「南青山の児相反対派」をボコボコに叩く、そんな風潮がよくない理由この問題、反対派が並べ立てる「反対理由」が、報じられている範囲では噴飯物で弁護しにくい一方で、ここまでムチャクチャな理屈を形振り構わず並べ立てているところを見るに、「相当嫌なんだろうな」「そこまで嫌がることかな? 不思議だな。何か思い込み的な物があるんだろうな」とも感じていたところです(年々、「相手の思い・動機」が気になるようになって来、昔のようには「正義一辺倒」ではなくなってきました・・・もともと他人様が何を考えているのかには興味があったけど、「歳取ったなあ」とも思う今日この頃w)。
12/25(火) 8:11配信
ITmedia ビジネスオンライン
日本中の子どもたちがクリスマスを楽しみに待ち焦がれていた最中、子どもたちがガッカリするような残念なトラブルが起きてしまった。
東京の一等地で生活するオトナたちが、虐待を受けるなど問題を抱えた子どもに対して、お前らが地域にやって来ると、治安悪化や土地の価値低下が引き起こされ、「青山」というブランドが大きく毀損(きそん)される――などと間接的にディスりだしたのである。
ご存じ、港区南青山の一時保護所を併設した児童相談所建設計画をめぐる反対派住民の主張だが、彼らの子どもに対する「口撃」はこれにとどまらない。
「このあたりのランチは1600円くらいする」「入所した子が青山の幸せな家族や着飾った人を見て、自分とのギャップを感じるのでは」などと「チョー上から目線」のロジックを展開。「不幸な子どもは、不幸で貧しい人間の多い街で暮らしとけ」とでも言わんばかりの勢いで完全に「地域に害をもたらす疫病神」扱いなのだ。
(中略)
お笑い芸人のカンニング竹山さんは情報番組で「ものすごく危険な思想」とバッサリやって、ネット民から「正論だ」と拍手喝采された。また、オセロの松嶋さんはその逆で、「児相が来たら引っ越してしまうかも」と反対派住民の心情に一定の理解を示すようなコメントをしたため「炎上」した。
個人的には、このような批判が出るのは致し方ないし、竹山さんのご指摘もそのとおりだと思う。が、その一方で、反対派住民や松嶋さんらをボコボコに叩いて留飲を下げる今の風潮はあまりよろしくない気がしている。
かばっているわけではなく、我々すべての日本人への「ブーメラン」になるからだ。
児相を受け入れない人は多い
南青山の反対派住民や松嶋さんを叩いている方たちからすると、彼らの考え方は、かなり差別的で利己的で、世間の一般常識からかけ離れていると思っているが、それは実は大きな「勘違い」なのだ。
彼らくらいの勢いで、虐待を受けた子どもや、問題行動を起こす子どもを生活圏から排除しようとする大人は日本中に山ほどいる。
誤解を恐れずに言うと、今回たまたまワイドショーで注目を集めたがゆえ、南青山の反対派住民や松嶋さんは「危険な思想」とみなされているが、ちょっと視野を広げると、日本全国で石を投げれば当たるくらい「平凡な思想」の持ち主ということなのだ。
例えば、今から2年前、大阪市で児童相談所の建設が断念されている。理由は、松嶋さんが漏らしたのと同様、「虐待を受けた子や非行少年らが過ごす一時保護所の併設などに住民から不安の声があがった」(朝日新聞 2016年12月20日)からだ。
(中略)
極めてオーソドックスな「住民感情」
だが、住民からわきあがったのは猛烈な反対だった。その主張の中身は、南青山の反対派住民に丸かぶりである。
「子どもが無断で外出したり、子どもを連れ帰ろうと親が押しかけたりして、住民に危害を加えないか」(朝日新聞 2016年10月3日)
もちろん、建設予定の児相と、居住エリアは出入り口も違うので、児相の利用者はマンションエリアには立ち入ることはできない。だが、敷地内の駐車場や屋外の通路は共有する。問題のある子どもや親とは、道ですれ違うのも怖いというわけだ。
また、南青山の反対派住民は「ほんの一部」で大多数は児相が来ることに賛成というが、このタワマンはそんな空気ではなかった。全360世帯からなる「自治体組織のアンケートでは、6割超の世帯が反対と答えた」(朝日新聞 2016年12月20日)という。
なんて話をすると、「それは同じ建物内だからだ! 普通の住宅地だったら反対するような冷たい人はいないはずだ」とか顔を真っ赤にして怒る人もいるだろうが、残念ながらそれは日本の「醜悪な現実」から目を背けているだけだ。
例えば、神奈川県横浜市では市内に4カ所の児相があるが、その中の1カ所に一時保護所がなかった。そこで2011年にその児相内に新たに整備をつくると公表した。建物は区の総合庁舎で、もともとあった児相内につくるのだから問題ないような気もするが、近隣住民は納得しなかった。
「約半年間で説明会を5回開いたが、地元町内会は計画の撤回を求める陳情書を市長に提出。反対署名は2600人分を超えた」(朝日新聞 2016年10月3日)
反対理由は南青山や大阪市とまったく同じで、市の資料にも以下のような住民の声が掲載されている。
「非行を行なった児童が一時保護されるのが心配である」「地域に対して閉鎖的な建物ができることに反対である」(横浜市北部児童相談所一時保護所の整備について 地元説明会で出された主な意見)
このようなケースは日本中で山ほど起きている。つまり、虐待を受けた子どもなどが身を寄せる「一時保護所」のある児童相談所を嫌がって、どうにか生活圏から追い出そうとするのは、日本社会では決して珍しい話ではなく、極めてオーソドックスな「住民感情」なのだ。
児相のネガイメージに引きずられている
では、なぜこうなってしまうのかというと、多くの日本人がひと昔前の児相のネガイメージに引きずられているからだ。
既に多くのメディアが触れ回っているのでご存じだと思うが、児相を利用する子どもや親が、近隣住民に危害を与えることなどない。周辺の土地価格が落ちたなんてケースもない。そういう意味では、南青山の反対派住民の主張は根も葉もない「妄想」なわけだが、30年くらい前まではそうとも言い難い。
というのも、戦前から1980年くらいまでは、児相で子どもが職員に暴力を振るって「脱走」する事件がちょいちょい発生しているからだ。
(中略)
ただ、過去にはこういう「事件」があったのは、紛れもない事実だ。児相や一時保護所に漠然とした不安を感じている方たちは、このような時代に拡散された「ネガイメージ」をいまだに引きずっている可能性が高い、と申し上げているのだ。
時代錯誤な「児相観」から脱却できない
では、なぜ日本人はそのように時代錯誤的な「児童相談所観」からなかなか脱却できないのかというと、「不幸な子どもを社会で協力し合って育てていく」という考えが希薄だからではないか、と個人的には考えている。
(中略)
ブーメランで「日本人」に突き刺さる
なぜ「世界一のおもてなし」とか「世界一親切な国民」とか、自分たちの“いい人ぶり”をやたらと自画自賛する我々日本人が、「不幸な子ども」にはここまで冷たいのか。
サイコパスとかでないとしたら、そこには「子ども」に対してひずんだ考え方があるとしか考えられない。それこそが先ほど申し上げた「子どもは親のモノ」という「呪い」ではないか。
多くの日本人にとって、他人の子どもは「他人のモノ」に過ぎないので、どんなに虐待を受けようとも、どんなにSOSを発信しても基本的に興味が持てない。
そのような人々にとって、「児童相談所」とは、「得体の知れないアカの他人のモノ」がウジャウジャしている不気味な施設になってしまう、というのは容易に想像できよう。
(中略)
南青山の反対派住民の主張は「差別意識」が丸出しだ。自分たちだけは特別だという「選民思想」にもとらわれている。だが、ちょっと冷静になってみると、それらはすべて日本人がよく指摘される「悪徳」ではないか。
南青山の反対派住民を叩けば叩くほど、それらの批判はきれいな放物線を描くブーメランとなって我々に突き刺さる。まずはその「醜い現実」を認めないことから始めるべきではないか。
(窪田順生)
ITmedia ビジネスオンライン
また、いくら政治が「人々の利害を調整し、あるべき社会像を実現する」というのが本旨である、つまり、「あるべき」論が先行しがちであるとはいえ、寄って集って「キレイ過ぎるゴト」の飽和攻撃を仕掛けて、児童相談所を南青山の地に「押し付けようとする」姿勢にも違和感を感じていたところでした。私には、児相設置反対派への批判言説がどうしても「自分自身の問題」として仮定的に置き換え、思考実験的な見地に立って述べているようには読めなかったのです。一点の曇りもない不気味なくらいに「キレイ過ぎる」言説から私は、本件問題が「自分の生活とは関係ないところ」で展開されつつあるからこそ、ここまで潔癖なことを臆面もなく堂々と言っているのではないか、要するに「所詮は他人事だからご立派なことを言っているだけなのではないか」と感じていました。「キレイ過ぎるゴト」を並べている人たちも、いざ自分の近所に児相ができるとなったらどう反応するかわかったもんじゃないなと思っていました。
読者の皆様の中にも経験がある方が多いと思いますが、現実の利害調整においては、潔癖なことを臆面もなく一方的に捲し立てられるケースは、まずないと言ってよいと思われます。落とし所に持ってゆく必要がある以上は、相手の主張についても考慮せねばなりません。結果的に、とても「キレイ」とは言えない結果になるのが普通です。ネット世界ほどには言いたい放題できないのが現実世界です(だからこそ逆に、若い頃とは違った観点から「キレイゴト」に憧れもするんですがw)。
そんな中、出てきた当記事。記事前半のデータに基づく説得的な部分と、記事後半の「不幸な子どもを社会で協力し合って育てていくという考えが希薄だからではないか」という演説との間に論理的必然性がない点は少し厳密さに欠けているように思いますが、とても興味深い指摘です。特に、児相への拒否反応を、南青山以外のケースを紹介することで「オーソドックスな住民感情」だと位置づけなおすのは重要な指摘です。
記事中にも明記されていますが、事実・現実に立脚したとき、反対派の言説は「妄想」「時代遅れの知識・感覚」だと言う他なく、斬って捨てるのは容易です。しかし、どんなに事実に基づかない「幻想」を信じていたとしても、地域住民の理解・同意を得ずして施設を建設するわけには行かないものです。地域住民は、たとえ「差別者」の汚名を着せられたとしても、自分自身の生活に直結する問題であればあるほど背に腹は代えられず、形振り構わぬ必死の抵抗を見せるものです。そうである以上は、「キレイ過ぎるゴト」の飽和攻撃で押し切ろうとするのではなく、誤解を丁寧に解いてゆく必要があると言えるでしょう。
カンニング竹山さんの言に乗っかって申せば、南青山の児相設置反対派の選民的思想丸出しの言説が「ものすごく危険な思想」だというのは勿論ではあるものの、自分自身の問題として仮定的に置き換えようとせず、反対派の真意をマジメに探求しようともせず(仮に荒唐無稽であったとしても探究せよ!)にバッサリと「キレイ過ぎるゴト」の飽和攻撃で押し切って沈黙させようとする発想もまた「ものすごく危険な思想」だと思うのであります。その点、オセロ松嶋さんは、児相に対する誤った観念を開陳し自爆してしまったものの、自分自身の問題に置き換えてマジメに考えようとしていたことは伺え、その点に限っては好感を持ちました。
ちなみに、「安全地帯から評論家気取りで原則論的なことを言いたい放題に言う」という点では、当ブログも「キレイ過ぎるゴト」を並べています(一応自覚はしています)。「生活主義」を掲げている以上は生活の当事者から乖離した「キレイ過ぎるゴト」は展開しないように心掛けているつもりではあります。しかし、自分でも十分にやり切っているとは思っていません。この記事は、私自身にとっても戒めになるものでした。
ラベル:社会