>> ネットの「善意」の盲点 九州豪雨で「タオル大量送付」が起きたワケ
7/12(水) 14:53配信
「皆様の支援で助かっていることは確かです。ただ、それで『困っている』部分もあるんです」――。2017年7月12日、J-CASTニュースの取材にこう話すのは、九州での豪雨被害を受けてSNSに「タオル支援」を呼び掛けた大分県日田市の女性だ。
12日昼時点で、女性の元には段ボール約500箱分のタオルが届いている。また、一時は支援に関する問い合わせ電話が1日に100件近くもかかってきた。当人は「対応に追われている」として、「まさか、こんなことになるとは...」と話す。
(中略)
浸水の影響で店舗と自宅は泥だらけになり、掃除に必要なタオルが足りなくなった。そこで、5日夜に更新したSNSで、浸水被害の状況を写真付きで紹介するとともに、
「古いタオル、全国から大募集」
などと、住所と電話番号を添えて呼び掛けた。
この呼びかけには多くのネットユーザーが反応。翌6日までにシェア数は500件を超え、大量のタオルが届くことになった。直接、店舗までタオルを届ける人もおり、6日朝に、
「タオル十分足りてます!」
と投稿。その後6日夕になって、「混乱を招く」ためタオル募集を呼び掛けた投稿を削除したことを報告した。
だが、その後も大量のタオルが届く。一部のブロガーやツイッターユーザーが、削除済みの「タオル募集」投稿の拡散を進めたことが原因だ。8日の更新で「(タオルは)送らないでください」と発信。続けて、
「タオルは現在募集しておりません。(中略)問い合わせが殺到して、対応が大変な状況です。facebookしかしていませんが、ツイッターで蔓延しているそうです。困っています。ご協力お願いします」
とも呼び掛けた。
問い合わせ電話は1日「100件」近くに
だが、それでもネットの「拡散」は止まらない。女性が「送らないでください」と訴えた8日以降も、ツイッターには、
「雑巾がたくさん必要だそうです」
「古いタオルわりとあるからおくろうと思う」
「まとめて現地に送ります」
とのコメント付きで、タオル支援を広く呼び掛ける投稿が寄せられていた。中には、タオル募集を中止した事などを伝えるツイートもあるのだが、「拡散」を食い止める力はなかったようだ。
こうした「拡散」の結果、どれだけのタオルが送られてきたのだろうか。
12日昼に当人に話を聞くと、「これまでに、段ボール500箱近くですかね」。現在も段ボール単位でタオルが届く状況だという。また、一人だけでは大量の荷物に対応できないため、周辺の住民にタオルの受け取りや仕分けの「ボランティア」も依頼しているそうだ。
さらに、支援の「問い合わせ電話」にも追われているという。支援ができないかと尋ねてくる電話は「すべて断っている」とした上で、
「一時は、1日100件近くの問い合わせがありました。本当に、朝から晩までひっきりなしに電話がかかってくる状況で...。今は少なくなりましたけど、まだ電話は来ますよ」
としていた。
こうした状況を説明した上で、支援への対応に追われ「日常生活が大分削られているのは事実」として、「やっぱり、過剰な支援に困っている部分はあります」と話した。
「ネットの良さと怖さの両方を感じた」
ただ、送られてきたタオルは「決して無駄になっていません」とも訴える。集まったタオルを周辺住民に配布したり、近隣の避難所にまとめて送ったりと、タオルの支援で「地域が助かっていることは確か」だという。
その一方で、「まさか、こんなことになるとは。ネットの良さと怖さの両方を感じた」とも漏らす。そう感じた理由については、
「問い合わせの電話に対応する中で気づいたんですが、皆さん『私の投稿』を見ているわけではないんですよ。拡散、転載された投稿だけを見て電話をしてくる。だから、もう支援を打ち切っていることにも、全然気付いていないんです。『助けたい』という気持ちばかりが先行していたような人もいました」
と説明する。
(中略)
今回の取材の終わり、「今後は物資を貰うつもりは一切ありません」と一言。その上で、
「皆さんにも、改めて考えて頂けたら嬉しいです。ネットで拡散されている情報だけを見て、被災地に物資を送ることが本当に正しいのか。その善意が、本当に被災者の助けになるのか。私自身も、過去に被災地に支援物資を送ったことがあります。こうした自分の過去の行動も含めて、今回の出来事は、支援のあり方をみんなで考える良い機会になったんじゃないかと、そう思っています」
と話していた。
最終更新:7/12(水) 21:28 <<
我が国には「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「有難迷惑」「本末転倒」という言葉がありますが、それらに照らしてまったく同感の記事であると同時に、叩かれないかヒヤヒヤしながら読んでいましたが、案の定、その手の連中からコメ欄でアレコレ言われています。昨今のいわゆる「善意」が、単なる自分本位な自己満足にすぎないことを明白に示す好例です。
まずはコメ欄から拾ってみましょう。
>> 足りないから送って(願)「支援してもらって当たり前ではない」――この反発している手合いの根本動機は、おそらくここにあるのでしょう。「支援してもらって文句を言うとは何事だ! 立場をわきまえろ! どーせ支援してもらって当然とか思っているんだろう!」といった具合であることは、想像に難くありません。
足りたら迷惑だから送らないで(泣)って。
この人ちょっとわがままなんでは?
大震災経験者だから、確かに大変なのも気持ちはわかるけどさ
支援してもらって当たり前じゃないんだよ。
当たり前だと思っているからこういう言い方になる。
送る側も考えなくてはいけないけど、
善意を踏みにじった感じのするこういう言い方はよくない。
もっと違う言い方があったのでは? <<
しかし、取材に応えた女性はそんなことは全く述べていません。しっかり読みましょう。そして、我が国の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「有難迷惑」「本末転倒」という言葉を思い起こしましょう。支援というものは、相手の役に立ってこそのものです。受け手にとって有益・役に立つのであれば意味のある善意であり、そうでない「善意」には価値はないのです。善意であるかどうかというのは、究極的には論点ではないのです。たとえば、売名目的であったとしても、被災者の役に立つ供給をする集団と、善意の塊ではあるものの、見当違いの物資をひたすら送り続ける集団であれば、前者のみが有意義なのです。
事実として、思慮の足りない「支援」は、被災地にとって「有難迷惑」になっています。その心遣いは有難いけど迷惑なのです。その心遣いは有難いけど役に立っていないのです。取材に応えた女性の言い回しの慎重さを見るに、「有難いけど困っている」ということがよく分かります。容易に誤解されそうなテーマで敢えて取材に応えるというのは相当難しかったことでしょう。また、JーCASTニュースの割には慎重にインタビューを切り貼りしているところを見るに、編集部も相当苦慮したものと思われます(ちなみに私はこの記事で「有難迷惑」という言葉を多用していますが、取材に応えた女性はこの言葉を一切使っていませんので、ご注意ください)。それでもなお噛みつく自称「善意」の人たち。成果を出していないのに、「ボクちゃんこんなに頑張ったんだもん!」と喚く姿を見るに、「善意」などというものは、結局のところ、ボクちゃんの自分本位な自己満足にすぎないのでしょう。
このことは、女性が「もうタオルは足りています」と言明し、必死に最新情報を発信しているにもかかわらず、古い情報を目にした「善意」のネットユーザーたちが現地の最新情報を自ら調べようともせずに脊髄反射的にタオルを送り続けている事実からも推察できます。本当の善意であれば、いまこの瞬間に被災者たちが何を求めているのかを自らしっかり調査したうえで支援計画を立てるものです。そして、自らの支援活動が被災者たちの「困った」を解決できていないという事実に直面したときには、素直に直ちに認識と行動を改めるのです。それが本当の意味での善意、「被災者の役に立つことを目的とする善意」です。
その点、以下に挙げるコメントなどまさに、「見当違いの善意」のど真ん中。
>> 豚高菜のパスタが旨い | 6時間前「本当に善意」だから、いったい何なのでしょうか? 成果が上がっていなければ意味がないの。「動機」だけでプラス評価されるのは学生のうちだけなの。
この人の言ってることも分らんでもないけど、タオルを送った人や支援の問い合わせをしてる人って、本当に善意なんだよ。
確かに支援を考えるきっかけにはなるんだろうと思うけど、なんかこの文章だけ読んでると腑に落ちない。
<<
女性の、最初の支援要請の発信にケチをつけるのも出る始末。
>> cho***** | 5時間前責任問題に係るアラ捜しは、昨今の日本社会を覆う一つの悪しきトレンドですが、ヤフコメの右に出るものはなかなかいません。これはまた貫禄を見せつけてくれるアラ捜しっぷりです。日ごろから責任の押し付け合いをするような過酷な環境で生きているのでしょうか? それはさておき、「期待可能性」というと刑法の専門用語になってしまいますが、この考え方を援用してみると新しい地平が見えてくると思いますよ。
記事読んで違和感…この人のFB見て嫌悪感に変わりました。
確かに拡散する側にソースの確認や現状の確認が足りてなかったかもしれないけど、元々の発信で期限等決めてなかったのは自分のミスでしょ?
それなのに拡散した人から謝りの連絡が来ました!自分から謝れてよかったね!みたいな投稿があって引きました。
大変だと思うけど、酷すぎ。 <<
さらに言えば、コメントでは明白には書かれてはいませんが、行間からにじみ出てくる「立場をわきまえろ!」といった認識も誤っています。そもそも、天災は非人為的かつ確率的なものですから、その支援活動というものは「お互い様精神」を基礎基盤とするものです。「支援してもらって当たり前ではない」などと言う割には、他方でご自分は「支援してやっている」という意識だというのは、頭の中が混乱しているのか、それとも、そもそも頭が悪くて本質が見抜けていないかのどちらかなのでしょう。
災害義援募金活動やボランティア的な活動に対して、まったくの滅私奉公精神を要求し、少しでも「私利私欲」の影と疑われるようなものが見えようものならば猛烈なバッシングを展開する、「動機の潔癖性」を異常なまでに要求する昨今の世論ですが、「有難迷惑」に対してこういう反発を見せている所を見ると、目的が自分本位の自己満足に過ぎないという意味において、世論の言説こそが「私利私欲」でしかないと言わざるを得ません。
あるいは、「動機の潔癖性」があまりにも行き過ぎて、「支援者の動機が潔癖であれば、結果などどうでもいい、実際に被災者の役に立っているのかなんて問題ではない」という境地(本末転倒)にまで至っているのかもしれません。自分本位の善意の押し付け、善意の逆切れ。
だいたい、他人のボランティア活動に「滅私奉公精神」を求めるのであれば、自分たちこそ、被災者から罵られようと何を言われようと、それどころか何の反応もなかったとしても、ひたすら黙ってご奉公するのが筋ってものでしょうに。
これを読んで反発している、ボクちゃんの自分本位の自己満足のために慈善活動を利用しているような手合い、被災者の役に立っているか否かではなく「困っている人を助けてあげているワタシってステキ(現地がどうなっているのかは、よく知らないけど)」が前面に出てしまうような手合いは、被災者にとっては迷惑な連中でしょうから、ぜひともこれでヘソを曲げて慈善活動から足を洗ってくれることを期待します。