「松本走りをやめろ」は本当に正しいのか? 道路事情を無視した市長の発言に疑問当ブログでも5月13日づけ「Thesisとしての「道路交通法」、Nomosとしての「松本走り」」で「「松本走り」対策を講じるにあたっては、単なる啓蒙活動や取り締まりを展開するのでは不十分でしょう。現象には何らかの原因・経緯があるものです。こうしたローカル・ルールがどういった経緯で生じたのかということについて問わねばなりません。」や「「上に政策あれば下に対策あり」という言葉があるように、(中略)「イタチゴッコ」になるのがオチ」と論じた点、引用記事筆者の国沢光宏氏とは問題意識を共有しているものと思われます。
5/15(水) 18:14配信
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インフラの不整備が無理な右折を発生させる
長野県の松本市長が「松本走りをやめて」と言い始めた。この流れを受け「伊予の早曲がり」や「茨城ダッシュ」「名古屋走り」など各地に潜在してきた危険な運転マナーを批判する方向になっている。なぜこういった危険な走り方になるかといえば、話は簡単。道路事情が悪いからだ。松本市長は自分の役割を改めて考えて頂きたいと思う。
(中略)
したがって松本市長が「松本走りをやめろ」と言うのは、市民に対し「市内の大渋滞を容認しろ」と強制してるのと同じ。為政者としちゃ愚かです。本当に松本走りをやめさせようとするなら、道路の改良から始めなくちゃならない。というか、それこそ市長の仕事じゃなかろうか。真っ先に行うのは右折レーンの拡充だ。
考えていただきたい。道交法に代表される我が国の交通ルールは、大半が昭和30年代までに作られ、その後、ほとんど見直されていない。発展途上国と同じ状況だと考えていいだろう。欧米のような自動車交通の先進国にしたいのなら、抜本的な道交法の改定や道路構造の見直しから着手しなければならないと思う。
歩道と車道をしっかり分離することに始まり、免許すら持たない無防備な自転車と、クルマを同じ場所で走らることだって無謀である。信号のタイミングもデタラメだから渋滞を招く。横断歩道の場所や、歩行者を守るガード類の設置だって誰もチェックしていない。道路の円滑な流れと安全を総合管理する部門を創設したらいかがか。
国沢光宏
他方、コメ欄にある下記コメントの言うことも、もっともな意見だとも考えています。
buz*****
たしかに道路整備は必要だと思います。
が!
すぐには直せない環境のなかで安全に生活するにはと言うことを論ずべきでは
渋滞するけど死亡事故が少ないのと
死亡事故が多いけど渋滞しないのは
どっちがいいのでしょうか?
死亡事故が起きれば、それも渋滞の要因に
なるわけだし、、
mi*****
右折ラインも時差信号もなく右折するには やや無理な右折をせざるを得なのが現状。
そして それが 危険である事は明らか。
道路整備、信号機の改定も進めてほしいが、松本走りの一番の問題は運転者のマナーだと思う。
直進車は、右折車を入れない! 脇道から入る車は入れない! 譲り合いの行動が極めて少ない。
インフラの整備も必要だが、もっと大事な 譲り合いの運転をしたら 松本走りも少しは改善されるのではないだろうか。
一見して相反する2種類の主張がいずれも正しく見える・・・これは、この手の議論にあちがちな「短期的対策と長期的対策の違い」によるものであります。引用記事の主張は「長期的対策」に属するものであり、これに対してコメ欄コメントは「短期的対策」に属するものです。
タイムスパンへの意識が欠落した結果、短期と長期とを混同させ、結果として議論が噛み合わなくなるのは、たとえば経済学の世界ではよくある現象です。経済学では、工場等の建設や解体によって生産能力(固定生産要素)に変動が生じるタイムスパンを「長期」、それ未満を「短期」とします。マーケット・メカニズムは基本的に長期のタイムスパンで効果を発揮するものですが、それを意識しない粗野な「市場主義」が市場万能主義を提唱しています。他方、ケインズ主義のような本来的には短期のタイムスパンしか意識していない理論を、不適切にも長期においても活用しようとする手合いもいます。長期と短期の境界線論争もしばしば見られるところです(ミクロ経済学とマクロ経済学とで用語定義が微妙に異なっているのも更に議論を混乱させています)。
「松本走り」に話題を戻せば、道路インフラの整備は、経済学における「工場等の建設による生産能力の増強」と同様に「長期」に属する問題です。今日・明日のうちにできるような簡単な話ではありません。それゆえ、「短期」においては啓蒙活動や取り締まりには大きな意味があるといえます。その意味では、松本市長の要請は至極当然です。これで道路インフラの整備まで黙って居ようものなら、それこそ「松本市長は自分の役割を改めて考えて頂きたい」と言わざるを得ません。
前掲5月13日づけ当ブログ記事では、「単なる啓蒙活動や取り締まりを展開するのでは不十分」と述べたとおり、私は「松本走り」対策問題を長期と短期に分けて分析しました(そして長期的対策について力点を置いて論じました)。「短期」には啓蒙活動や取り締まりで対処すべきだが、それだけでは「上に政策あれば下に対策あり」という言葉があるように、「イタチゴッコ」になるのがオチである点において不十分であり、道路インフラの整備が「長期的課題」として必要だと述べたわけです。
引用記事の筆者である国沢氏は、短期的対策としての啓蒙活動や取り締まりと長期的対策としての道路インフラの整備を混同させ、長期的対策をまくし立てているわけです。
現象には必ず背景としての構造があります。問題のある現象を解決するには、表面的な対策だけでは不十分であり、背景としての構造・根っこにも斬り込まなければなりません。これは間違いのないことです。しかし、背景としての構造に斬り込み、それを改善するには幾らかの時間がかかるものである点、これは「長期」に属するものであり、その間の「つなぎ」としての応急対策・「短期」的対策が必要となります。
長期的な構造改善は社会システム的営為の色が濃いものですが、短期的な応急対策は、しっかりした体制が構築される前の応急的措置であるからこそ個々人への注意喚起の色が濃くなりがちです。その点において、短期的な応急対策に啓蒙活動や臨時取り締まりが目立つのは当然でしょう。構造的対応が済むまでは、あくまでも応急措置ではあるものの、人々の意識が必要になるのです。
たとえばソフトウェア開発の世界では、このことはそれほど特異ではありません。プログラムに何らかのバグが見つかったとき、当然システムエンジニアやプログラマーは根本対策としてプログラム修正に取り掛かりますが、すぐにパッチファイルをリリースできるとは限りません。それゆえ、システムエンジニアやプログラマーはユーザーに対して、パッチファイルのリリースまでの間は現象が再現するような操作をしないよう注意喚起し、運用で回避するよう要請を出すものです。読者の皆さんの中にも職場で新しく導入したばかりのシステムが挙動不安定で、「追って通知するまでxxの機能は使用禁止! 代わりに・・・で対応すること!」といったような指示が出た経験・記憶はありませんか?
短期的対策と長期的対策との混同は、あちこちでしばしば見られる現象です。今回はそれが顕著に見られる一例でした。これを機に、「短期的対策と長期的対策の違い」について意識する癖をつけることを大変僭越ながらお勧め申し上げたいと思います。
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ラベル:社会