>> ブラック企業リストの公表で浮かび上がってくる「中小企業へのしわ寄せ」■ブラック企業問題は、労働屋が描く単純な「労使階級闘争物語」ではない――自由化と民主化による自主化のための「二段階革命論」
8/17(木) 19:25配信
◆344社が実名公表…その多くは中小企業だった
厚生労働省が5月10日に、いわゆる「ブラック企業」の実名公表を行いました。公開基準は、長時間労働や賃金不払いなど労働関係法令に違反した疑いで送検された企業で、全国合計で344社でした。その後も月に1回ほどのペースでリストは更新されており、8月15日には401社になっています。
実名公開そのものの是非はともかくとして、少し気になったのは、リスト掲載企業に大手関連企業の名前がごくわずかで、大半が中小企業である点です。もっとも、中小企業は日本企業の大半を占めているので、リスト掲載企業の多くが中小企業であっても不思議ではないのですが、その企業が大手企業の下請けではないのか、という点が気になるのです。
◆大手企業との「主従関係は絶対」 よって現場は…
理由はこうです。大手企業の下請けというのは基本的に、仕様、品質、価格等々、すべてにおいて発注元である大手企業の支配下にあります。つまり、仕様変更を言い渡されればそれに従い、品質の向上を求められればそれを順守する。さらに、納品価格を下げろと言われれば、それすらも飲まざるを得ない、そんな関係にあるのです。
(中略)
彼によれば、広告代理店の下請けデザイン会社、ゼネコン下請け企業、IT大手の下請けプログラミング会社等々、日本ではあらゆる業界に「しわ寄せブラック」は存在する、と言います。大手企業と下請け中小企業の主従関係。「しわ寄せブラック」はある意味、大手企業が下請け企業を支配するという垂直統合を得意としてきた日本の産業構造が生み落とした陰の部分とも言えそうです。ならば今また、働き方改革が叫ばれ大手企業がここに取り組むことで、更なるしわ寄せが下請けを襲うのではないかという懸念が感じられもするのです。
◆経産省は「下請けGメン」を本格始動するが…
「しわ寄せ中小企業」たたきで終わらない対応が望まれる経済産業省は大企業が中小企業への買いたたきなどをしていないかを調べる「下請けGメン」を4月から本格始動するなど、これまで手がけてきている「下請けいじめ」防止にさらに本腰を入れて動き出しました。しかしこれはあくまで、経産省所轄の発注価格部分に限った話に過ぎません。
厚労省は今後ブラック企業リストを毎月更新すると公言していますが、ならば納期に関する「下請けいじめ」の実態はどうなのか、リストに上がった中小企業が実は「しわ寄せブラック」の被害者ではないのか、経産省同様に自らの足で調査することが必要でしょう。そして、もししわ寄せの存在が判明するなら、その大手企業こそ実名公表されるべきなのです。
ブラック企業リストの公表をしわ寄せ中小企業たたきで終わらせず、ブラック職場を根源から絶つ。厚労省にはそんな気概を持った対応が望まれるところです。
大関 暁夫
最終更新:8/17(木) 19:25 <<
重要な指摘です。この点を考えるためには、手前味噌になりますが、ブラック企業問題は、労働屋が描く単純な「労使階級闘争物語」として捉えるのではなく、「自主権の問題」として捉えるべきだと改めて申し上げたいところです。
ブラック企業問題は、第一義的には労働問題であり、労使の力関係の問題です。しかし、視野を広げ論点を深堀りして考察すれば、使用者(企業・資本)もまた経済構造の被造物であると言えます。中小企業について言えば、大企業との関係における「下請け構造」に行動を規定・束縛される部分は大きいとみるべきです。
記事中、筆者の大関氏は、下請け構造を「大手企業と下請け中小企業の主従関係」と正しく表現しました。「主従の関係性」は、「自主」とは対極をなす構造です。ブラック企業問題の根底に「下請け構造」=「企業間における主従の関係性」があるとするのであれば、その解決の道筋は、まさしく「自主化」であると言うことができます。
自主化の道筋について私は、チュチェ105(2016)年1月20日づけ「「オーナーの私有財産としての芸能事務所」という事実に切り込まずして「ジャニーズの民主化」を語る認識の混乱」において、「棲み分けによって自由市場原理が働き、人々が相互牽制的な関係性になることで、相対的な自立度があがります。自主管理によって相互牽制としてではなく、真に自らの足で立てるようになり、他人に依存することなくなります」と述べました。すなわち、「まずは移籍・転籍の活性化による自由化、次に自主管理・協同経営による民主化」という自主化のための「二段階革命論」を唱えました。
■下請けGメンが果たしうる役割は限定的であろう
ブラック企業問題の根底に「下請け構造」があり、この問題を解決するには「下請け構造」を変革する必要があり、そのためには、第一段階として相互牽制的関係性の構築を狙った自由化、第二段階として自主管理化という「二段階革命」の路線をとる必要があるというプランに立てば、大関氏が期待をかける「下請けGメン」は、あくまで第一段階の、それもあくまで初歩的な部分を「補完」する程度の役回りしか果たし得ないことが容易に推察できます。
下請けGメンが果たしうる役割など、所詮は「パトロール」と「通報に基づく検挙」にとどまります。警察が地域住民の防犯協力や110番通報を必要としているように、下請けGメンも結局は、不当な要求に対する現場からの通報に頼らざるを得ません。しかし、大企業と中小企業の垂直的構造の中においては、中小企業側が大企業側の不当な要求を逐次通報するという展開は、現実味が薄いと言わざるを得ません。勇気をもって雪印乳業の不正を告発した下請け業者が、結局仕事を干されてしまった前例が現に存在しています。となれば、「地域住民の防犯協力」や「110番通報」に相当するアクションが下請けGメンに寄せられる可能性は低いと言わざるを得ません。やはり、下請けGメンなどに頼るのではなく、中小企業が自力として、大企業の不当な圧力にそれなりに対抗できるようにならなければいけないのです。
■「二段階革命論」の優位性
この点において、市場メカニズムを活用した相互牽制的関係性の構築が有力なプランとして浮上してきます。取引先の多角化により、特定企業に依存せざるを得ない弱い立ち位置から脱するべきなのです。これこそが私が提唱する「二段階革命論」の第一段階;自由化です。そして、多角化によって自分自身の立ち位置を固めて交渉力を高めた上で、第二段階の自主管理化に取り掛かるべきです。
※この点は、日本共産党が提唱する「中小企業の統一戦線」的な発想とは一線を画すものです。私は基本的に、「鉄の団結による意識的・計画的な変革」ではなく「ベクトル合成の如き要領で自生的・結果的に達成される変革」を重視する立場です。
大関氏がブラック企業問題の考察の視野を広げ、下請け構造に切り込んだことは正しい視点でした。しかし、下請け構造を是正するにあたって「下請けGメン」に期待を掛けてしまったのはマズかった。下請け構造があるからこそ、下請けGメンには期待が掛けられないのです。だからこそ、中小企業が自力として交渉力を持たなければならず、そのためには、市場メカニズムを活用し、企業同士の関係性において相互牽制的な構造を構築すべきなのです。そしてまた、「相互牽制的構造」に留まるのではなく、自らの運命を自らで管理し切り開く「自主化」に、ゆくゆくは踏み出すべきなのです。大関氏は残念ながら、中途半端だったのです。
■大企業もまた経済構造の被造物であることを忘れてはならない――大企業叩きではなく社会経済総体を自主管理志向で変革するしかない
大関氏の中途半端さについてもう1点指摘しておきましょう。中小企業がブラック化する要因について、下請けの「構造」を指摘したことは、繰り返しになりますが、正しい指摘です。個別資本もまた、経済構造の被造物であるというのは、かのK.マルクスも『資本論』の序言で述べている通りです。しかし、下請けヒエラルキーの上層に位置する大企業だって、いわゆる「競争の強制法則」が貫徹する以上は、決して安泰ではありません。大企業もまた、おかれている客観的構造を鳥瞰的に見れば、依然として経済構造の被造物です。
その点、ブラック企業問題は、その勤め先に責を帰結できる問題ではないことは勿論、発注側大企業にもその責を負わせることはできないというべきです。労働問題を巡ってしばしば、「本質的には大企業と言えども特定企業でどうにかなる問題ではなく、社会経済の総体のレベルにおいて大きく変革しなければならない」と私が述べているのは、そのためです。
社会経済の総体を自主管理的に改造する――ブラック企業問題を深堀すればするほど、その根本的解決には、自主管理化の道しかないと言えるでしょう。
ラベル:自主権の問題としての労働問題 ☆