>> もう“不倫”は時代遅れ?! 複数人と性愛関係を築く「ポリアモリー」とは■一世代の範囲での実証も中途半端な実践を「新しいスタイル」などと取り上げる危険性
7/1(土) 9:40配信
あなたは同時に複数の人を愛したことがあるだろうか。浮気でも不倫でもなく、複数人と性愛関係を築く新たな恋愛スタイル「ポリアモリー」。SHELLYがMCを務める『Wの悲喜劇〜日本一過激なオンナのニュース〜』では「たくさん愛しちゃダメですか?〜ポリアモリー・不倫・結婚てナニ?〜」をテーマに、実際に複数人と関係を持つ当事者たちが赤裸々に語った。
(中略)
既婚者で2児の母である若狭美香さんは、昨年夫婦で婚外恋愛をOKにしようという話し合いを持ったという。現在は、夫とは別に彼氏がおり、その彼は若狭さんの家族の住む自宅へも遊びに来る仲だという話が出ると、SHELLYをはじめ出演者たちから驚きの声があがった。
子どもへの説明はどうするのかと問われると、若狭さんは「普通に“好きな人”と。子どもって、まだ5歳くらいだと好きな人が3人いるとか普通なんですよ。それを堂々と言っている」と話す。
(以下略) <<
猫も杓子も「新しいxx(新しいスタイル)」の時代。最近は「多様性」という便利ワードを使ってくるケースも増えつつあり、その背後には、「社会は変わる・変えられる」といった前提が基盤として控えていることが多々あります。
最初に私の立場を述べておけば、私は、革新性・多様性を何よりも重視する立場であるし、また、社会的常識・観念・思考・言説が時代によって変化してゆくことを積極的に認める立場です。そしてそれは、誰かが「設計」するものではなく、生活の現場から発生・進化してゆく「自生的秩序」(Spontaneous order)であると考えています。これは当ブログの基本論調です。
私は、「新しいxx」といった革新的な考え方で社会をよりよく改造してゆくこと、当ブログがタイトルに掲げている「革命精神」に、大変な魅力を感じています(Spontaneous orderと言いながら、백두의 혁명정신とも言うのは何だか矛盾しているような気もするかも知れませんが、別稿にて語りたいと思っています)。他方、時代が変化していくからこそ、その変化の荒波のなかにあっても「変わってこなかった常識・観念・思考・言説」は、何世代にもわたる「長期的な実践的社会実験」に耐えてきたという点において、超時代的な強固な基盤があるともいえます(時代の区切り方という問題もあるでしょうがそれは別稿)。
一世代の範囲での実証も中途半端な「短期的な社会実験」は、単なる「素人の思いつき」の枠を超えていないのではないでしょうか。素人の勝手な自己判断で「予想していなかった分野・局面での不都合な事態」を招かないでしょうか。私はF.A.ハイエクの著作を継続的に読み研究していますが、人類の長年にわたる実践的積み重ねの結果として形成された伝統的慣習・制度、あるいは暗黙的ルールが果たす役割は極めて大きく、合理的思考の結果として人為的に制定された成文法は勿論のこと、「新しいxx」といった形で持て囃されがちな、一部の人々の限定合理的な頭脳が紡ぎだしたに過ぎない(平たく言えば「思い付き」に過ぎない)新興の言説・様式(スタイル)の危うさについては、慎重の上にも慎重を期さねばならないと考えています。その点において、「新しいxx」を押し過ぎるのも問題であるとも考えてます。
■1対1のパートナー関係がデフォルトでありつづけている意味
さて、本件記事のメインテーマである「ポリアモリー」。パートナー間での協議・合意の上での「新しい恋愛スタイル」とのことなので、昨今盛んな不倫批判――突き詰めれば「パートナー間での信頼に対する裏切り行為」――には当てはまらないことは間違いのないことです。実践している本人たちも、その点においては「うしろめたさ」はないので、堂々と映像に出ているのでしょう。彼・彼女らは「勝手な自己判断でパートナーを裏切ってはならないが、逆に言えば、一般的な1対1のパートナー関係は、お互いの合意さえあれば縛られる必要はないんだ」という考え方なのでしょう。
しかし、コメ欄で高い支持ポイントを獲得しているコメントでも指摘されているように、1対1のパートナー関係が何世代にもわたってデフォルトとして継続してき、今なお基本的なスタイルとして一般的に受容され守られている理由は、そんな単純なものではないのです。
>> 二児の母で、夫とは別の肉体関係のある恋人が普通に家に来る。
子どもたちに与える影響のこと真剣に考えた結果がコレならただのクズなんじゃないの?
ディスカッションして美談みたいにしてるんだろうけど、この人の子どもたちのことを思うと不憫でならん。 <<
>> ヤラセじゃなくこの人たちが本当のことを言ってるのなら、「子どもたちに与える影響」――きわめて重要な別視点です。「普通に“好きな人”と。子どもって、まだ5歳くらいだと好きな人が3人いるとか普通なんですよ。それを堂々と言っている」などという言い分が果たしていつまで通用するのでしょうか。二の矢・三の矢が用意されていることを祈るばかりです・・・
既婚者は、双方の実家が昔からきちんと近所付き合いしてるお家なら
テレビ出演がバレると、身内が恥ずかしい思いをするし、
独身者は、この先本当に好きな人が出来て結婚を考えた時、
パートナーにこのテレビ出演がバレたり、
そんな生活を送っていたと告白したら、果たして快く受け入れてもらえるだろうか?
ワンナイトも含め自由恋愛なら、性病のリスクだって高まるし、
子供への説明も物事が分かってくればどうするんだろう?
あまり物事深く考えないんだろうな・・・・ <<
もちろん、こうした批判に対して、ポリアモリー実践者たちが有効な再反論を展開(二の矢・三の矢をキチンと用意していた)でき、そして論争に勝利できれば、「『1対1のパートナー関係』は、実は縛られる必要のない『思い込み』だった」と勝利宣言できることでしょう。これは今後の展開を注視しなければならない論題です。元来、「新しい考え方」の正しさを実証するという営みは、即断できない性質のものです。
しかし、この記事を見た範囲では、あまり多角的な検討の上での実践ではなく、狭い視野と想定の範囲での実践、素人の思い付きの範囲を脱していないのではないかと言わざるを得ません。「裏切り」という論点においては、パートナー同士の合意があるが故に批判は免れるものの、「子どもたちに与える影響」という点においては、まさしく前述した「予想していなかった分野・局面での不都合な事態」のリスクに直面しています。
5月6日づけ「「不合理なルールを変えて多様性を実現する」を単なる「何でもあり」にしないために」にて私は次のように述べました。
>> (前略)「多様性」ではなく「何でもあり」でしかない言説も増えつつあるように思います。そしてそうした言説は、往々にして「自分には規制の合理的理由付けが思いつかないから」レベルの短絡的な言い分に過ぎなかったりします。少し危険な臭いもします。バカの底の浅い思い付きという可能性が、この記事から拭い去ることができません。
「自分には思いつかないから/理解できないから」と述べる人は「自分が馬鹿だから思いつかない/理解できない」という可能性には思いが至らないのでしょうか?(以下略) <<
■「新しい」ものの魔力
もっとも、彼・彼女らがそのリスクを最後まで背負うというのであれば、第三者がとやかく言うことではないのかもしれません(どうなっても知らないよーん)。しかし、前述のとおり、こういった素人の浅知恵に基づく中途半端なシロモノを「新しいスタイル」として報じることは、また別の問題です。一般的に、内実や展開がはっきりしないものを肯定的に位置づけて他人に知らせるというのは、「無責任な煽り」と言われても文句は言えないものです。
内実がはっきりしないのに、「新しい」や、あるいは「多様性」といった語句をつけれてさえいれば何だか正しそうな「空気」を作ってはなりません。あまり短絡的に「新しいxx」を押すべきではありません。私自身は既述のとおり、革命精神に大変な魅力を感じていますが、だからこそ、この「魔力」には十分に注意しなければならないと考えています。
その点、私は以前から繰り返しているように、遠大な理想像を描きながら、実践においては1つ1つロールバックできる程度の小改善を繰り返す「漸進主義」を支持しています。バカの浅慮が急進主義的に実践されることによって不可逆的・破滅的結果になることを防ぎつつも、「石橋を叩き壊して橋を架けなおす」ような臆病に陥ることをも防ぎます。