>> 中国 デジタルで蘇るレーニン主義「数年以内には『ビッグデータとAIによる計画経済』を言い出す輩が出てくるだろうな」とは思っていましたが、早速でてきましたね。
11/16(木) 15:00配信
ニュースソクラ
10月革命100周年 新たな体制競争の始まりか
初の社会主義国家、ソビエト連邦を生んだロシアの「10月革命」からちょうど100周年。そのソ連は4半世紀前に世界地図から消えた。社会主義の凋落は「計画経済が市場経済との競争に負けた」から、が通説だ。
だが、歴史の遺物のはずの「社会主義」を、先月の中国共産党大会で、習近平総書記が連呼した。ビッグデータなどデジタル技術の活用で、計画経済の“敗者復活”があるかも、という見方が出てきた。名づけて「デジタル・レーニン主義(Digital Leninism)」。
(中略)
ソ連崩壊後、市場経済の優位が世界の常識になり、中国も、とう小平の「改革開放」以来、市場経済化を進めてきた。ところが習近平政権で風向きが変わった。
その変化を「デジタル・レーニン主義」と名づけたのは、ドイツのメルカトル財団・中国研究所のセバスチャン・ハイルマン所長。習政権がデジタル技術を利用し、経済や社会の統治を再構築しつつある、と見る。
この見方なら、市場経済化に逆行するような最近の動きも合点がいく。国有企業改革を唱えながら、民営化しないで国有企業同士を合併させ、巨大国有企業を次々誕生させていること。上場企業で、共産党の経営介入を容認する定款改正(もちろん政権の意向を忖度して)が相次ぐことなどだ。
以前この欄で、アリババ集団のジャック・マー(馬雲)会長の「ビッグデータの時代に、人工知能(AI)の力を借りれば、市場の“見えざる手”に代わる計画経済が実現する」という持論を紹介した。
(中略)
1世紀前の10月革命の申し子「ソ連」の消滅で冷戦に終止符を打って4半世紀、デジタル・レーニン主義との新たな体制競争が始まるのだろうか。
(以下略) <<
■周回遅れの計画経済論が装いだけは新たに登場
何かスゴいことが書いてあるのかと思えば、なんのことはない、社会主義経済計算論争のときに計画派のO.ランゲが持ち出した新古典派一般均衡理論をAIに置き換えたようなもの。ハイエクの計画経済批判を乗り越えていません。
「市場の“見えざる手”に代わる計画経済」なる言説の科学的合理性は、アリババ集団の馬会長のご高説を待つまでもなく、既に数理科学的に証明されています。経済を多元連立方程式とした上で数理計画の最適化問題として演算すれば、市場における自由競争を実際に行わなくとも計画的に経済の一般均衡解を得られることは、既に1950年代には証明されています。
一般的に、ランゲの理論が登場したことを以って社会主義経済計算論争は、計画派の勝利とされています。また、ハンガリー人民共和国ではこの理論を根拠にした計画経済が施行されました。しかしながら、数理科学的には正しいことが証明されたはずの計画経済が、「なぜか」完全なる失敗に終わっていることは動かしがたい歴史的事実です。ハンガリー人民共和国の計画経済も失敗しています。
この「奇妙な事実」を説明するにあたっては、社会主義経済計算論争におけるハイエクの指摘を踏まえる必要があります。ハイエクは、ランゲらが展開した計画化理論について、そうした演算を行うにあたって必要とされる「入力値」を計画当局者が十分には収集できないので、計画経済は理論的には演算可能だとしても、現実の方法論にはなり得ないとしたのです。
何故、「入力値」を計画当局者は十分には収集できないのかといえば、それは、ひとり一人の経済主体が持つ情報はいずれも私的なものであり、彼らにはそれらを余すことなく計画当局者に提供するインセンティブがなかったり、あるいは、そもそも言語表現できないような情報も経済活動においては重要な役割を担っているからです。
このことについて私は、7月16日づけ「自衛隊幹部OBの発言から透けて見える中央集権的指令経済(社会主義計画経済)の発想」において、ハンガリーで実際に当局者として経済の計画化に従事してきたコルナイ(Kornai János)の回顧録を引用しました。再引用します。
>> この問題を今の頭で考え直してみると、既述したハイエク・タイプの議論に辿り着く。すべての知識すべての情報を、単一のセンター(中央)、あるいはセンターとそれを支えるサブ・センターに集めることは不可能だ。知識は必然的に分権化される。情報を所有するものが自らのために利用することで、情報の効率的な完全利用が実現する。したがって、分権化された情報には、営業の自由と私的所有が付随していなければならない。もちろん、最後の断片まで情報を分権化する必要はないとしても、可能な限り分権化されているのが望ましい。コルナイ・ヤーノシュ『コルナイ・ヤーノシュ自伝 思索する力を得て』(2006)日本評論社、P158から
ここで我々は、「社会主義中央集権化の標準的な機能のひとつとして、数理計画化が有効に組み込まれないのはどうしてだろうか」という問題を越えて、「所与の社会主義政治・社会・経済環境の中で、中央計画化が効率的に近代的に機能しないのはどうしてだろうか」という一般的な問題に辿り着く。
計画化に携わる諸機関の内側で、長期間のインサイダーとして仕事に従事してみて、(中略)社会主義の信奉者が唱えるような期待は、どのような現代的な技術を使っても、社会主義の計画化では実現できないという確信がより深まったのである。 <<
果たしてAIと言えども、生身の人間が持っている私的な情報を収集できるのでしょうか? 生産にかかわる暗黙知、誰にも知られていない儲けのタネ、消費にかかわる嗜好や必要性・・・これらに関する情報は膨大であり、一つ一つを洗い出して挙げ切れるものではありません(我々の貨幣経済においては、それらの情報のすべてを「価格」に凝縮することによって、効率的に流通を裁いています)。ましてそれらを、いくらAIと言えども、生身の人間から余すことなく聞き出すことなどできるのでしょうか? 後述するように、経済現象にはしばしばカオスが発生する以上は、「だいたい」などではなく「余すことなく」聞き出すことが不可欠です。あまりにも楽観的な展望です。
昨今のAI信仰には、「人工知能の技術が発展すれば」という「近未来小説」に成り下がっていることが往々にしてあります。全知全能に近いAIが実現すれば、何だって簡単にできるでしょうが、そんなものが「技術の進歩」によって本当に出来得るのかということを問わねばならないでしょう。この手のAI信仰は、「ドラえもんが居れば・・・」レベルの話であると言わざるを得ないものが少なくないものです。
■「昨日と今日が連続している」ことがビッグデータ活用の大前提
ビッグデータ、つまり統計的推論の限界については、チュチェ105(2016)年7月16日づけ「「ビッグデータによる参議院選議席予想」からみる社会予測の原理的困難性」においても言及しています。すなわち、ビッグデータの予測手法は、過去の人間思考・世界構造が今日も続いているという大前提のもと、過去のデータを基に将来を予測するものに過ぎません。しかし、上掲過去ログでも述べているように、人心すなわち社会の構成主体である人々の意思決定は、突発的かつ激しく変動するシロモノです。そうである以上は、長期的な予測には原理的に困難性が伴い、せいぜい、短期的な予測の繰り返しにしかならないことでしょう。
ビッグデータの解析は、短期的な意思決定の円滑化を補助するツールにはなり得るかも知れませんが、もともと計画経済という語句には「経済の長期的組織化・計画化」という意味が込められているものです。とてもではありませんが「ビッグデータによる計画経済」など執行できないことでしょう。
■AIと言えども、カオス系の初期値鋭敏性を乗り越えることは出来ないだろう
また、経済現象においてはカオスがしばしば発生するものですが、カオス系においては原理的に長期予測が不可能です。というのも、シミュレーションを行うにあたって必要な入力値に、小数点以下無限桁レベルの僅かな違い(誤差)があるだけで、長期展望に大きな差異が生じてしまうからです。これは、「初期値鋭敏性」というカオス系を特徴づける重要な要素ですが、このために、カオス系における長期予測は事実上、不可能になるのです。
AIを持ち出そうとも、ビッグデータを持ち出そうとも、何をしてもこのことは変わりありません。AIと言えども、小数点以下無限桁レベルの「精度」までフォローし切れるものではなく、初期値鋭敏性を乗り越えることはできないでしょう。このことは、科学の進歩で乗り越えられるような「程度の問題」ではなく「原理の問題」です。原理レベルで予測は不可能なのです。
■「デジタル・レーニン主義」の正体
結局、「デジタル・レーニン主義」なる理屈は、『フォイエルバッハ論』で展開されているような素朴な唯物論、科学の進歩への無邪気な幻想を未だに墨守している人々の楽観的空想の域を脱していないと言うべきでしょう。20世紀の科学は、唯物論的科学を突き詰めた結果として、科学的予測の原理的限界を解明し、近代以来の進歩主義的哲学・世界観に大変革をもたらしました。
哲学・世界観が19世紀レベルに留まる人たちが、21世紀の最新ツールをツマミ食い的に導入した結果、発生したのが、「デジタル・レーニン主義」という他ないでしょう。19世紀レベルの素朴な科学信仰・進歩幻想から進歩できなかったがゆえに失敗に終わったのが20世紀的社会主義の末路でしたが、20世紀的社会主義の崩壊から何も学んでいない、一歩も進歩していないのが「デジタル・レーニン主義」です。「デジタル・レーニン主義との新たな体制競争が始まる」はずがありません。
もっとも、「デジタル・レーニン主義」など、社会主義・共産主義の面影がおぼろげになって久しい中国「共産」党政権が一党独裁を維持し続けるための方便に過ぎないのかもしれません。そうだとすれば、これほどまでにデタラメな理屈であっても何の不思議もありません。
■まとめ
@いくらAIと言えども、生身の人間から余すことなく「聞き出す」ことなどできるのか?
Aビッグデータは、過去の構造が今日も続いていることが前提だが、人心はもっと移ろいやすいものではないのか?
短期計画ならまだしも、長期計画を見据えた計画経済はビッグデータを以てしても不可能ではないのか?
Bそもそも経済現象においては、しばしばカオスが発生するが、AIを持ち出そうとも、ビッグデータを持ち出そうとも、カオス系は原理的に長期予測が不可能である。