>> ロシア革命100年、なぜこうも忘れられたのか■ひたすら言い逃れることが可能な非科学的理屈
11/8(水) 9:00配信
東洋経済オンライン
1917年10月25日(新暦では11月7日)、ロシアの首都で労働者や兵士による武装蜂起が起きた。ロシア革命(十月革命)である。それからちょうど100年の節目を迎えたわけだが、ほとんど語られることはなく、すっかり忘れ去られた感がある。
いつの時代にも、歴史を規定するのは現在である。客観的歴史などというものなどない。事件を巡る解釈の変化は、いくらでも行われる。しかし、ロシア革命の場合は、たんに解釈が変わったというレベルではない。「無意味な革命」として歴史から抹殺されようとしているのである。
なぜ、ロシア革命が歴史から抹殺されようとしているのか。そのことについて考える前に、1789年のフランス革命の解釈の変化について述べていく。実は、「フランス革命の解釈の変化」と「ロシア革命の歴史からの抹殺」は密接に関係しているからだ。
(中略)
■社会主義・共産主義運動は「反革命」になった
フランス革命が自由を求めるものであれば、その後に続く平等を求める声、社会主義・共産主義運動の声は、すべてが反革命のように見えてくる。そのことを示すべく、ロベスピエールによる恐怖政治が持ち出される。自由を求める声は一人の独裁者によって封殺されたのである、と。だからフランス革命は、ロベスピエールが出現して、反革命になったのだと喧伝される。
ロベスピエールが、行き過ぎた自由を抑制するために国家統制を行ったことは、すべて反自由、反革命といったマイナス・イメージで捉えられた。そうなるとパリ・コミューンやロシア革命も、ロベスピエールと同じ流れに位置づけられるようになる。資本主義の行き過ぎた自由、それが引き起こす不平等に対して国家が統制すること、それが社会主義であるとすれば、社会主義はロベスピエールの恐怖国家のように、自由に対する不自由、自由主義に対する全体主義を意味することになる。人類の進歩が自由にあるのであれば、全体主義はそれに対する退歩である。
となると、社会主義・共産主義運動の歴史は退歩の歴史になる。1989年にパリで開かれた地味な学術会議の中で、ロシア革命にいたる19世紀の社会主義、共産主義の歴史は、静かに葬りさられていたのである。
(中略)
ロシア革命は、歴史の徒花になった。あの革命がなかったならば、ロシア、東欧は今以上に発展し、自由を満喫できたはず、というのが今の主流の解釈だ。こうして、ロシア革命に言及することは歴史のネジを逆に回すことのように見られるようになり、語られることも少なくなっていった。マルクスやレーニンの名前に変わって、新しい英雄の名前トクヴィルやアーレント、そしてフランス革命新解釈の仕掛け人元共産党員フランソワ・フュレが、記念碑に刻まれるようになった。
■もとの解釈が復活する可能性だってある
1960年代にロシア革命をフランス革命と並ぶ歴史的革命だと教科書で学んだ旧い世代、そして自由の結果である貧困に苦しむ人々は、今のところこの劇的な解釈の変化にため息をつくしかない。もちろん歴史は後世、いや後世に支配権を握ったものが決める。だから、もう一度もとの解釈が復活する可能性はある。
実はフランス革命がナポレオンの敗北によって終焉を迎えたころ、フランス革命の解釈は大きく変化した。王政復古の勢いを借りて、フランス革命は不幸な暴徒による革命となり、とりわけロベスピエールがその不幸の象徴となったのである。しかし、1830年7月革命によって、また形勢は逆転する。その後に続く革命の結果、フランス革命=ブルジョワ革命説が定着するのである。
後世恐るべし。古い世代は、捲土重来を期待しながら「我が後に大洪水きたらん」と、考えるのかもしれない。
的場 昭弘 :神奈川大学国際センター所長、教授 <<
「もう一度もとの解釈が復活する可能性はある」――そりゃまあ、誰も未来のことを確定的に語ることはできない上に、具体的な期日や期間の指定もなく、ただ漠然と「可能性」を述べるだけであれば、なんだって「あり得る」でしょう。理論的予測・考察を否定する事実がどれだけ発生しようとも、漠然とした「未来」について語るのであれば、「これは一時的・例外的事象に過ぎず、いつかは理論を裏打ちする事象が発生する」などと、ひたすら言い逃れることが可能になります。
また、的場氏の理屈の場合、いったいどういうキッカケがあればロシア革命への見解が再転回し得るのか、その展望がまったく見えてこないものです。
キムジョンイル総書記が古典的名著「社会主義は科学である」で述べた理論、すなわち、
@人間には、世界と自己の運命の主人として、なにものにも従属・束縛されることなく生き発展しようとする自主的志向(自主性)と、客観的世界を改造し得る創造的能力(創造性)、客観的世界を認識・理解し、自分自身の行動を目的意識的に統御し得る意識性を持つこと
A人民大衆の自主性は社会主義・共産主義によってのみ実現すること
B社会主義は人民の志向であり意志であるがゆえに、必ず勝利する
という三段論法的理論のように、何らかの根拠に基づいた展望を提示して目下の客観的事実を「あくまで一時的・例外的現象」と位置付けるというのであれば、これは「科学的な展望」ということもできるでしょう。もちろん、キムジョンイル総書記の展望は、説得力がある内容とはいえ、人類史の方向性をかなり大雑把に示しているだけで具体的な期日や期間の指定に欠けている点、残念ながら厳密さに欠けると言わざるを得ないところです。しかし、的場氏の理屈の場合、大雑把な方向性の提示すらなく本当にただ漠然と「可能性」に縋っているに留まります。こんなもの、およそ科学的とは言えません。
■空想から科学へ、科学から信仰へ
人々が社会主義の未来について根拠のある展望を語っていた時代は過去のものであり、いまや具体的な期日や期間の指定もなく、ただ漠然と未来の「可能性」に縋る水準にまで落ち込んでいる・・・社会主義は19世紀から20世紀にかけて空想から科学へ変化し、20世紀から21世紀にかけて科学から信仰に変化したようです。
■「科学から信仰へ」は決して悪いことばかりではない
もっとも、これは私は決して悪いことばかりではないと思います。先に述べたように、誰も未来のことを確定的に語ることはできない以上は、およそあらゆる未来予測は、程度の差こそあれ、「信仰的」なものです。我が研究の恩師も、「科学ってのは、宗教みたいなところがある。まだ証明されていなくても、その仮説が正しいと『信じている』からこそ、実証的に研究をするもんだ。」と教えてくださったものです。
もともと、未来に理想社会を見出す思想には、人間の「信仰心」をくすぐるというか、信仰的発想に似た要素があるものです。共産主義思想の「未来に理想社会を見出す」という特徴的要素と、キリスト教の「千年王国論」との類似性を指摘したのは、まさしく的場氏の著作『ネオ共産主義論』でした。その点、社会主義に信仰的な要素が加わることは、私は悪いことではないと思っています。その最先端を進んでいるのが朝鮮革命です。
キムジョンイル総書記は次のように指摘されています。
「人間は難関に屈すれば再起できないが、天が崩れても抜け出す穴はあるとの腹で立ち向かうならば、いかなる難関も乗り越えることができる」
「決心さえすればなにごともなせる、という信念は天から降ってくるのではなく、自らの力と知恵と才能を信じることから生じる」
「信念と意志の強い人間は、つねに未来を愛するものである」
キムジョンイル総書記が上掲のようなお言葉を述べられていることと関連して、共和国では、1990年代の「苦難の行軍」の時期以来、「信心」という単語がキーワードとして頻出します。共和国は「音楽政治の大国」ですが、たとえば、「신심드높이 가리라」(信心高くゆかん)という曲を筆頭として、「승리의 길」(勝利の道)の「我らは己を信じるが如く、勝利を固く信じ生きる」という歌詞など、盛んに「信心」に訴える政治思想宣伝が展開されたものでした。
また、「苦難の行軍」を乗り越えて久しい今年に新たに発表された「사회주의 전진가」(社会主義前進歌)においても、楽観的な曲にのせて「信心」という単語が歌詞にあらわれます。「信心」という単語は、朝鮮革命の重要キーワードとして定着していると言ってよい思われます。
■信仰的社会主義だからこその「生命力」
展望なんてまるでなくとも、ある意味「信仰的」な境地で、あくまでも社会主義の理想を追い続ける――前述のとおり、社会主義は19世紀から20世紀にかけて空想から科学へ変化し、20世紀から21世紀にかけて科学から信仰に変化しました。そして、そうであるがために、「科学」を騙る無味乾燥で詰まらない「生産力主義」から脱し、未来社会論として人心を掴み・扇動する理想論に回帰し得るキッカケを掴んだとも言えるかもしれません。
社会主義が信仰的である限りは、社会主義の立場をとらない人たちを説得することなど不可能だし、具体的な展望を描けないようでは、近いうちに社会主義を実現させる条件は存在しないと言わざるを得ないでしょう。しかし、社会主義が信仰的であればこそ、日陰で細々としているかもしれないが、命脈は保ち続けることでしょう。科学は論破できても、信仰は論破できないものであり、人間は、「思い」や「志」を現実のモノとするために創意工夫の努力を重ねるものです。その努力の過程で、何かしらの好機を見出した時、社会主義は「水を得た魚」の如く復活する「かも」知れません。「科学ではなくなった」からこそ、社会主義は逆に「生命力」を得てしぶとくなったのです。
チュチェ思想によれば、前述したとおり、人間には客観的世界を改造し得る創造的能力(創造性)と客観的世界を認識・理解し、自分自身の行動を目的意識的に統御し得る意識性を持つとされています。チュチェ思想の社会歴史観を応用すれば、これら創造性と意識性が、平たく言えば「科学技術力」が、信仰的社会主義によって基礎づけられている自主性と合わさることによって、人々の自主的要求が実現され得るような世の中、つまり社会主義社会が出来上がってゆくと言えるでしょう。
社会主義が信仰的になったからこそ、信奉者たちは、ちょっとやそっとのことでは社会主義の理想を捨てなくなってゆくことでしょう。その「信仰的頑なさ」が「科学技術力の発展」と融合するとき、社会主義が実現することでしょう。