>> <ロシア>視覚障害者の雇用守る 生き残ったソ連の遺産「障害者向けの企業はソ連時代のたまものであり、世界でもユニークだ」――ソ連時代に懐かしさを感じるロシア人が言っている分にはよいとは思いますが、毎日新聞がそれをそのままタレ流すのは如何なものでしょうか。ロシア革命から今年で100年。「ソ連は崩壊したが、ソビエトの理念はこうして生きているんです! 社会主義の再評価を!」というつもりで書いているなら、まずは「資本主義スウェーデン」における障害者就労を踏まえるべきです。ソ連は完敗、再評価の余地などまるでありませんよ。
毎日新聞 4/23(日) 20:41配信
【モスクワ杉尾直哉】ロシアには、視覚障害者らに雇用の場を与えるために特別に設置された製造工場がある。「諸民族の平等」をうたった旧ソ連政府が、障害者を保護する政策を取っていたころの“遺産”だ。ソ連崩壊後の現在は、市場原理の厳しい競争にさらされているが、「障害者の自立」を維持するため、格闘しながら操業を続けている。
モスクワ西部のクンツェボ地区。古びたレンガ造りの4階建てのビルは、電源コンセントやスイッチを生産する「エレクトロ」社の工場だ。主に視覚障害者の自立を目指して1959年に設置された。従業員260人のうち120人が障害者だ。
(中略)
勤続3年の女性従業員レーナさん(36)は、かつては幼稚園の先生だったが、徐々に視力を失ったため解雇された。「ここでは安定した仕事ができてとてもうれしい」と言う。月給は日本円で約3万円程度だが、「視覚障害者にとって一番大切なのは、話をする仲間たちがいて、助け合える場があること」という。
全ロシア盲人協会のウラジーミル・シプキン副総裁によると、ロシア全土では約7600人の視覚障害者がこうした企業で働いている。シプキン氏は「障害者向けの企業はソ連時代のたまものであり、世界でもユニークだ」と話す。
91年のソ連崩壊後の経済混乱期には、ほかの企業と同様、困難を経験した。企業乗っ取りが横行した時代だったが、全露盲人協会が施設や敷地を維持し、生き残った。
ロシア全土では視覚障害者は約21万人おり、うち10万人以上が仕事をしたくても雇用の場がないという。シプキン氏は「市場の競争も激しく、全員を雇うわけにはいかない」と話す。だが、政府やモスクワ市当局から支援を受け、工場設備の更新や雇用拡大に取り組んでいるという。
最終更新:4/24(月) 10:51 <<
以前にもご紹介した記憶がありますが、資本主義スウェーデンにおいては「サムハル」という国営企業が、障害者に対して就労機会を提供しています。形態としては「国営企業」ですが、国営企業にありがちな放漫経営とは無縁の厳しい数値目標が課された経営が要求されています。その一端は、「厳しい数値目標が国営企業を鍛えた “障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(2)」に詳しいので、ぜひともご一読いただければと思います。
また、サムハル社は、単なる「障害者の権利の実現」ではありません。下記が端的なので引用しましょう。
http://www.prop.or.jp/global/samhall/20090119_01.html
>> 弱者を変えた冷徹な合理性「厳しい数値目標」と並んで、「ヒューマニズムだけが理由ではない」という制度設計者の告白は、ソ連に郷愁を感じるような化石的左翼にとっては、火病を起こして卒倒するような「邪」な動機でありましょう。
“障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(3)
(中略)
ヒューマニズムだけが理由ではない
なぜサムハルを作ろうと考えたのか――。漆黒の闇に包まれた夕刻。ゲハルトに尋ねると、彼は口を開いた。
「1つは人間的な理由だ。障害者が他の人と同じように働く。そういう社会を実現することは、人間として大切なことだと思った」
その当時、スウェーデンでは障害者を施設に隔離し、障害年金を支給していた。障害者は社会の外側にいるアウトサイダーだった。だが、障害者を社会の外に隔離する社会が健全であるはずがない。そう考えたゲハルトは、彼らを社会の一員とする仕組みを作ろうとした。
社会に組み込むにはどうすればいいか。そのためには何より、健常者と同様に就労の機会を提供し、自立した生活を送ってもらう必要がある。では、仕事はどうやって作り出せばいいか。障害者の仕事を生み出す組織を作ればいい――。こうした一連の思考を経て、国が雇用の場を作り出すというサムハルの原型が生まれた。
ただ、背景にある思想は、単純なヒューマニズムだけではなかった。早熟の天才はもう1つ別の視点を持っていた。それは、福祉コストの削減である。
「障害年金モデルに疑問を感じていた」
当時は障害者に現金を給付する障害年金が障害者福祉の中心だった。だが、障害年金をただ支給するよりも、障害者が働き、納税する方が全体のコストは下がるのではないか。彼らが働けば、その生産の分だけコストは減るのではないか――。ゲハルトはそう考えていた。
人口900万人のスウェーデンは常に、労働力の確保に苦労してきた。19世紀後半には、貧しさのために国民の4分の1が移民するという辛い出来事も経験している。そういった過去があるため、スウェーデンには「働ける者は可能な限り働く」という意識が国民の間に強く浸透している。
さらに、70年代に入ると、30年代から続く高福祉路線は曲がり角に差し掛かりつつあった。高い経済成長を背景に手厚い福祉を実践したが、オイルショック後の世界的な不況によって経済成長は鈍化。公的部門の肥大化が国家財政を圧迫していた。
サムハルを作ろうとした背景にあるのは徹底した合理性。「労働人口を少しでも増やし、少しでも多く税金を徴収する」という冷徹な計算もあった。
(以下略) <<
社会主義ソビエトは「階級闘争」の名の下、優秀な人材を追放・抹殺し、促成栽培的に育成した素人連中に重要な経済的権限を与えた結果、とんでもない放漫経営を横行させ、ついに破滅を迎えました。うまくいく根拠などどこにもないのにも関わらず、国民の「ヒューマニズム」を前提とした甘っちょろい制度設計のあげく、「福祉ぶら下がり」を大規模に横行させました。いまどきソ連をお手本にしようという国などありません。
他方、資本主義スウェーデンは、「国民の家」構想の下、緻密な制度設計で階級間利害関係を調整しつつ、さまざまな立場・利益関係・境遇の人々を糾合し、効率的な福祉国家を経営してきました。90年代初頭の経済危機に際しては、「経済的には規制緩和を推進しつつも、福祉の給付水準は維持する」という大胆な改革を推進しました。「思想的純潔性」にこだわることもなく、障碍者に対する雇用機会の提供の動機について「ヒューマニズムだけが理由ではない」と素直に述べて憚りません。そして、なによりも、いまもなお生き延びています。「規制緩和と社会政策の両立」という意味で新しい試みを展開している点において、いまもなお、福祉国家のひとつのモデルになっています。
とっくの昔に大破滅を迎えた社会主義ソビエト、いまもなお手本として名高い資本主義スウェーデン・・・ロシア革命から100年、ソ連崩壊から26年。そろそろ諦めて成仏しましょうよ。