>> 「高橋まつりさんの働き方も合法化される」弁護士ら「高プロ・裁量労働拡大」を批判相変わらず、労働界は電通の件を「単なる長時間労働の末の過労死」と位置付けているようです。あの事件の本質は、パワハラであるにも関わらず! 勤務時間という客観的証拠が挙がり易い長時間労働問題と比べて、パワハラ問題は証拠集めがより難しいので、「取り上げづらい・闘いづらい」という点があるとは思いますが、かくも本質から避け続けているのを見ると、結局のところ労働界は高橋まつりさんの死をダシにして、運動上の目的を追求しているだけなのではないかとも思えてきます。
7/26(水) 17:31配信
今秋の臨時国会で争点になるとみられる労働基準法の改正。政府は、裁量労働制の対象拡大や、年収1075万円以上の専門職を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度」(高プロ制)の導入を目指している。成立すれば、残業の概念がなくなるため、労働時間の増加が懸念されている。
(中略)
発言は、厚労省記者クラブで開かれた会見でのもの。会見には、労働系弁護士や過労死遺族の団体が参加し、「残業代ゼロ法案」とも呼ばれる、労基法改正案の「まやかし」を指摘した。各団体は「ピンチをチャンスに変え、廃案に持ち込みたい」としている。
(中略)
●裁量労働制の拡大に警鐘「高橋まつりさんの働き方も合法化される」
改正案では、高プロ制のほか、企画業務型裁量労働制を、法人営業に拡大することも盛り込まれている。企画業務型裁量労働制とは、企画・立案・調査・分析に当たる労働者を対象に、実際の労働時間と関係なく、決められた時間分の労働をしたとみなす制度だ。
しかし、裁量労働制は、単なる「残業代減らし」に使われていることが少なくない。弁護士らによると、裁量がほとんどなかったり、対象にならないはずの労働者に適用したりと、企業が独自の解釈で運用できてしまうのが現状だという。
過労自殺した電通・高橋まつりさんの遺族代理人も務めた、過労死弁護団全国連絡会議の川人博弁護士は、裁量労働制の拡大について次のように警鐘を鳴らした。
「サラリーマンの営業職は、法人に関連した営業が基本で、何らかの形で企画に関与しているというのが実態だ。高橋まつりさんについても、この範疇の中に組み入れられて、長時間労働の規制を一切なくす対象になりうる。企画業務型の拡大は、長時間労働を促進し、現在の状況を合法化してしまう」(川人弁護士)
(以下略) <<
アリさんマークの引越社のときも、チュチェ105(2016)年12月16日づけ「自主的かつスマートなブラック企業訴訟の実績――辞めた上で法的責任を問う方法論」でも述べたとおり、ブラック企業の被害者本人のために活動しているとは到底思えないような「支援」、事件を運動上の目的追求の手段としてしか捉えていないのではないかという疑念を強く惹起する展開が見られたものですが、今回も同様だと言わざるを得ません。
「高橋まつりさんの働き方も合法化される」というのは警鐘のつもりなのでしょうか? たしかに、合法化されれば、いよいよ取り締まる根拠がなくなるでしょう。しかし、すでに労働法がマトモに機能しておらず、真っ黒な違法な働かせ方をしていても現に野放しです。そして、法で縛ったところで、そもそもブラック企業は法令順守意識に乏しいからブラック企業なのであり、裁判官のお説教程度で改心するはずがない極端な反社会的利己主義分子です。鈍重なる法規制ベクトルと悪賢く機敏なる回避ベクトルとのイタチゴッコ(ほとんどの場合、悪賢い回避側の勝ちでしょう)になるのがオチです。
以前から繰り返し述べているように、「法で縛る」という方法論の限界にこそ目を向けるべきであり、ある種の労働運動の再興こそが唯一の道です。もちろん、チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」を筆頭に繰り返しているように、従来型労働運動は逆効果です。同年10月15日づけ「周囲の助けを借りつつ「嫌だから辞める」「無理だから辞める」べき」でも述べたように、「嫌だから辞める」「無理だから辞める」といった方法論を、労組や弁護士の支援の下で行うべきです。劣悪な労働環境からの脱出を階級的連帯の原理原則に基づいて支援するという意味での労働運動が必要なのです。
もっとも、そんなんじゃ弁護士のメシのタネにはならないのかもしれませんし、「正義感」とやらが許さないのかもしれません。しかし、前者については労組から顧問料を取ればいい話だし、後者についても、チュチェ105(2016)年12月16日づけ「自主的かつスマートなブラック企業訴訟の実績――辞めた上で法的責任を問う方法論」でも述べたように、労働者が安全な新天地に避難してからシロクロつけるという方法論があり得ます。弁護士のメシのタネや「正義感」という点では心配ありません。
「ピンチをチャンスに変え、廃案に持ち込みたい」というのであれば、これを機に、「法的規制強化と法的規制緩和綱引き」という二次元的な視点に終始するのではなく、新しい意味での労働運動の展開という三次元的な方法論にシフトすべきです。
ラベル:自主権の問題としての労働問題