2018年06月23日

朝米会談の「負け」を受けて因習的思考回路にメスを入れるアメリカ、しがみつく日本

朝米首脳会談から10日経ちました。

共和国側の会談成果については早々から指摘されていたものの、アメリカ側の成果が判然としない今会談。10日も経てば「実は、北はトランプの罠に引っ掛かった」系の指摘が出てくる頃合いですが、一向にそういった類の指摘が出てきません。それどころか、事前の過熱報道とは打って変わった静けさです。ちょうど、サッカーの国際試合で事前に盛り上げまくったにも関わらず、話にもならないくらいに惨敗した後のような状況。日本メディアや世論は、物事が思い通りにいかなかったとき、その負けっぷりが徹底的であればあるほど、負け惜しみ的な恨み言を最後に出来事自体を触れようとしなくなる傾向がありますが、今回もそうなのかも知れません。

■因習的な思考回路にもメスを入れて「負け」から教訓を汲み取ろうとするアメリカ
今回の朝米首脳会談は、現時点では、共和国側がより多くの成果物を獲得したと言い得るものです。日米両国・西側諸国は、いままでの方法論を全方位的に見直さなければならない局面です。アメリカでは早速、因習的なアメリカ的思考回路にもメスを入れる指摘が出てきています。「圧力のかけ方を変える」といった小手先的な細工ではなく、外交戦略立案に先立つ本質的部分の再構築という点において、重要な試みであると言えます。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180619-00010006-newsweek-int&p=1
米朝会談「アメリカは高潔・聡明、敵はクレイジー」外交のツケ
6/19(火) 19:08配信
ニューズウィーク日本版

<トランプ、金正恩、日本、中国、北朝鮮国民――世紀の米朝会談で誰が得をしたのか、何が変わるのか。そもそもアメリカの外交政策には以前から「世界観」に問題があった>


(中略)

今回の首脳会談がもたらした最大の前進は、金正恩・朝鮮労働党委員長が自らのイメージを変えたことだ。謎めいていて、どこかコミカルで、残忍で非理性的な「隠者王国」の指導者から、国際社会と真剣に向き合おうと振る舞う指導者へと衣替えした。

ニューヨーク・タイムズ紙は首脳会談の数日前に、「金正恩のイメチェン──核兵器のマッドマンから有能なリーダーへ」という見出しを掲げた。しかし記事の主役は金というより、外交上の敵を非理性的でクレイジーな愚か者と見なすアメリカの自滅的な傾向についてだった。

アメリカでは経験豊富な政府高官や聡明な専門家でさえ、外交摩擦を利害の対立や政治的価値観の衝突として理解するのではなく、個人の欠点や被害妄想、現実に対するゆがんだ見方を反映していると捉えたがる。

しかし実際の金一族は、狂気的でも非理性的でもない。困難な状況下で70年にわたって権力を維持してきた政治家集団だ。

歴史を振り返れば、アメリカは数々の敵をクレイジーと見なしてきた。ロシア革命を推進したボリシェビキのイデオロギーは、「人間が考え得る最もおぞましくて醜いこと」。60年代の中国は、「世界観も人生観も非現実的な指導者が率いる」「暴力的で、短気で、頑固で、敵意に満ちた国」だった。

イラク侵攻は、サダム・フセインは侵略を繰り返す理性のない独裁者だという理由で正当化された。同じようにイランの指導者を「大量虐殺マニア」と見なし、「殉教に取りつかれた非西洋文化」を持つイランの脅威を未然に阻止するためには予防戦争も辞さない、という理論になる。

国際テロリストについても多くのアメリカ人が、精神的に錯乱して非理性的な狂気に駆られた個人と考えている。しかし、大多数のテロリストには政治的な動機があり、それなりの理性を持って主体的に行動している。たとえ自爆テロだとしても、それが自分たちの政治目的を実現する可能性が最も高い戦略だと信じている。

中には、架空の信念で突っ走る一匹狼の攻撃者もいるかもしれない。しかし、テロ集団やその指導者をひとまとめにクレイジーだと片付けることは、彼らの根強さと戦略的行為と適応力を軽視することになる。

マッドマンは政治家だった
もっとも、ある意味でこのような思考になるのも無理はない。アメリカ人は自分たちの国は高潔で、特別で、聡明で、寛大であり、アメリカの外交政策は世界のほぼ全ての人にとって望ましいと信じている。そんなアメリカの政策に同意せず、アメリカの真意を疑う者は、精神的にどこか異常があるに違いない、と。


(中略)

次に、敵対する相手の振る舞いを非理性的な要素のせいにすると、彼らの真意が見えにくくなる。

北朝鮮やイラン、リビアなどが大量破壊兵器に固執することを、アメリカでは常軌を逸する行為や悪意の証拠だと考える人もいる。北朝鮮のように貧しい国が核兵器の開発に莫大な資源をつぎ込むことは狂気でしかなく、金一族の異様さと偏執性と危険性を物語っている、というわけだ。

しかし北朝鮮にも、イランやリビアにも、他国からの攻撃を警戒する正当な理由があり、信頼できる抑止力を求める根拠も彼らなりに持っている。超大国のアメリカが自国の安全のために数千発の核弾頭を保有する必要があると思うのなら、はるかに弱い国々が核保有を有益な保険と考える理由は言うまでもない。


(中略)

スティーブン・ウォルト(ハーバード大学ケネディ行政大学院教授)
アメリカでは経験豊富な政府高官や聡明な専門家でさえ、外交摩擦を利害の対立や政治的価値観の衝突として理解するのではなく、個人の欠点や被害妄想、現実に対するゆがんだ見方を反映していると捉えたがる」というのは、まさに典型的な観念論的思考という他ないものです。私は上述の指摘に加えて、西部劇的な勧善懲悪の発想も絡んでいると考えています。たとえば、イラク戦争は、「サダム・フセインは侵略を繰り返す理性のない独裁者」に対する懲罰として捉える向きがあるからです(その点、記事中の「政治的価値観の衝突として理解する」というくだりについて、私は当該記事の筆者たるウォルト教授についても、たいへん僭越ながら観念論の影が忍び寄っていると考えています)。

アメリカ外交は、根本的な事物認識のレベル・世界観レベルで間違っているのだから戦略や戦術、同盟関係をどれだけ変更したとしても失敗は免れ得ないことでしょう。このことにメスを入れる上掲引用記事の指摘は重要な論点を提供しています

■「悪人とは口をきいてはならない」とする日本
因習的発想が行動に悪影響を与えているのは、アメリカのみならず日本にも当てはまることです。アメリカで反省の風潮が出始めているのに対して、日本では依然として因習的な勧善懲悪的発想に立脚した言説、「悪との対決」の構図に立つ言説が恨み言のように出てきています
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180614-00010012-abema-int
「トランプ大統領は絶対やってはいけないことをした」パックンも米朝首脳会談に怒り
6/14(木) 15:57配信
AbemaTIMES


(中略)

■パックン「絶対やってはいけないことをした」
 13日放送のAbemaTV『AbemaPrime』に出演した宮澤エマは「トランプ大統領のTwitterを見て、アメリカ大統領の言葉というのはこんなに軽いものだったのかと思っていたが、今回の会談で存在自体も軽くなったと感じざるを得ない」とコメント。

 パックンは「僕が一番怒っているのは、人権問題には触れもせず、残酷な指導者と対等に付き合うような会談を行ってしまったこと。会談は譲歩を引き出すための手段でもあったのに、同じ数の国旗を並べ、同じものを食べ、一緒に庭を歩いた。絶対やってはいけないことだし、歴代大統領だったらしなかった」と憤る。


(中略)

岡崎研究所研究員の村野将氏は「歴史的な対面を果たしたこと自体を評価する向きがあるが、そもそも私はスタートラインに立つべきでなかったと思う。しかも会見を見る限りでは、非核化の入口にすら立っていないのではないかという印象を受けた。北朝鮮が譲歩した部分もなく、向こうの良いようになったという感想だ」と話す。

 「国際政治は“喧嘩両成敗“でお互い仲良くするということではなく、どちらに正義や正当性があるかを決する場でもある。トランプ大統領だけでなく、韓国を含めた陣営は北朝鮮に対して強く当たるべきところを自ら譲歩していった。これは昨年まで日本が考えていた戦略とは違う。緊張が緩和したからプラスなんだという評価をする方もいるが、中身が詰まってないまま融和ムードだけが先行することは間違いなくよくないことだと思う。こちらが正義だというのであれば、北朝鮮の方から妥協してくるまで圧力はかけ続けたままであるべきだ。今後。トランプ大統領が軍事的な圧力をかけることはかなり難しくなってきていると思うし、北朝鮮が非核化の履行をしない、状況が改善させないようであれば、日本としては再び軍事的圧力に転じるようなことも積極的に言っていくべきだと思う」。


(以下略)
日本在住歴が長く、また米ハーバード大学(比較宗教学専攻)卒業のパックン(パトリック・ハーラン氏)の「僕が一番怒っているのは、人権問題には触れもせず、残酷な指導者と対等に付き合うような会談を行ってしまったこと」という主張。日米両国の文化に通暁している彼の言説が日本のメディアで取り上げられている事実を見るに、彼の言説は「一人のアメリカ出身者の単なる個人的な意見」を超える「国内世論の傾向を示すサンプル的な重み」を感じるところです。

それをいうなら、1972年のニクソン訪中(文化大革命の真っ最中!)や、1979年の米中国交正常化(これは文革終結後だが)はどうなるのでしょうか? いまだって中国共産党政権は重大な人権侵害を続けていると指摘されています。歴代の米ソ首脳会談は? 第二次大戦後に限っても、フルシチョフとアイゼンハワー(雪解け期)、ブレジネフとフォード(デタント期)、そしてゴルバチョフとブッシュ父(冷戦終結)・・・「歴代大統領だったらしなかった」などと言い放つパックンは忘れているのかもしれません(まさかフェイクをかましている?)が、アメリカ大統領は、アメリカ的基準では堂々の「人権侵害国家」に該当するソ連・中国の首脳と対話してきました。それが歴史的事実・ファクトです。

残酷な指導者」だからといって対話に応じないというのは、「悪との対決」の構図に立っており勧善懲悪的である点においてテレビウケするコメントではあるものの、こんな心構えを外交政策の中心に据えようものなら、進むものも進まなくなることでしょう。歴史的事実・ファクトとして、米ソ関係・米中関係は厳しい対決構図の中にあっても対話によって前進してきたのです。「悪の帝国」との対決姿勢によってではなく、マルタ島での会談によって米ソ冷戦は終わったのです。たとえ相手側が自国の価値観とは根本的に異なり、是認することができないような信念体系を信奉していたとしても、敢えてそういった人物と接触することによって、少しずつ自国が目指している世界を作ろうとする心構えが大切です。トランプ大統領に限らず、アメリカの歴代政権はそうしてきました。

「対北政策」は、「悪との対決」の構図に立ち勧善懲悪的にやってきたのに、一向に成果が上がらず、むしろ「最大限の圧力」が逆に朝中両国を結束させる方向に作用しているのが客観的事実・ファクトです。"Deal"したからといって物事が進むという保証はありませんが、成果が上がらないどころか逆効果さえ生んでいる方法論にしがみつくようでは、間違いなく話は進みません。たとえば拉致問題では、「日)人さらいの悪徳国家;北朝鮮よ、拉致被害者を返さない限り日本は対話には応じないぞ!」→「朝)じゃあ別にいいよ」で早15年。このこと一つとっても、「悪人とは口をきいてはならない」戦略の行く末は既に現実世界で観測できるはずです。

事実を突きつけられても依然として「悪との対決」の構図に立ち勧善懲悪にしがみつく言説が飛び出てくる点、この発想の根深さを改めて感じざるを得ません。

■国益の調整としてではなく勧善懲悪で動こうとする日本
続く岡崎研究所研究員の村野将氏の発言。「国際政治は“喧嘩両成敗“でお互い仲良くするということではなく、どちらに正義や正当性があるかを決する場でもある」。こりゃ凄いw

村野氏が言う「正義や正当性」を「国益」という単語で言いかえれば、依然として国際政治は国益同士が剥き出しでぶつかり合う場である点において、村野氏の主張は原則論的には正しいものです。しかし、いまや一国が他国に対して、自国の国益を一方的に押し付けられるような情勢にはありません。力関係の問題として見たとき、世界は確実に多極化しています。

トランプ大統領だけでなく、韓国を含めた陣営は北朝鮮に対して強く当たるべきところを自ら譲歩していった。これは昨年まで日本が考えていた戦略とは違う」だとか「こちらが正義だというのであれば、北朝鮮の方から妥協してくるまで圧力はかけ続けたままであるべきだ」などと恨みがましく言う村野氏ですが、もうそんな手法が通用しなくなっているのが、今日の国際情勢であるわけです。国益同士が剥き出しでぶつかり合う場であるからこそ、今や一方的に国益を押し付けようとするだけでは何も得られず、相手側にも一定の譲歩をしなければならなくなっているわけです。かつての現実はすでに非現実となり、村野氏が言う「昨年まで日本が考えていた戦略」は時代遅れとなっており、それに尚もしがみつくようでは観念論に転落することでしょう。

村野氏が、本来的には「国益」という単語を使うべきタイミングで「正義や正当性」という単語を敢えて使っている点を私は強く危惧します。村野氏は、パックンと同様、勧善懲悪的な枠組みで思考しています。妙なところで「善悪」を持ち込んでおり、それゆえに時代と情勢の変化を捉え損ね、ほぼ観念論化した古い主張に固執する結果になっているわけです。

アメリカでは、この度の「負け」を受けて因習的発想を克服すべきだという指摘が出始めています。日本において、こういった発想を反省する風潮はいったいいつ出てくるのでしょうか?
ラベル:国際「秩序」
posted by 管理者 at 18:01| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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