■大阪府民・市民は「吉田松陰マインド」を身につけたのか?
大阪都構想の住民投票が僅差否決されてから約4年。思いがけず時間が経過したものです。4年前、大阪都構想推進派の敗戦の弁は実に醜かった。「政策は正しかったが、情勢が悪かった」「市民が構想を理解できなかった」――20世紀を通して完膚なきまでに叩き潰された典型的な前衛意識丸出しの負け惜しみを形振り構わず喚き散らしたものでした。「現代人に足りない「吉田松陰マインド」」なる意味不明な記事まで飛び出してきたものでした(「人民の共産主義精神が足りないから革命が上手くいかないんだ!」と何が違うというのでしょう?)。
チュチェ104(2015)年5月23日づけ「維新の党は21世紀の前衛党――生活と人間知性の限界に基づく大規模急進的改革批判」でも述べたとおり、国家・社会のしくみは、生活者としての人民大衆が「究極の現実」である日々の生活行為の合成として自生的に形成してきた秩序であり、長い時間をかけて生活の場で動作確認されてきたものです。「国家百年の計」などと称して、一部のエリートが頭のなかで紡ぎ出したものではありませんし、頭のなかで設計することなどできません。理念世界の国家ではなく、現実の生活者としての人民大衆こそが「リトマス紙」なのです。
その点、人民大衆の支持が受けられていない段階での「政策は正しい」という主張には、根拠がありません。改革を志すのであれば、人民大衆に受け入れられる規模の政策にスケールダウンし、小規模の構想を1つずつ実現することを通して段階的・漸進的に構想を実現してゆく以外に方法はないのです。
あれから約4年。一般的に、選挙で勝ったということはすなわち、その候補者が掲げた政策が信任されたということです。今回のダブル選挙では都構想が大きなテーマだったので、その推進を掲げた維新候補が両方とも勝利したということはすなわち、都構想が府民・市民に理解され信任されたということを意味すると見るのが通常の見立てです(私は、「選挙結果は必ずしも民意ではない!」などと平然と言えるほど恥に対して鈍感ではありません)。
しかし、どうもそうではないようです。松井新市長自ら告白しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190407/k10011876181000.html
大阪市長選 松井氏 当選確実「今回の選挙で、市民はまだ都構想の中身を理解していないという声が多かった」――結局約4年かかっても「吉田松陰マインド」は定着していないということに他なりません。それを松井氏自身が認めているわけです。
2019年4月7日 22時18分選挙
(中略)
松井氏「大阪都構想 丁寧に議論し最終的には住民に判断」
松井氏は記者会見で、「大阪府と大阪市が一体で、二重行政をなくしていくことに対して、大勢の人たちから『大阪を住みやすい街にするように』という判断をいただいたと思う。大勢の思いを受け止めて、謙虚な心で、これから市政運営にあたっていきたい」と述べました。
また松井氏は「大阪都構想については、大阪府議会議員選挙と大阪市議会議員選挙の結果が出なければ、どう進めていくか、はっきり申し上げることはできない。しかし、都構想に反対する声もあったのは事実なので、反対の意見も聞きながら丁寧に進めていきたい。今回の選挙で、市民はまだ都構想の中身を理解していないという声が多かったので、丁寧に議論したうえで、最終的には住民に判断していただきたい」と述べました。
(以下略)
振り返ればこの4年間、大阪都構想が漸進的に積み重ねられてきたと言えるような現象・事象があったと言えるでしょうか? 府民・市民に対して政策宣伝が継続的に行われてきたと言えるでしょうか? 完全に鳴りを潜めていたのが、選挙前の昨年12月になって俄かに蒸し返されてきたに過ぎないのではないか、府民・市民の理解ベースではなく政局ベース:府民・市民の都合ではなく政治力学の都合で再度、構想を持ち出してきたに過ぎないのではないかという疑念が生じざるを得ないところです。松井新市長の告白は、このことを認めているに等しいものであると言うべきでしょう。
■政権担当能力を持つ政党としての安定感を持ち始めた維新――橋下復帰を待望せず
ちなみに、松井新市長は「丁寧に議論したうえで、最終的には住民に判断していただきたい」と述べています。橋下時代の維新は、橋下氏の強烈な個性ゆえに文化大革命まがいの手法を多用してきましたが、橋下氏が政治の一線から引退し、松井・吉村体制になってから些か「丸く」なってきたように思います。前回の都構想住民投票は、とても府民・市民の理解が深まっているとは言えない中での拙速で急進的な住民投票だったので、漸進主義者である私は反対の立場を取らざるを得ませんでしたが、文革色が相当に消えつつある維新が丁寧な議論を展開し、府民・市民の理解が深まった上での住民投票であれば、私は反対する理由はないと考えています。
「橋下なき維新は果たしてやっていけるのだろうか?」と思っていましたが、一時期の飛ぶ鳥を落とす勢いはなく、あくまでも大阪エリアの地域政党ですが、軌道に乗ってきたと思います。橋下徹という文革的手法を好む強烈な個性が表舞台から立ち去ったことが、政権担当能力を持つ政党としての安定感を生み出しています。
■総括
維新が単なる「はやりもの」ではなくなってきたことが明らかになったダブル選挙、しかし、彼らが掲げている一大テーマは依然として府民・市民の理解が深まったとは言い得ない発展途上段階にあるということが明らかになったダブル選挙でした。