2018年12月31日

チュチェ107(2018)年を振り返る(2) 朝米関係の行方を占うならば、朝鮮民主主義人民共和国とアメリカ合衆国そのものを正面から取り扱うべきだということが明々白々になった一年

「チュチェ107(2018)年を振り返る」の第2弾です。「『朝米関係の行方を占うならば、朝鮮民主主義人民共和国とアメリカ合衆国そのものを正面から取り扱うべき』だということが明々白々になった一年」というテーマでお送りいたします。

振り返り第1弾:チュチェ107(2018)年を振り返る(1)――国家核武力完成という基盤の上で展開された共和国の平和攻勢の一年

■悔し紛れの無理筋を展開する日本言論
振り返り第1弾の記事で私は、史上初の朝米首脳会談について、キム・ジョンウン委員長は初回会談としては十分に目標を勝ち取ったと言えると述べました。事実として、共和国が今回の会談で獲得を目指していたものは、おおむね達成されたと言えますが、このことをどうしても認められない人たちが、悔し紛れに無理筋を展開していました。日本言論に限ってすこし振り返っておきましょう。

トランプ米大統領が朝米首脳会談開催を公表して以来、日本言論では「トランプには腹案があるに違いない」「これはトランプの罠に違いない」という見立てがかなり広範に広がっていました。「米軍による斬首作戦」の「期待」が高まっていたのは、まだ昨年(チュチェ106・2017年)のこと。私なんかは、兵站に注目すれば軍事的にこそまったく実現味のない「口撃」に留まるものとして見ていましたが、70年前に兵站で散々苦労したくせにいまだに学習していない日本言論には、まるで攻撃前夜であるかのような空気が満ち満ちていたものでした。

その「余韻」ゆえの「トランプの罠」への期待(願望?)だったのだと思われますが、会談の日付が近づくにつれて、どう考えても「腹案」があるようには見えず、結局、会談結果を見るに腹案などありもしなかったのが現実でした。このことをどうしても認められない人たちによる悔し紛れの無理筋が展開されたことも今年の特徴。そのサンプルとして当ブログでは、2回にわたって特集を組みました(別途数回、小話的に言説を取り上げましたが割愛します)。

■悔し紛れの無理筋展開サンプル(1)――遠藤誉氏のケース
一つ目は、6月10日づけ「朝米関係の行方を占うならば、朝鮮民主主義人民共和国とアメリカ合衆国そのものを正面から取り扱うべき」で取り上げた東京福祉大学国際交流センター長の遠藤誉氏の記事です。中国政治の専門家が、何のつもりかは分かりませんが、よりにもよって関西大学の李英和(リ・ヨンファ)氏を相棒にすることで専門外の朝鮮半島情勢に関する知識不足を補いつつ論評しているハチャメチャなシロモノです。

トランプ大統領は、北朝鮮が要求してきた段階的非核化を事実上認めた。これはアメリカの譲歩を意味するのだろうか。答えは「否」だ。むしろ北を追い詰めている。その理由を考察する。」という書き出しに始まる記事では、段階的非核化を推進する期間中、共和国はアメリカから何も得られず、その間に共和国経済はますます疲弊するはずだから、「むしろ北を追い詰め」ることになるという論法です。

しかしながら、抜け目のない共和国は朝米首脳会談に先立って中国政府と接触。あからさまな習近平ヨイショ・中国政府ヨイショで政治的にも経済的にも中国に自らの後ろ盾となってもらい、万全の体制で会談に臨んだという事実があります。中国政治の専門家であるはずの遠藤氏の分析には中国ファクターが完全に欠落していました。

驚くべきは遠藤氏自身が4月に公開した記事中で「習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想」の正しさを自国民に誇示したい中国共産党政権にとって、古くからの同盟国である共和国との友好関係の重要性が増しており、今後は両国の連携が強化されるだろうと自ら予測したばかりだったこと。それから2か月しかたっていないのに、中国政治の専門家だというのに、ちょっと前に自分でも言及していた中国ファクターを完全に欠落させた記事を書き立ててしまった遠藤氏の言説からは、「北朝鮮は追い詰められている」という構図でないと精神の安定を保てないのだろうかという疑いさえも生まれる奇怪極まるものでした。悔し紛れの無理筋展開にしても支離滅裂的に一貫性ないシロモノでした。

上掲6月10日づけ記事では、遠藤氏の別記事を取り上げて、朝鮮半島情勢分析で割と広くみられる誤謬について言及しました。すなわち、(1)中国視点への中途半端な偏り、(2)原典を十分に確認しない、(3)肝心の「朝鮮」を中心に据えずに中国やアメリカ、ロシアの動向ばかりに注目する、です。

■誤謬(1)――中国視点への中途半端な偏り
(1)中国視点への中途半端な偏りについては、共和国における昨今の漸進的な経済改革を中国の「改革開放政策」と無理矢理に結びつける言説を例として批判しました。

中国共産党の取り組みが中心となって世界が回っているとでも言いかねない手合いの認識では、中国政府が共和国政府に対して「改革開放」を再三にわたって要求してきたことを以って共和国が経済改革に舵を切ったという構図を描きがちです。しかし、共和国政府が中国政府の要求に付き合わなければならない理由など何処にもありません

当ブログでも以前から指摘してきたように、共和国政府は以前から、慎重に市場経済との折り合いのつけ方を模索してきました。チュチェ102(2013)年10月に発売された『週刊東洋経済』(10月12日号)の特集「金正恩の経済学」では、共和国が改革路線へ舵を切った事情について、朝鮮社会科学院研究者へのインタビューという形で掲載されています。共和国政府は、自国の必要があって改革路線に踏み出したのであり、中国政府の要求を呑んで改革路線に舵を切ったわけではないというのが真相なのです。

■誤謬(2)――原典を十分に確認しない
(2)原典を十分に確認しないについては、朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を読めば直ちに間違いだと分かる遠藤氏の分析を例としました。遠藤氏は以前から、共和国の経済改革は中国からの改革開放要求に応じたものであるという認識に立っていますが、その観点から朝鮮労働党中央全員会議(4月20日開催)で提起された経済建設路線について、リ・ヨンファ氏からの伝聞を根拠に「北朝鮮はきっと「紅い団結」に基づいた「中国式の改革開放路線」を全開にしていくことだろう。」とブチ上げました。

しかしながら、5月13日づけ「朝鮮労働党全員会議で提起された経済建設路線を読む」において、『労働新聞』記事を和訳(当方翻訳)した上で述べたとおり、党中央は全員会議を通して自力更生・自給自足を強調しました。韓「国」紙『ハンギョレ』も、まさに”겨레”(ギョレ:同胞)であるからこそ原典を十分に確認した上で「「金委員長が中国の改革開放を率いたトウ小平の道を歩こうとしている」という評価もあるが、まだ断定する状況ではない。金委員長は「新しい革命的路線の基本原則は自力更生」と強調することにより、少なくとも形式論理上では全面的改革開放と距離を置いた。」と論評しました。

『労働新聞』を読めば直ちに間違いだと分かる遠藤氏の分析。原典ソースをしっかりと読み込まず、思い込みで分析すると如何なるのかという失敗例を、遠藤氏の「分析」は実証したのでした

■誤謬(3)――肝心の「朝鮮」を中心に据えずに中国やアメリカ、ロシアの動向ばかりに注目する
(3)肝心の「朝鮮」を中心に据えずに中国やアメリカ、ロシアの動向ばかりに注目するついては、「習近平にとって金正恩は、一党支配体制を維持するためのコマの一つなのだ。金正恩ははしゃいでいるが、習近平の手の上で踊っているに過ぎないのではないだろうか。」とする遠藤氏に対して、以下のように述べたうえで、キム・ジョンウン委員長が一方的に踊らされている・泳がされているかの如き見立ては、「相手国は自国利益のコマである」という外交戦略の大原則、二国間関係・国際関係を分析するにあたっての基本的なお約束事が遠藤氏の思考から完全に欠落しているのではないかと述べて批判しました。

キム・ジョンウン委員長にしてみれば、習主席をはじめとする歴代の中国主席たちは、「独立国家たる我が国に対して、何の権利があるのかは知らんが偉そうに指導してくる奴」といったところでしょうし、キム・ジョンナムやチャン・ソンテクの事実上の後見役であった点に至っては、「潜在的には政権を脅かす存在」であったわけです。しかし、キム・ジョンウン委員長は、習主席をヨイショしまくったわけです。

遠藤氏は「習近平にとって金正恩は、一党支配体制を維持するためのコマの一つなのだ」などと書きますが、「それは、お互いさま」。利用しあっているというのが実態なのです。

その上で私は、次のように述べました。
こうした「大国中心」の分析は、日米関係の枠内における日本の政策分析や、ソ連―東欧諸国関係の枠内での東欧諸国情勢の政策分析でも往々にして見られてきたものですが、とりわけ朝中関係では酷いものです。日本や東欧諸国の政策の行方を分析するにあたっては、米国の意向やソ連の意向を踏まえるのは必須的手続きであるとはいえ、それだけで日本や東欧諸国の政策を判断する人は、まずいません。米国の意向やソ連の意向があるとはいっても、各国にも言い分と事情があるのだから、そこにスポットライトを当てるのが当然のことです。

しかし、朝中関係ではなぜか中国政府の意向を決定的要素として共和国情勢を語る極めて不可思議な方法論が幅を利かせています
(中略)朝鮮半島情勢において中国の影響力は大であるとはいえ、それだけで説明できるものではありません。共和国の国家指導思想であるチュチェ思想の「チュチェ」は漢字で書くと「主体」ですが、これは、まさしく「反中国・反ソビエト・自主自立」という意味での「主体」です。共和国はチュチェを確立するために努力しており、ここ最近の朝米関係・朝中関係を見るに、一定の成果を挙げています
今回の共和国による平和攻勢の事実は、朝鮮半島情勢研究者にありがちな朝中関係分析の異常性をますます浮き彫りにしていると言えます。

■朝米関係の行方を占うならば、朝鮮民主主義人民共和国とアメリカ合衆国そのものを正面から取り扱うべきことが明々白々になった一年
以上に挙げた3種類の誤謬が、いよいよ破綻の様相を顕著に呈したのが今年一年の朝米関係・北南関係・朝中関係でした。共和国が弱小国でありながら「チュチェ」を提唱して自力更生・自主外交に注力してきた結果、中国を上手く利用して後見人に据えることに成功し、それを背景として史上初の朝米首脳会談の開催にこぎつけ、初回会談としては十分に目標を勝ち取ったのでした。

中国の事情だけをもって朝鮮半島情勢を語ろうとする人々の誤謬と、どうしても「北朝鮮は追い詰められている」という構図にしがみつこうとする人々の哀れさが特に際立ったチュチェ107(2018)年。現実・ファクトに立てばこそ、朝鮮半島情勢や朝米関係を語るというのであれば、朝鮮民主主義人民共和国とアメリカ合衆国そのものを正面から取り扱う必要性が明々白々になった一年でした

■悔し紛れの無理筋展開サンプル(2)――パックン(パトリック・ハーラン氏)と村野将氏のケース
悔し紛れの無理筋展開サンプルの二つ目として、6月23日づけ「朝米会談の「負け」を受けて因習的思考回路にメスを入れるアメリカ、しがみつく日本」を振り返りたいと思います。

当該記事では、共和国側がより多くの成果物を獲得した朝米首脳会談について、アメリカでは因習的な思考回路にもメスを入れる指摘が出始めたのに対して、日本では因習的な思考回路――勧善懲悪主義――にますます固執する姿を取り上げて批判しました。

アメリカ事情については、ニューズウィーク日本版の「米朝会談「アメリカは高潔・聡明、敵はクレイジー」外交のツケ」という記事を取り上げました。「そもそもアメリカの外交政策には以前から「世界観」に問題があった」として、「アメリカでは経験豊富な政府高官や聡明な専門家でさえ、外交摩擦を利害の対立や政治的価値観の衝突として理解するのではなく、個人の欠点や被害妄想、現実に対するゆがんだ見方を反映していると捉えたがる」と指摘する記事です。アメリカの為政者の世界観は、まさしく観念論と言うべきです。ニューズウィーク日本版記事は、こうした観念論的な考え方の誤りを指摘するものであり、内容の重要性もさることながら、こうして因習的思考回路に斬り込む姿勢そのものが重要であります。アメリカは、朝米首脳会談の「負け」から教訓を学び取ろうとしていると言えます。

日本事情については、AbemaTIMESの「「トランプ大統領は絶対やってはいけないことをした」パックンも米朝首脳会談に怒り」を取り上げました。「人権問題には触れもせず、残酷な指導者と対等に付き合うような会談を行ってしまったこと。会談は譲歩を引き出すための手段でもあったのに、同じ数の国旗を並べ、同じものを食べ、一緒に庭を歩いた。絶対やってはいけないことだし、歴代大統領だったらしなかった」などと憤るパックン(パトリック・ハーラン氏)の言説について、文化大革命の真っ最中に訪中したニクソンや、ソ連共産党書記長と会談した歴代アメリカ大統領について言及しました。アメリカ大統領は、アメリカ的基準では堂々の「人権侵害国家」に該当するソ連・中国の首脳と対話してきたというのが歴史的事実・ファクト。「残酷な指導者」だからといって対話に応じないというのは、「悪との対決」の構図に立っており勧善懲悪的である点においてテレビウケするコメントではあるものの、こんな心構えを外交政策の中心に据えようものなら、進むものも進まなくなることだろうと私は述べました。

いわゆる「対北朝鮮政策」は、「悪との対決」の構図に立ち勧善懲悪的にやってきたのに、一向に成果が上がらず、むしろ「最大限の圧力」が逆に朝中両国を結束させる方向に作用しているのが客観的事実・ファクトです。"Deal"したからといって物事が進むという保証はありませんが、成果が上がらないどころか逆効果さえ生んでいる方法論にしがみつくようでは、間違いなく話は進みません。この厳然たる事実を突きつけられても依然として「悪との対決」の構図に立ち勧善懲悪にしがみつく言説が飛び出てくる点、この発想の根深さを示しています

当該記事では、岡崎研究所研究員の村野将氏の言説も取り上げて批判しました。村野氏は「国際政治は“喧嘩両成敗“でお互い仲良くするということではなく、どちらに正義や正当性があるかを決する場でもある」ので、「こちらが正義だというのであれば、北朝鮮の方から妥協してくるまで圧力はかけ続けたままであるべきだ」。にも関わらず、「トランプ大統領だけでなく、韓国を含めた陣営は北朝鮮に対して強く当たるべきところを自ら譲歩していった。これは昨年まで日本が考えていた戦略とは違う」と主張します。

村野氏が言う「正義や正当性」を「国益」という単語で言いかえれば、依然として国際政治は国益同士が剥き出しでぶつかり合う場である点において、理解可能な主張であります。しかし、本来的には「国益」という単語を使うべきタイミングで「正義や正当性」という単語を敢えて使っている点、村野氏は、勧善懲悪的な枠組みで思考していることが推察されます。極めて危険な観念論的発想です。

また、当該記事でも述べましたが、いまや一国が他国に対して、自国の国益を一方的に押し付けられるような情勢にはありません。力関係の問題として見たとき、世界は確実に多極化しています国益同士が剥き出しでぶつかり合う場であるからこそ、今や一方的に国益を押し付けようとするだけでは何も得られず、相手側にも一定の譲歩をしなければならなくなっているわけです。かつての現実はすでに非現実になっているのです。村野氏が言う「昨年まで日本が考えていた戦略」は時代遅れとなっており、それに尚もしがみつくようでは観念論に転落することでしょう。

因習的な「アメリカは高潔・聡明、敵はクレイジー」という思考回路にメスを入れ始めるアメリカ、因習的な勧善懲悪主義の思考回路にますます固執する日本。朝鮮半島情勢・朝米関係を巡って日本言論の観念論化が際立った一年でした。
posted by 管理者 at 23:09| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。