2018年12月22日

「外国人住民との共存・共生の問題」の本質は「ご近所づきあいの問題;お互いに配慮し合う関係性をつくる取り組み」;芝園団地の取り組みについて

http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201811/CK2018112902000155.html
「共生」の道模索続く 住民5000人弱、半数が外国人 川口・芝園団地
2018年11月29日

 外国人労働者の受け入れを拡大する入管難民法などの改正案が衆議院を通過し、28日に参議院での審議に入った。受け入れ拡大の大きな課題は、増加する外国人と日本人が地域でいかに一緒に生活していくかだ。そんな変化に既に向き合ってきたのが、川口市の芝園団地。5000人弱の住民の半数以上を中国人を中心とする外国人が占める中、「共生」の道を探り続けている。 (井上峻輔)

 JR蕨駅から徒歩七分。都市再生機構(UR)が管理する団地の敷地を歩くと中国語の会話が聞こえ、掲示板には日本語と中国語の両方で書かれた案内が貼られている。団地内の商店街には、中華料理店や中国の食材が買える店が並ぶ。

 かつては、日本人と中国人のトラブルが相次いだ。

 団地は一九七八年に造成され、東京都心へのアクセスの良さなどで九〇年代後半から中国人が増え始めた。二〇一〇年頃には階段で便をしたり、ベランダからごみを投げ捨てたりする住民も現れ、ベンチに「中国人帰れ」との落書きがされるまで日本人との関係が悪化した。

 「日本には中国のように日が沈んでからも屋外で遊ぶ文化がなく、屋内で過ごす人が多い。夜、屋外では静かに過ごしましょう」

 団地自治会が作った新規入居者用の冊子には、こんな内容が中国語で書かれている。ほかにも「日本の住宅は足音が響きやすい」「階段や玄関前に私物やごみを放置しないように」など、団地生活のマナーをイラスト付きで紹介している。

 自治会事務局長の岡崎広樹さん(37)は「生活習慣の違う人が入ってくれば、日本人に不満と怒りがたまるのは当然だし、中国人には悪気がないから解決が難しい。その差を埋める必要がある」と狙いを語る。

 団地の事務所には通訳が配置され、ごみ捨て場は収集日や分類を色や中国語で分かりやすく示すように。祭りなどを通じて交流の場も増やしてきた。
 現在、目立ったトラブルはなくなった。自治会の取り組みは「多文化共生の先進的事例」として、今年二月に国際交流基金の表彰も受けた。しかし、岡崎さんは言う。「今は『共存』しているだけ。『共生』となると、今でも課題が多い」

 
(中略)

 ただ、二年半続けてきたからこそ、交流の難しさも見えてきた。円山さんは「日本人の参加者は固定化されてしまっている。そもそも、交流に関心のない人が多い」と吐露する。

 団地の日本人は、若者が就職や進学を機に出て、高齢者が多い。一方、中国人は子育て世代が中心だ。「世代が異なり、生活の中での関係が生まれづらい。日本人でも自治会に入らない時代に『接点』をつくるのは難しい」と岡崎さん。苦心して関係を築いた中国人が数年で引っ越してしまうことも悩みだ。

 
(以下略)
■差別意識の根源は、実生活上での不満・トラブルの蓄積
外国・他文化にルーツを持つ人々(いわゆる「外国人」)との地域社会での共存・共生の問題。埼玉県川口市は、外国人住民の数が全国第3位(1位:東京都新宿区、2位:東京都江戸川区)で、その中でも芝園団地を含むJR蕨駅周辺は同市内でも特に外国人住民が多い地域です。ここでの取り組みは、全国を先駆ける一つのモデルケースといってよいと私は考えています。

さて、「外国人との共存・共生」というと往々にして、どこか実生活からフワフワと離れた異文化理解・多様性尊重キャンペーンの範疇に留まりがちです。「異文化を理解しよう」「多様性を認め合おう」といった観念的なお題目、いわゆる「リベラル派」にありがちですが、イデオロギー的理想から演繹的に生み出された美しいけれども抽象的なお題目を並べたくらいで地域社会での外国人住民との共存・多文化共生が実現するほど話は簡単ではありません。

チュチェ106(2017)年3月12日づけ「ご近所トラブルからの草の根レイシズム――「我々が彼らに寛容になろう」ではなく「ご近所同士お互いに配慮し合おう」」でも言及しましたが、特定集団に対する差別意識というものは、往々にして、その集団に属する一個人との間での実生活上での不満・トラブルの蓄積が、その個人が所属している集団の問題に増幅されることで生じるものです(サンプル数過少のインチキな統計的推論のようなものです)。また、自分自身が外国人とトラブルになったことがない人物であっても、インチキ統計推論的にデッチあげられたイメージによって、心理的な溝を作ってしまうものです。

ここで重要なのは、「差別意識というものは、実生活のなかから生じるもの」だということです。ヘイトスピーチには、つまみ食い的な歴史的エピソードやオカルト染みたイデオロギー的言説が付き物ですが、そういったものは「後付けの理屈」に過ぎません。それゆえ、外国人に対する差別をなくして共存・共生を目指そうとすればこそ、実生活の現場において起こりがちなトラブルを解決し、不満が鬱積しないようにすることが第一に重要な取り組みになると言えるでしょう。

特に外国人住民の場合、生活習慣・文化的背景の違いによって、まったく悪意なく迷惑行為を行っているケースがあるわけです。記事中、芝園団地自治会事務局長氏の「生活習慣の違う人が入ってくれば、日本人に不満と怒りがたまるのは当然だし、中国人には悪気がないから解決が難しい。その差を埋める必要がある」というコメントが掲載されていますが、現実を正確に捉えていらっしゃいます。

■「外国人住民との共存・共生の問題」の本質は「ご近所づきあいの問題;お互いに配慮し合う関係性をつくる取り組み」
お互いに快適な日常生活を送るためにも、特定個人によるトラブルを差別問題に発展させないためにも、実生活の現場で生じるトラブルを最優先で一つ一つ解決してゆく必要があります。「外国人住民との共存・共生の問題」は、本質的には「ご近所づきあいの問題;お互いに配慮し合う関係性をつくる取り組み」であると言えます。

さらに申せば、問題の本質を「ご近所づきあいの問題」と位置付ければこそ、外国人住民との共存・共生の問題を考えるということは、ご近所づきあいの在り方を考えることとイコールになります。この問題は外国人住民対策といった狭い範疇に留まるものではなく、日本人住民同士のケースであっても日本人vs外国人のケースであっても外国人住民同士のケースであっても等しく、「既に住んでいる人と新しく引っ越してくる人とが、お互いに配慮し合う関係性をつくる取り組み」であると言えるでしょう。そう特殊・特別な話題というわけではなく、割と普遍的な話題であるわけです。

■実生活の中から編み出され、既に実践されている特筆的活動
「外国人住民との共存・共生」の本質的を「ご近所づきあい;お互いに配慮し合う関係性をつくる取り組み」として位置付けるとき、芝園団地の取り組みは重要なモデルケースとして展開されていると言えます。というのも、「外国人住民との共存・共生」という旗印は、往々にして、「我々が異文化と多様性に寛容になろう」「異なる文化の人たちを仲間として受け入れるために、我々が生活習慣を彼らのそれに合わせよう!」といった具合に受け入れる日本人側への「変化」を要求します。これには、「後から移り住んできたくせに、なぜこちらが一方的に譲歩しなければならないのか」といった不満が生じがちです。

「外国人住民との共存・共生」を「お互いに配慮し合う関係性をつくる取り組み」として展開することは、近所付き合いの延長線上に位置づけられるものである点において、かかる不満が生じるリスクを低減するものであると言えるでしょう。これが先祖代々のムラ社会だと難しいでしょうが、旧住宅公団が1970年代に整備した芝園団地の場合、まだまだ「団地移住者一世」が暮らしておられると考えられ、ムラ社会的な「ヨソ者排除」の意識は薄いと考えられます(団地移住者一世は、みんなヨソ者同士ですから、相互調整の意識があると考えられるところです)。柔軟なご近所付き合いを期待できます。

抽象的なお題目ばかりが先走りがちな昨今において、外国人住民との共存・共生が喫緊の重要課題として直面している芝園団地の自治会が、ゴミの出し方や騒音問題といった実生活に関わる分野を切り口に活動を着実に展開していることは、重要な事実です。特に、イデオロギー的理想からの演繹・抽象的お題目の羅列ではなく、実生活の中から編み出され、既に実践されている活動である点が特筆すべきであります。地に足がついており、具体的な実例を創り上げています

歴史は実践が切り拓き、生み出し、前進させるものです。芝園団地の取り組みは歴史を切り拓いているといっても決して大袈裟ではないでしょう。素晴らしい取り組みに敬意を表します。

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チュチェ106(2017)年3月12日づけ「ご近所トラブルからの草の根レイシズム――「我々が彼らに寛容になろう」ではなく「ご近所同士お互いに配慮し合おう」
ラベル:社会
posted by 管理者 at 22:56| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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