2017年02月14日

増員は一人当たりの労働負荷を逆に増やす;「働き方改革」の逆効果

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170214-00000130-jij-soci
>> 労働環境改革に70億円=過労自殺受け、人員増へ―電通
時事通信 2/14(火) 19:18配信

 大手広告代理店の電通は14日、新入社員の過労自殺問題を踏まえ、2017年に社内の労働環境改革費用として約70億円を投資すると発表した。

 200人規模の人員増や一部業務の機械化、デジタル広告分野の人材育成などを行う。同日行った16年12月期の決算発表の中で明らかにした。


(中略)

最終更新:2/14(火) 21:27 <<
■人員の追加投入は、逆に労働時間を延長させる――「ブルックスの法則」
「やらないよりマシな第一歩」という評価が大多数でしょうか? コメ欄にも、そのような投稿が見られます。本当でしょうか?

"Adding manpower to a late software project makes it later."(遅れているソフトウェアプロジェクトへの要員追加は、プロジェクトをさらに遅らせるだけだ)という逆説的な格言があります。1月25日づけ記事においても触れた「ブルックスの法則」です。この法則は、フレデリック・ブルックスという、著名なソフトウェア工学者かつ開発技術者が自身のソフトウェア開発経験をもとに提唱しているものですが、前掲過去ログにおいても述べたように、ソフトウェア業界に限った現象ではなく、知識集約型産業の労働に共通する法則的現象であると考えられます。「常識」とは全く異なり、人員の追加投入は労働時間短縮には資さないどころか、逆効果になるというのです。

「ブルックスの法則」について私は、(1)「人員の追加投入は労働時間短縮には資さないどころか、逆効果になるというケースがあり得る」、そして、(2)「それは経営者の悪意的な経営判断ではなく、生産方法・生産技術的に規定されている客観的法則である」という結論を導出する点において労働問題分析の中核的視点を提供する重要な概念だと考えていますが、このことについて今回は以下のとおり検討してみたいと思います。

■人員の追加投入は、新人教育と相互連絡のための負担を増やす
「ブルックスの法則」は、同氏の『人月の神話』の第2章において展開されています。同書はソフトウェア開発の古典と評されるだけに、ウィキペディアに詳細な紹介記事が存在します。参照しつつ詳しく検討してみましょう。

ブルックス氏は、「遅れているソフトウェア・プロジェクトに人員を投入しても、そのプロジェクトをさらに遅らせるだけである」という格言の根拠として、ウィキペディアにもあるとおり、
 @新しい人員の教育
 A追加の相互連絡
 B再配置そのものに費やされる労力とそれによる作業の中断

以上の3点において必要な労力が増加するといいます。知識集約型産業の労働においては、担当業務を分割して皆で手分けして取り掛かることが困難だというわけです。

私の理解を交えながら、詳しく検討します。
@は重要な要素です。知識集約型産業の労働は、結局「必要な技術・知識を知っているかどうか」「アイディアが思いつくかどうか」が鍵です。従来型の製造業と異なり、知識集約型産業の労働は、頭数があれば仕事が進むものではありません。新しい人員には十分な技術・知識的訓練が必要であり、そして、一人の労働者が一人前になるには、他の業界での教育指導と比較して、相当時間がかかってしまうのです。また、それまでの間は逆に、他の業界での「新人さん」以上にサポートの手間がかかってしまうのです。言語化しにくいタイプの経験的蓄積が絡む場合、さらにコトは深刻です。

平たく言えば、単に人員を増やしたところで「分かっていない人、教育が必要なわかっていない人が増える」だけ。既存タスクに加えて、そうした人々への対応によって逆に古参は負担が増え新参者についても分かっていないだけに長時間にわたる労働になってしまうのであります。

Aも重要な要素です。人員が増えれば相互連絡の手間が増える――平たく言えば「会議ばっかり」状態――のは他の業界もそうですが、マニュアルや一定の「型」が既に確立されている非知識労働とは異なり、知識労働というものは、そうした「型」を破るのが仕事です。新しいものを模索しながら、すり合わせて創造してゆく知識労働は、相互の認識を一致させることが他の業界以上に重要かつ困難なのです。これが労働時間延長・負担増への圧力になります。

ブルックス氏は「1人の妊婦が9か月で赤ちゃんを出産できても、9人の妊婦が1ヶ月で赤ちゃんを出産することはできない」という端的な喩えで表現しています。「個」に依存する部分が大きい仕事では、仕事の分割が困難であり、結局、これらの要素によって全体スケジュールが遅延してしまい、時間短縮にはならないのです。そして、増援のつもりで追加人員を投入することは、新人教育と相互連絡という新しいタスクを生み出し、逆に負担を増やすことになるのです。

なお、事前に必要工数を正確に予測し、教育目的で早くから多めに人員を配置しておくというプランについては、「ブルックスの法則」ではなく私の意見ですが、(1)知識集約型産業は、既に確立されているマニュアルや一定の「型」どおりに生産するものではなく新しいものを創造する産業である点において「水物」であり、必要工数・必要人数の事前予測が難しいこと、(2)担当者の個人的・属人的スキルに左右される部分が大きいので計画を立て難いこと、(3)仕事というものは手を動かさないとなかなか覚えられないものだが、特にソフトウェア開発の場合、上流工程と下流工程でそれぞれ必要とされる人員数はまったく異なるので、教育目的で早くから多めに人員を配置してもプロジェクト初期においては人員過多になってしまい教育目的を果たせないなどの理由で、非効果的であると考えられます。

なお、Bについては他の業界でもよくあることで、それほど特徴的な要素ではないと思われますので、割愛します。

前回の記事でも述べたように、産業への要素投入は経営判断だけではなく生産方法・生産技術的に規定されているケースがあります。知識集約型産業に労働力を大量に投入しても、「分かっていない人」を増やすだけでしょう。電通のような広告業界は、知識労働ではないのでしょうか? 単に人員を追加的に投入したところで仕事が進むような生産方法なのでしょうか? 人員を増やせば解決するわけではないケースではないのでしょうか?

■プロジェクトの遅れを取り戻し、各員の負担を減らすためには
さて、ブルックス氏は、スケジュールの遅れを取り戻し、各員の負担を減らすためには、
 @スケジュールを立て直す
 A仕事の規模を縮小する

という方法論を提唱しています。

ブルックスの法則が広告業界で当てはまるとすれば、カネにモノを言わせて人員を追加投入したところで、それは逆効果になりかねません。「やらないよりマシな第一歩」とは到底いえません。ブルックス氏が提唱しているように「スケジュールを立て直す」ことのほうが大切なのではないでしょうか?

もっとも、「スケジュールを立て直す」というのは、電通といえども一社だけでどうにかなる問題ではありません。以前から述べているように、個別資本は社会的被造物であり、「競争の強制法則」に晒されているのです。社会全体の総体的変革――それを視野に入れなければならないのです。

■生産現場を正しく認識しなおす必要
そのためには、まずは、(1)「人員の追加投入は労働時間短縮には資さないどころか、逆効果になるというケースがあり得る」、そして、(2)「それは経営者の悪意的な経営判断ではなく、生産方法・生産技術的に規定されている客観的法則である」ということを認識する必要があります。

昨今は、労働法・社会政策界隈や、労働組合運動家、経済学者が「働き方」について積極的に発信していますが、彼らの言説において、「ブルックスの法則」を踏まえたものはほとんど見られません。「労働者一人当たりの負担を減らすためには、雇用を増やせば良い」という短絡的な言説が氾濫しています。これは、まさにブルックスがいう「人月の神話」――根底において「人月計算」の発想に根ざしています。これからの時代のメインとなってゆくであろう知識集約型産業の労働は、そうではありません。生産現場を正しく認識しなおすことから始めなければなりません

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1月24日づけ「「働き方改革」「残業規制」は相対的剰余価値搾取の時代の入口
8月15日づけ「「人に仕事をつける」日本の働き方は「ブルックスの法則」が作用し易い
posted by 管理者 at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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