スシロー“5日から一斉休業”へ 思い切った決断のワケhttps://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190204-00000041-nnn-bus_all
2/4(月) 20:09配信
Fuji News Network
(中略)
ショッピングモールなどに出店している11店を除く、ほぼ全店で、5日からの2日間、一斉に休業することを発表した。
利用客は、「お休みの日にあったことない。行けば、いつも必ず営業している」と話した。
スシロー全体の年間売上高は、1,748億円。
これを365日で割ると、1日あたりおよそ4.8億円。
2日間休むと、単純計算で、10億円近いダウンとなる計算。
そうしたリスクを負ってでも、一斉休業をする理由について、「従業員からの声もあり、働きやすい環境づくりにつなげるため、利用客への影響も考慮したうえで、この時期に一斉休業の形をとることにした」としている。
「休業日が欲しい」という、従業員の声を尊重したスシロー流の働き方改革。
休日の確保で、現場の士気が向上すると判断したという。
利用客は「いいんじゃないですか。働き手が少ないじゃないですか」、「飲食店でバイトしているので、働くならうらやましい」などと話した。
(以下略)
スシロー“一斉休業”あすから働き方改革で■ブルジョア的小賢しさに満ちた「働き方改革」
2/4(月) 15:32配信
日テレNEWS24
回転ずしチェーン最大手の「スシロー」は、働き方改革のため、5日と6日、一斉に休業する。
(中略)
現場の従業員からの要望もあり、働き方改革の一環で休業を決めたということで、従業員の士気向上につなげる狙い。スシローでは「お客様には迷惑をかけてしまうが働きやすい環境を作り、店の質の向上につなげたい」と話している。
(以下略)
「休業日導入」を巡って、ブルジョア的小賢しさに満ちた「働き方改革」の宣伝が相次いで報じられ、シワ寄せを受けている消費者がそうした宣伝を額面通りに受け取って賞賛する展開が続いています。ここ数年、24時間営業の旗色が徐々に悪くなりつつあるのに続き、飲食大手の幸楽苑や大戸屋、コンビニのセイコーマートが「元日休業」を打ち出し、今度は回転ずしチェーン最大手のスシローが「一斉休業」などと言いだしました。
「大本営発表」によると、この一斉休業の狙いは「働きやすい環境づくりにつなげるため」であり、「休日の確保で、現場の士気が向上する」とのこと。休暇・休養の重要性に対する認識は間違ってはいませんが、そもそも平時から人員に余裕を持っておけば一斉休業しなくても済む話。余裕のあるシフトが確立されていれば、年中無休であったとしても従業員たちは十分な休暇・休養を確保できるでしょう。
シフトの余裕が図られたわけではないので、一斉休業日は羽を伸ばせるかも知れませんが、それ以外の通常営業日は相変わらず忙しいままです。むしろ、休業日ができた分、「食いだめ」的に営業日に客が集中することはないのでしょうか? チュチェ106(2017)年1月25日づけ「「働き方改革」「残業規制」は相対的剰余価値搾取の時代の入口」で論じたとおり、時短は1時間当たりの労働密度の強化への道を切り開くものです。果たしてこれを「働き方改革」と手放しで賞賛していいのでしょうか?
スシローは、人件費への割り当てを増やすのではなく一斉休業を選びました。スシローの一斉休業に先立つ幸楽苑や大戸屋、セコマの「元日休業」の魂胆は下記のとおり早々に暴露されましたが、おそらくスシローの魂胆も似たようなものと思われます。
https://www.fnn.jp/posts/00406390HDK
ついにコンビニまで・・・広がる「元日休業」の動き どんなメリットがあるのか?要するに、「本当の意味で従業員の福利厚生を重視すると儲けにならないので、いっそ休業にすることで儲けを確保する、それによる不便・シワ寄せは消費者に転嫁する」ということなのです。
めざましテレビ
カテゴリ:国内 2018年12月28日 金曜 午後2:39
(中略)
そんなビジネスチャンスだったはずの元日をなぜ今、休む動きが広がっているのか?
永濱氏は「端的に言えば2つ理由があって、元日開けても他の日に比べて売り上げがそんなに多くないという事に加え、元日に働いてもらう人には余分に給料を払わないといけないので、結果的に元旦開けても利益は増えにくいというところはあります」と話す。
人手不足の今、人材確保のためにもスタッフへの配慮が不可欠という風潮がある中、いち早く元日休業を導入した大戸屋ホールディングスでは「就職活動する学生から好評」との事で、企業の価値を高めるメリットがあったという。
(以下略)
ブルジョア的に小賢しい「働き方改革」と言うべき事象です。社会貢献しているように見せかけて、その費用・負担を従業員から消費者に付け替えて捻出しているだけに過ぎません。もちろん、商売は慈善事業ではありません。いまや飲食や小売は深刻な人手不足であり労働力は相対的に貴重です。そう簡単には採用できなくなってきているので、限られた人的資源で回すためには、休業日の設定=一部操業停止という経営判断もアリでしょう。企業としての営利判断・宣伝戦略としては道理に合ったものです。
■ライフスタイルやワークスタイルの多様性を否定する休業日賞賛の言説
しかし、シワ寄せを押し付けられた消費者が、無邪気に「大本営発表」を額面通りに受け取って賞賛しているのはいかがなものでしょうか。現代社会はよくも悪くも「自己利益を懸けた綱引き」が展開されています。企業−消費者−労働者は、おなじ経済システムの構成要素ではあるものの、決して「家族」ではありません。利益が相反することが多々あります。にもかかわらず、「元日休業」のときもそうでしたが、「無いなら無いで私は困らないから構わない」論法で消費者たちが、ブルジョア的「働き方改革」の企業宣伝を支持・擁護しているのです。
こうした言説について私は、チュチェ106(2017)年3月27日づけ「自主権の問題としての労働環境vs自主権の問題としての多様な消費行動――一方的な「あるべき」論では判断できない」において、「自分自身のライフスタイルや、自分自身の「あるべき」論を根拠に「不要」だと思われるからと言って、社会全体で不要と言い切れるとは限りません。」と述べました。この手の擁護論は、「全体から見れば少数かも知れないが、そのタイミングでそれを必要とする人・せざるを得ない人が社会には存在する」ということを無視した粗雑な議論であり、ライフスタイルやワークスタイルの多様性を否定する言説であると言わざるを得ません。多数派の都合によって少数派の必要を無視する暴論にほかなりません。
「昔は日曜日が定休日なのは当然だったし、正月は店は閉まっていたし、24時間営業などなかった」という台詞を本当によく聞きますが、そのころとは根本的に社会構造が変わっています。たとえば、コンピュータ・システムのように、24時間365日止まることなく稼働し続ける新しい技術が生まれ、その運用にかかる業務が一つの産業の規模に成長し、たくさんの人々がそれに従事しています。経済のグローバル化と通信技術の進歩によって、時差のある国との金融・貿易業のように夜間帯を正規の勤務時間として働かなければならない人たちがたくさんいます。そのほかも、医療、警察・警備などの職業に従事するがゆえに、多数派とは異なるタイミングで自分のプライベートな時間を営んでいる人たちが少数ではあるが確実に存在します。産業の変化によってますます増えています。3交代の準夜勤が終われば世間一般では「閉店時間」。深夜勤が終わればもう日が高くなっています!!! 社会にはいろいろな人が居、いろいろな必要があるのです。
いわゆる働き方改革は元来、労働者(従業員)のワーク・ライフ・バランスを実現させ、自らの生活を自らコントロールできるようにすること、人々が自分の生活の主人となる(自主化する)ことを目指すものです。労働者には一人ひとり個性があるので、このことは必然的に「多様なライフスタイル追求の一環」という命題に行き着きます。ここにおいては、労働時間の縮減は重要です。
「多様なライフスタイル追求の一環」という命題においては、「消費者の多様な消費行動の保障」もまた論点であると言えます。人間はモノを消費・活用することで、大小あらゆる自己の目的を達成するからです。物流や小売は多様な自己目的達成の物質的インフラである点において、なるべく長時間、営業していた方が消費者の多様な消費行動を拾い上げることができます。
つまり、「多様なライフスタイル追求」という命題においては、労働者の自主化を目指して労働時間を縮減せんとする「働き方改革」と消費者の自主化を目指すがゆえに労働時間の延長因子になりがちな「消費者の多様な消費行動の保障」という2つの相反する要請に直面するわけです。労働者の自主化も消費行動の自主化も、突き詰めれば「多様なライフスタイルの追求」の一環という点において、労働者と消費者という立場の違いはあれども、根底にあるものは同一なのです。
根底にあるものは同一であり、両方とも正当な権利の追求である以上は、労働者の自主化と消費者の自主化は権利調整の観点から慎重に取り組む必要があります。年中無休営業を少人数で回すことも、丸一日休業も望ましいことではありません。私は、余裕のあるシフトを組むことで、「組織としては年中無休営業であるが、労働者個人としては十分な休暇・休養を取ることが出来る」というのが望ましい落としどころであると考えます。
しかしながら、スシローはそうした方向に向かうのではなく、「いっそのこと一斉休業」に打って出ることにしました。それに対して、いままで労働者に押し付けられていた負担を付け替えられた消費者が「働き方改革の一環」などという宣伝文句を額面通りに受け取っています。それどころか、「無いなら無いで私は困らないから構わない」論法で、少数派の必要など顧みることもなく、それを積極的に支持・擁護しているわけです。
■単なる負担の付け替えに過ぎないブルジョア的「働き方改革」の正体を見抜け!
単なる負担の付け替えに過ぎないブルジョア的「働き方改革」の正体を見抜かずに宣伝に踊らされ、「自己利益を懸けた綱引き」で力を抜くようでは、たとえば移民政策によって人手不足が一服したり景気減速で人余りが生じたりすれば、いつか必ず再び消費者から労働者への負担の付け替えが起こることでしょう。また、「無いなら無いで私は困らないから構わない」のために、せっかく長い年数を掛けて多様な消費行動を保障する物流・小売体制が整いつつあったのに、それらが逆行しかねません。「消費者の多様な消費行動」が「労働者の無理」の上に立っているのであれば、その部分に限って是正すべきであり、是正方法は「いっそやめる」だけではなく「十分な配慮と手当をする」という選択肢もあり得ます。
深刻な人手不足によって労働力が相対的に貴重になり、企業経営が福利厚生競争の風潮に傾きつつあることは好ましいことです。しかし、これは別に企業家・経営者が人権意識に感化され啓蒙され心を入れ替えたわけではなく、打算的な魂胆によるものです。
もちろん、私は動機の純潔性を要求するような青いことを言うつもりはありません。繰り返しになりますが、企業としての営利判断・宣伝戦略としては道理に合ったものです。私は、企業の事情を考慮しつつも、あくまでも労働者の自主化と消費者の自主化を両立させることを目指す立場から打算的に考えるからこそ、単なる負担の付け替えに過ぎないブルジョア的「働き方改革」の正体について警鐘を鳴らしているわけです。労働者の自主化・消費者の自主化・企業利益の確保という3つの調整事項について検討するためには、企業の宣伝に踊らされず、ブルジョア的「働き方改革」の正体を見破らなければなりません。