>> インフラ破壊し1年後に9割死亡 「電磁パルス攻撃」の恐怖自衛隊OBの大センセイのご高説。電磁パルス攻撃の脅威について余すところなく論じていますが、残念ながら、対策については「素人的」というほかありません。「自衛隊幹部OBの指摘に『素人』と言うお前は何者なんだよw」と言われれば、「一民間人」と答えるほかありませんが、基礎的な経済学の勉強を一通りしてき、今もなお研究している身としては、そういう他にないのです。
7/11(火) 7:00配信
核攻撃と聞けば、多くの日本人は広島、長崎の原爆投下のような被害を想定する。だが、それとはまったく異なる脅威が存在する。核を高高度の上空で爆発させる「電磁パルス攻撃」だ。元陸上自衛隊化学学校長の鬼塚隆志氏が電磁パルス攻撃への対策を講ずるよう訴える。
(中略)
日本がまず行うべきは、社会的インフラにおける脆弱性の把握だ。日本企業の技術屋は各々が受け持つシステムの弱点を知っているが、企業が被る不利益を考えて公言しないだろう。そこで政治がリーダーシップを発揮して民間企業から情報を集め、迅速な復旧のための予備部品をストックし、重要なインフラには電磁波遮蔽(シールド)機能を施すなど、平時から対策を講じる必要がある。
(中略)
【PROFILE】おにづか・たかし/1949年生まれ。防衛大学校卒業後、自衛隊入隊。陸上自衛隊富士学校特科部長などを経て、2004年、陸上自衛隊化学学校長兼大宮駐屯地司令。2005年退官。
※SAPIO2017年8月号 <<
「日本企業の技術屋は各々が受け持つシステムの弱点を知っているが、企業が被る不利益を考えて公言しない」から、「政治がリーダーシップを発揮して民間企業から情報を集め」るべきだ、という鬼塚氏の構想は、国防問題と経済問題という分野の違いがあるとはいえ、個人が私的に独占している技術的情報を、何らかの「大義」に基づいて「聞き出す」という点に共通点を見出せば、20世紀前半にF.A.ハイエクがその完全なる失敗を予言し、予言通り一つとして成功しなかった中央集権的指令経済(社会主義計画経済)のプランとまったく同じです。
中央集権的指令経済(社会主義計画経済)の困難性は、大きく2段階に分類できます。第1段階は「計画立案の困難性」です。「社会的な好ましさ」を誰がどう決めるのかという困難性です。一人ひとり嗜好も利害関係も異なり、錯綜しているのだから、それを調整することが難しいのは、素人考えでも分かるかと思います。理論上は、ワルラスの一般均衡理論を使えばパレート最適には到達します(左翼はワルラス的ミクロ経済学を「近代経済学」などと罵倒・嘲笑しますが、自分たちの目標を達成するにはワルラスの枠組みに則るしかないんですよねw)が、パレート最適状態と公平性はまた別問題です。また、実際問題として考えたとき、そうスムーズにワルラス的にパレート最適に至るはずもなく、「いつまでも決まらない」か「見切り発車的にある一定の『好ましさ』を押し付ける」ことになるのがオチです。
計画立案の時点で中央集権的指令は、理論上は可能であるものの、実際的には実施困難であることが見て取れます。もっとも、国防問題は経済問題に比べて「大義名分」を振りかざし易い(「祖国防衛の大義」を押し付け易い)性質があるので、「社会的な好ましさ」の設定という論点はそれほど困難ではないのかもしれません。しかし、第二段階の「実施に必要な情報収集の困難性」によって、経済問題はもとより国防問題においても、中央集権的指令の構想は破綻に追い込まれます。
この論点が抱える問題点は、簡単に言ってしまえば大きく2つあります。@「生産にかかる技術的情報は、いわゆる『暗黙知』によるところも大きいので、そもそも言語化して伝達すること自体が困難である」とA「『自分しか知らない儲けのタネになる情報』や『自分しか知らない自分の不利益になる情報』を、易々と公表する馬鹿はいない」ということです。
ハイエクを研究するにあたっては@の要素が極めて重要(個人が私的に独占する情報が、「お上からの指令・組織化」なくして如何にして社会全体の組織的秩序に自生的に進化してゆくのか)ですが、今回の主題に沿ってAについて述べましょう。これは至極当然のことです。誰が儲けのタネを大声で話しますか。誰が、黙っていればバレずに済む情報を自分から告白しますか。インセンティブなくして私的に独占している技術的情報を進んで公表するはずがないのです。現実の社会主義計画経済は、そのイデオロギー的要請から、個人に対するインセンティブの付与に対して消極的でしたが、そのことは、個人が私的に独占している技術的情報を引き出すことについに成功できなかった一大要因です。他方で、「革命の大義」(「祖国防衛の大義」によく似ています)なるものに基づき、強権を振りかざして「自白強要」的に技術的情報を聞き出そうとしたものの、とんでもない独裁政権が出来上がった割には、いわゆる「上に政策あれば、下に対策あり」で、かわされてしまい、必要な情報を集めきれず失敗したのが歴史的事実でした。
このことは、ハンガリー人民共和国(共産政権)において実際に経済管理行政を経験したコルナイ(Kornai János)も明確に述べている点、単にハイエクという理論家が象牙の塔において構想した仮説の域を脱していないストーリーではなく、実験的に実証済みの客観的事実です。コルナイの自伝はなんと邦訳されている(1冊5000円くらいするけど)ので、該当部分を以下に引用します。
この問題を今の頭で考え直してみると、既述したハイエク・タイプの議論に辿り着く。すべての知識すべての情報を、単一のセンター(中央)、あるいはセンターとそれを支えるサブ・センターに集めることは不可能だ。知識は必然的に分権化される。情報を所有するものが自らのために利用することで、情報の効率的な完全利用が実現する。したがって、分権化された情報には、営業の自由と私的所有が付随していなければならない。もちろん、最後の断片まで情報を分権化する必要はないとしても、可能な限り分権化されているのが望ましい。コルナイ・ヤーノシュ『コルナイ・ヤーノシュ自伝 思索する力を得て』(2006)日本評論社、P158から
ここで我々は、「社会主義中央集権化の標準的な機能のひとつとして、数理計画化が有効に組み込まれないのはどうしてだろうか」という問題を越えて、「所与の社会主義政治・社会・経済環境の中で、中央計画化が効率的に近代的に機能しないのはどうしてだろうか」という一般的な問題に辿り着く。
計画化に携わる諸機関の内側で、長期間のインサイダーとして仕事に従事してみて、(中略)社会主義の信奉者が唱えるような期待は、どのような現代的な技術を使っても、社会主義の計画化では実現できないという確信がより深まったのである。
防大卒で陸自化学学校長を経験した鬼塚氏が、経済学の中でも玄人好みといえる分野(制度経済学と社会主義経済学の重複部分)に通暁しているとは思えないし、SAPIO編集部に教養があるとは到底思えないので、今回は仕方なかったのかとも思っています。国家社会を論じるというのは総合問題を解くようなもの。誰しも自分の専門外には詳しくないものです。
とはいえ、自衛隊幹部OBの言い分と、独裁政治に必然的に堕落した中央集権的指令経済(社会主義計画経済)論者の言い分が瓜二つに類似したことは興味深いことです。「政治がリーダーシップを発揮して民間企業から情報を集め、国防体制を固める」とする鬼塚氏の言い分からは、計画経済が独裁に転落した上に失敗した轍を踏みかねない危険性が見て取れます。他方で、「国防体制を固める」という大義名分は、しはしば個人の人権を抑圧・蹂躙するものですが、人権を声高に主張する社会主義勢力のプランが、インセンティブ無視の「自白強要」のプランと構造的にほぼ同じである点からは、「社会主義が掲げる理想像は、社会主義が掲げる方法論では達成しえないのではないか」という懸念を惹起します。両者とも、歴史的事実としてレーニンが「戦時共産主義」という、興味深いスローガンのもとに何をやったのかを、よく学びなおすとよいでしょう。なお、Новая экономическая политика(НЭП;ネップ=新経済政策)は、カーメネフに対する書簡を見るに、レーニンの本望とは言えないのではないかと思われます。
自衛隊幹部OBの発言から透けて見える中央集権的指令経済(社会主義計画経済)の発想――歴史に学ぶ姿勢からみれば、失敗と独裁への転落は目に見えています。単に独裁政権になるだけならまだしも(それもそれで嫌ですけどね)、失敗しているようではまったく意味がありません。こわいこわい。