「チュチェ106(2017)年を振り返る」の第3弾として、「朝鮮半島情勢をめぐる日本国内の情勢」について振り返りたいと思います。今年の漢字が「北」になった点からも明らかなとおり、共和国のミサイル開発・核開発を巡って日本国内が騒然とした一年でした。
■下半期以降、共和国の自衛論理が報じられるようになった
さて、共和国の1年は「新年の辞」に始まります。今年は「ICBM最終段階」発言があった関係上、核実験とミサイル実験が相次いだ一年でした。
このこと自体については、特に7月29日づけ「ICBM発射実験は安保理決議違反だが正当防衛」で述べ尽くしているところです。すなわち、@国連安保理決議は帝国主義勢力の邪なる魂胆を基盤としてできたシロモノではあるものの、それを「不当だから」というだけで破る行為は、帝国主義勢力にとって利益になるだけであり、極力避けるべきである。Aそもそも共和国のミサイル開発は米帝の急迫不正なる直接的脅威に対する正当防衛である。以上より、今回のICBM発射実験は、「安保理決議に違反するが、正当防衛的に違法性は阻却されるので、不法行為ではない」という認識です。正当防衛的な自衛措置の一環というわけです。
このことは、春の時点では「北朝鮮の挑発」という認識で一色だったマスメディアにおいても、下半期以降、少しずつ触れられるようになってきました。たとえば10月8日づけ「共和国の自衛論理が報じられるようになった」では、毎日新聞が共和国の自衛論理を割と正確に報じていることを取り上げました。日本の世論は、「悪者」認定された者の主張を伝えようものなら、その伝達者までをも激しく叩く傾向があります。「悪者」の言い分には一切耳を傾けてはならず、耳を傾けることは「悪者」の肩を持つことになるとされる御国柄で、敵国の主張がそのまま報じられることは異例なことでした。
下半期以降の急転回は、上半期に展開されていた言説があまりにも短絡的だったための「揺り戻し」かもしれません。それだけ上半期に展開された言説は酷かったものです。
■上半期の短絡的・好戦的世論は、平和ボケの証拠
上半期の短絡的・好戦的世論について振り返りましょう。まさに「戦前の朝日新聞」と言わざるを得ない短絡的で好戦的な言説が氾濫し、いまにも「斬首作戦」が発動されるかのような見通しが、まことしやかに流布していたものでした。
4月13日づけ「朝鮮半島情勢を巡る、戦前の朝日新聞のような短絡的論調の「世論」」では、米軍の攻撃が国際経済に与えうるリスクに関する考察も、米軍の兵站の進捗の関する考察も抜きにして「斬首作戦」の開始時期について云々する、途方のない平和ボケっぷりを取り上げました。軍事行動計画が目指す目標がハイレベルであればあるほど考慮すべきケースは爆発的に増加するものです。「危ないかもしれないから今のうちに・・・」といったレベルでは「斬首作戦」に至るはずもありません。
4月26日づけ「大規模砲撃演習を「極めて挑発的な威嚇」と認識できない単細胞な「世論」」では、共和国側は、そんなこと一言も宣言していないにも関わらず、勝手に「4月25日に核実験がある」という「単なる憶測」が、いつの間にか「既定のスケジュール」に摩り替り、それが現実のものにならなかったや否や「ビビった」などと扱き下ろす言説を取り上げました。なぜかは分からないが連合国・連合軍の戦術・戦略を決めてかかった日本軍の戦略的敗北の過程と瓜二つの現象が、戦後72年たって再現したのです。「戦前の朝日新聞」を越えて「ミリオタ気取りの中学生」レベルの認識で国際情勢を語っている、とんでもない実態が明らかになったのです。
また、「キムジョンウンの首さえ狩れば問題は解決する」といったコメントが割りと実しやかに語られたことについて私は、「コトは個人の行動によるものではなく体制的に生まれたものであり、システムとして回っているというのが根本的に分かっていない」と批判しました。お手本のような観念論的現状認識。やはり、中学生レベルの認識に留まっていると言わざるを得ないものでした。
4月28日づけ「ポプラ事件(板門店事件)が「北朝鮮の完敗」に見える産経新聞の表層的分析――戦略的目標を達成したのは誰だったのか」では、共和国側が「名を捨て実を取った」チュチェ65(1976)年の板門店事件(ポプラ事件)を「北朝鮮の完敗」と位置付けた産経新聞記者の不見識を笑いました。同記事末尾で私は、「中学生程度のメンタルだと「常勝・完勝」でなければ気がすまないものですが、大人の世界ではそんなことは二の次、泥臭かろうと目的を達成することこそが重要」や「日露戦争時に海軍作戦担当参謀だった秋山真之は、アメリカ留学中に記した『天剣漫録』で「敗くるも目的を達することあり。 勝つも目的を達せざることあり。 真正の勝利は目的の達不達に存す。」と述べました。是非とも産経編集部が学ぶべき指摘です。」と述べました。
春に展開されたこれら程度の低い諸言説は、まさに現代日本の一般的水準が、甚だしい平和ボケの状態にあることを示す事実です。戦争というものをあまりにも手軽に考えていると言わざるを得ない軽薄な言説が氾濫していました。9月22日づけの記事で述べましたが、ただ漠然と「備えあれば憂いなし」というのであれば、「宇宙人の地球侵略」や「ゴジラの東京上陸」にも対策を打たなければならなくなります。その程度の言説が氾濫していたのでした。
■「丸腰平和主義の面目躍如」と言わざるを得ない平和ボケっぷりを見せた日本共産党
平和ボケつながりで、共和国が置かれている客観的条件を捨象し、ワイドショーと一緒になって「挑発」だのと繰り返していた日本共産党についても是非とも述べておかなければなりません。10月22日づけ「朝米のどちらが真に挑発的なのか」で取り上げたとおり、社民党でさえ正しく理解している国際情勢を、世間の顔色を窺っているのか、歪曲的に認識していたのが日本共産党でした。
8月の弾道ミサイル発射をうけて日本共産党中央委員会は、「米国を含めて国際社会が対話による解決を模索しているもとで、それに逆行する性格をもつ行為であることを、強調しなければならない」などという表現を含めた談話を発表しました。しかし、それを言うのであれば、「元はと言えば、朝米間の緊張状態を作り出しているのは誰なのか、朝鮮戦争休戦協定にある『外国軍の撤退』の定めを無視しているのは誰か」という点について問わねばならないところです。また、祖国解放戦争(朝鮮戦争)停戦以来の歴史的経緯を振り返った時、共和国に「武器を置く」という選択肢はあり得たのでしょうか? 日本共産党は、「累次の国連安保理決議などに違反する暴挙」といいますが、共和国は以前から一貫して、アメリカの急迫不正なる侵略策動に対する正当防衛であると述べてきました。「丸腰平和主義の面目躍如」と言わざるを得ない平和ボケっぷりです。
日本共産党が、いくら「自衛隊を活用する」といった形での現実主義路線を提唱しても、こうも認識がズレているようでは、肝心なところで自衛隊を上手く活用できないのではないかと心配になるところです。
また、記事でも述べたように、ここまで軍事的緊張が高まったタイミングで「緊張緩和のための対話」が展開されるということは、すなわち「軍事力を背景にしてこそ対話は成立する」ことの実例になるにも関わらず、日本共産党は、日本国憲法第9条の活用例であるかの如く位置付けています。ボケ過ぎではないでしょうか?
■総括
右も左も真ん中も、みんな揃って平和ボケ。朝鮮半島情勢をめぐる日本国内の情勢から明らかになったのは、とんでもなくボケボケな平和国家・日本の姿でした。
2017年12月31日
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