありません。「たくさん持っていること」や「稼ぐこと」には肯定的な評価を与えて悪平等主義との決定的違いを鮮明にしつつ、他方で、分配論において、「能力主義」の枠から脱し、また、「お手盛り」を排する――以前から述べているように、自主管理化が必要だと私は考えています。そしてこれは、ブルジョア「博愛」主義的な「陳情」では達成困難な課題なのです。Oxfamが提唱しているプランは、悪平等主義に立っている上に、現実的には改善効果を生み得ない、二重の意味で誤りなのです。