2019年04月10日

韓「国」らしからぬ反帝・革命的世論展開

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190409-00000135-kyodonews-int
渋沢栄一の新1万円札採用を批判 韓国メディア「収奪の主役」
4/9(火) 19:47配信
共同通信

 【ソウル共同】日本政府が新1万円札に実業家渋沢栄一の肖像画を採用すると発表したことを受け、韓国メディアは9日、渋沢が「日本の帝国主義時代に朝鮮半島の経済を奪い取った主役だった」と強調した。


(以下略)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190409-00000116-sph-soci
渋沢栄一の新紙幣肖像に「韓国に対する配慮が欠けているのでは」聯合ニュース報じる
4/9(火) 19:46配信
スポーツ報知

 財務省が9日に2024年をめどにデザインを刷新すると発表した紙幣(日本銀行券)に関し、1万円札の肖像に渋沢栄一が使われることに対して韓国内で批判が出る可能性があると聯合ニュース(韓国語電子版)が報じた。
 
 聯合は、「朝鮮半島の経済利権を侵略した急先鋒(せんぽう)に立っていた男が、新紙幣に描かれようとしている」と報道。韓国内で議論の対象となると予測している。


(以下略)
収奪! 「日帝(日本帝国主義)」という言葉を使う割に、帝国主義の何たるかについては丸で理解しておらず、日本に「反省」を求めてきた韓「国」らしからぬ世論展開です。

レーニンによれば、帝国主義とは、「資本主義の最高の段階」であり、弱小国の植民地化・列強間の植民地争奪戦争は必然的であるとされます。資本主義社会とは、マルクス経済学においては「自己増殖する価値の運動体」である資本の増殖を経済活動の第一目的とする社会を指します。資本主義社会においては、利殖が経済活動の第一目的であるがゆえに、人間のための経済活動ではなく「経済活動のための人間」という本末転倒的事象が発生(人間の自己疎外が発生)し、人々は暴走する資本の論理に否が応でも従うことを強制されます。

人間は、資本主義社会においては否が応でも資本の論理を強制されるものであり、それが最も高度化した段階・資本主義の発展の必然的帰結が帝国主義であり、帝国主義は弱小国の植民地化や列強間の植民地争奪戦争が必然的に引き起こすのであれば、帝国主義による植民地支配について「反省」を求める言説は、道理に合わないと言うべきでしょう。資本主義体制である限り、帝国主義による弱小国植民地化等は人間の意志で押しとどめられるものではないのですから。

もっとも、「日本帝国主義の植民地支配に対して反省を求める」という論理的に苦しい立場・行為は、韓「国」としては取り得る唯一の道であるとも言えます。「大韓民国臨時政府」をルーツとして主張する韓「国」としては、「反大日本帝国」をアイデンティティとせざるを得ず、その統治を唾棄すべきものとして位置付ける他にはありません。他方、帝国主義とは資本主義の必然的帰結の形態を指すので、「反帝国主義」を貫こうとすると「資本主義体制を放棄」という課題にブチ当たることになり、イデオロギー的分断国家としての韓「国」にはアイデンティティが揺らぐレベルの特大級ブーメランが返ってくることになります。それゆえ、これまで韓「国」は、「反大日本帝国」と「資本主義体制」を両立するため、日本帝国主義の植民地支配について言及しつつも深入りはし過ぎないように「反省を求める」程度にとどめざるを得ず、結果として論理的に苦しい立場に立ってきたのです。

渋沢栄一を触媒として日本帝国主義と経済収奪を結び付ける言論は、論理的にムチャな「反省を求める」を実態として乗り越える内容になっています。韓「国」らしからぬ世論展開。헬조선への不満も充満していることですから、革命的言論に浸透の余地が見えてきました。

なお、渋沢栄一は、著書『論語と算盤』を見るに、道徳・倫理と経済活動の両立を目指していたことは明白です。この姿勢は私としても師と仰ぐべき姿勢と考えています。巷の吸血鬼的資本家どもとは根本的に異なります。しかしながら、チュチェの社会主義者として、「高潔な資本家ではあったが、あくまでもそのプランは資本主義の枠内に留まるもの」と評せざるを得ません。
ラベル:政治
posted by 管理者 at 23:16| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。